でも しんせい 、 ゆうそう で やった よ!

まえ の きじ (http://d.hatena.ne.jp/kokuminyamero/20180205/1517823522) の かんじ あり ばーじょん です。

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はんにちわ ー! はんにちわ ー!
は ・ ん ・ に ・ ち ・ わ ーーー!!

わたしたち は 12 がつ 23 にち に はんてんのう でも を やりました。 その ないよう について は < http://d.hatena.ne.jp/kokuminyamero/20180129/1517192341 > の きじ を お よみください。
めっちゃ いい きじ な ので ぜったい、 ぜ ー ったい お よみください!
この きじ で は この でも を きかく するにあたって こんかい、 わたしたち として は はじめて ちょうせん した こと を ほうこく します。
それ は … … … … …



な、 な、 なんと … … …


「いちど も けいさつしょ に いかず に でも を やりとげる!」

です。

これ まで わたしたち は でも を かいさい するに あたって まいかい にど に わたり けいさつしょ に でむかされて いました。
いちどめ は でも しんせい の ため に。
にどめ は 「きょかしょう」 を うけとる ため に

そして、 これ は でも を きかく するに あたって しょうじき なかなか の しんりてき、 ぶつりてき、 けいざいてき はーどる に なって いました。
なぜ って、 しんせい において は けいさつ は ほんらい その けんげん も ない くせ に、 しつよう に でも こーす や かいし じこく など について かいにゅう して くる こと が よく ある から です。 きょうとし で は でも しんせい は けんぽう いはん である あしき こうあん じょうれい に のっとって なされて いる の が げんじょう です が、 けいさつ は いわば しんせい の うけとり まどぐち に すぎません。 それなのに、 しゅさい にたいして じぜん に でも について こうしょう し かんり ・ しはい しよう と して くる の です。 これ を つっぱねると (もちろん これ まで つっぱねて きました よ) ばあい によって は しんせい だけ で なんじかん も かかる こと が あります (ちなみに、 しんせいしゃ が きょひ を めいじ して も なおも けいさつ が 「ぎょうせい しどう」 を やめない の は いほう です)。

この しんせい だけ で なかなか ひへい します。 だいたい、 でも げんば で は いつ 「ころび こうぼう」 なんか で たいほ して くるか わからん けいさつ の ほーむ に いく こと じたい が はんにち ひこくみん として は めちゃくちゃ いごこち わるい です。

それなのに、 しんせい が とおったら とおった で こんど は 「きょかしょう」 を とりに こいと ふたたび けいさつしょ に よばれる わけ です。

しかも どちら も へいじつ かつ じかんたい の しばりも あります。

これ だけ で、 でも の じゆう が ふとう に せいげん されて いると おもいません か?
わたしたち は ずっと この ふとう な じょうきょう に いきどおって ました。

なので、 もう でも しんせい や 「きょかしょう」 の ため に けいさつしょ に いく の やめる こと に きめました。

けんぽう いはん の あしき こうあん じょうれい に のっとって なされる でも しんせい な の です が、 その こうあん じょうれい で さえ、 しんせい ほうほう について べつに けいさつしょ で やらん と いけない なんて きまりは べつに ない ん です。

なので、 こんかい、 じぶんたち で きょうとし こうあん じょうれい で でも しんせい において ひつよう きさい じこう と なって いる もの を かくにん し、 ぶんしょ を ゆうそう しました。
ふぉーまっと も けいさつしょ で ようい してる の は むし して さいていげん に かんそ な おりじなる で つくりました。

こんな かんじ です。

じつは これ、 けいさつしょ で わたされる でも しんせい の ふぉーむ と いくつ か ちがう ん です。
けいさつしょ で わたされる もの に は、 「げんば せきにんしゃ」 が だれか を かかせたり、 げんば せきにんしゃ や しゅさいしゃ の ねんれい で は なく 「せいねんがっぴ」 を かかせる もの に なって います。
また、 はんこ を なんかしょ も おさなく て は ならないです。

こんかい、 ゆうそう で やって みて おもった の は、 けいさつ は けんぽう いはん の あしき こうあん じょうれい に あぐら を かきながら、 それ より も さらなる かんり ・ しはい を して くるという こと です。

と は いえ、 ゆうそう であっ て も   もんだい なく しんせい は じゅり され、 とおりました。
(いちど、 でんわ で けいしき ふび が あると いわれました が、 あてさき に 「きょうとふ こうあん いいんかい」 を いれろ、 とか、 しょめん に 「しゅうだん こうしん および しゅうだん じい うんどう きょか しんせいしょ」 という ながい たいとる を いれろ、 とか しょうもない こと でした。 むか つく けど、 ほせい して さいそう しました。 )

でも よていび の 3 にちまえ に なって けいさつしょ より 「でも しんせい が とおりました。 きょかしょう を とりに きて ください」 と でんわ で れんらく が ありました。
わたし が 「いく じかん ない から、 とうじつ げんば で もらう」 と おうじると 「いや、 こっち (けいさつしょ) に きて ください」 と いいはります。
「とうじつ は よんで も ない のに どうせ あなた ら (けいさつ ら) は げんば に くるだろう。 ほれなら そこで わたせば よい でしょ。 なぜ わざわざ じぜん に けいさつしょ に でむかなけれ ば ならん の か わからん、 こいと いう の なら その こんきょ を しめして」 と つっぱねました。
すると、 こいと いいながら その こんきょ も しらなかった の でしょう、 でんわ を ほりゅう に されました。
しばらく して、 また つうわ が さいかい して その けいさつかん が いって きた の は 「でも かいし の 24 じかん まえ まで に しゅさい に こうふ しなけれ ば ならない」 から だ と。
これ じたい は こうあん じょうれい (だい 6 じょう) に も かいて ある こと です が、 この もんごん の しゅし を じょうしきてき に かいしゃく すれば、 これ は しゅさい が ちょくぜん まで でも しんせい の けっか が わからず に こまるといった じょうきょう を ふせぐ ため に けいさつ に たいして かして いる ぎむ の はず です。
なので、 「きょかしょう」 を けいさつしょ で もらわなけれ ば ならない と しゅさい に ようせい する の は おかしい し、 しんせい が とおった こと じたい は でんわ れんらく の じてん で かくにん されて いるので とうじつ の げんち うけわたし で もんだい が あると は かんがえられません。
その むね を つたえ、 あらためて けいさつしょ に いく じかん も とれない と いいはると、 けいさつ も あきらめて とうじつ の げんば で の こうふ に ごうい しました。
ただ、 でんわぐち で ふとう な 「きょか じょうけん」 を よみあげて きた の は うざ かったです。

なに は ともあれ、 いちど も けいさつしょ に いかず に でも を かいさい する こと は かのう である という こと が きょうとし で も かくにん されました。

ぜひ、 ぜんこく かくち で でも さる を じゃんじゃん ゆうそう して やりましょう!

ここ で いっく。
けいさつしょ ー   いかず に でも を   やりとげよー!

こんご の さんこう に なれば と おもうので、 こんかい の でも しんせい で じっさい に おくった ゆうそうぶつ

・ でも しんせい しょ :2 ぶ 

・ でも の こーす ちず :2 ぶ
→ ねっと で にゅうしゅ できる ちず を いんさつ して その うえ に しんろ を あらわす せん を ひき、 「かいし ちてん」 と 「かいさん ちてん」 を めいき すれば じゅうぶん だ と おもいます。

・ そうふ じょう :1 ぶ
→ はじめて な ので いちおう つけて みました が べつに なく て よい と おもいます。

ゆうそう の あてさき は でも かいし ちてん の しょかつ の けいさつしょ の しょちょう あて に しました。