2017年12月23日*反天皇デモ

つぎ の きじ(http://d.hatena.ne.jp/kokuminyamero/20180129/1517192341) は かんじ なし ばーじょん です。

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はんにちわー!
はんにちわー!
はんにちわー!

1年以上のごぶさたでしたが、反日非国民のみなさま、いかがお過ごしでしょうか。
さる12月23日、「自由と人権は『国民』の占有物ではないと考えるひとびと」は、なんと2年3か月ぶりにデモをおこないました。この日に掲げるのはもちろん「天皇制反対!」。師走の京都を熱くしたデモの報告です。



日ごろの反日活動の成果でしょうか、空はすっきりと晴れ、日ざしがまぶしい三条河川敷に約20名が集合しました。この日のために新調したプラカード、バナーもおひろめです。





出発のちょっと前には、いつものごとく呼んでもいないのに中京署の警官たちがやってきます。警官たちのうちの1名が近づいてきて、なかまのひとりに書類を事務的に交付し、もどっていきました。(※これについては http://d.hatena.ne.jp/kokuminyamero/touch/20180205/1517823522 で詳しく説明します。)さあ、準備は整いました。デモのはじまりです。

河川敷から三条通りに上がり、河原町通りへ。繁華街に太鼓の音を響かせながら進みます。先日おこなわれた別のデモでは、そう多くもない参加者に対し、大型人員輸送車(通称「カマボコ」)が、まるで参加者を食べようとするかのようにうしろをついてきていたのですが、今日は姿が見えません。
ほんらい、デモは自由なもの。歩く速さも自由、道路のはばをどこからどこまで使うかも自由です。「もっと左へ寄って!」とか「速く歩いて!」とか指示されるいわれはありません。大きなクルマでうしろから追い立てるなんてもってのほかです。デモのスピーチは、そうやって私たちの自由を奪おうとする警察への怒りからはじまりました。



《スピーチ》
はんにちわー!は・ん・に・ち・わー!
反日非国民のデモが始まります!
さて、今日もまずは警察への文句から始めようと思います。
まず前回のデモでの過剰警備と違法撮影について。
我々の平和なデモに対してカマボコ車両を動員し、たくさんの公安警察をはべらせてデモを萎縮させようとした京都府警に対して言う。デモは人民の自由だ!邪魔をするな!なにが「許可条件」だ!ふざけんな!
左に寄れだの、早く歩けだの、警察の指示に従えだの、さらには今回に関してはデモの開示時刻と終了時刻を厳守しろとか一体お前ら何様のつもりだ!
デモをお前らが許可し管理できるものだと勘違いするな!デモは自由だ!
許可条件を守っていないからと違法撮影したことも許さんぞ!
警察による撮影は、「現に犯罪が行われもしくは行われたのち間がないと認められる場合であって、しかも証拠保全の必要性及び緊急性があり、かつその撮影が一般的に許容される限度を超えない相当な方法を持って行われるときである」とされており、これはそれを満たさない限りは警察官の撮影は違法であることを示していることは前回も最初に指摘したはずだぞ!
警察および公安委員会が勝手に作った許可条件をもって、それからの逸脱を犯罪化するなどとはあたかも明らかな権力乱用だ!
今一度言っておく。デモは人民の自由だ!邪魔をするな!
違法撮影のデータを我々の目の前で消去しろ!

さて、警察の横暴といえば、最近では人民新聞への弾圧がありました。
でっち上げの「容疑」をもって日本・世界で権力に抗う人民の姿を伝えてきたメディアに対する公権力の弾圧です。事務所に対しては家宅捜査、そして編集長は不当逮捕され、今月11日に起訴までされました。
警察、検察、司法が一体となったこの言論・政治弾圧を私たちは許さないぞ!
起訴を取り下げ人民新聞編集長を解放しろ!

私たちのような反日非国民のデモに対する弾圧や、人民新聞といった左派メディアに対する苛烈な弾圧に絡めて今からおよそ100年まえに起きた大逆事件を思い返して欲しいと思います。

天皇暗殺を企てたとされて、幸徳秋水をはじめとする全国の社会主義者アナーキストらを逮捕・起訴・死刑にした事件です。

社会主義者アナーキストらは天皇の名において殺されました。
そして今日12月23日は平成天皇明仁の誕生日であることをもって「祝日」とされています。

私たちの社会はいまだに天皇・皇族に対して「陛下」だの「様」だのつけて、生まれながらに特別で偉い存在として扱います。
これは身分制です。天皇制とは人間の平等を破壊する制度です。

日本という国家とその国民統合の象徴と位置付けられている天皇はこれまでも、多様な個々人の間にある差異やそこに生じる緊張関係を包み隠し、単一で排他的な「国民」という主体形成のために働いてきました。

この「国民」とはまさに国家のために殺し、殺されることを受け入れる戦争に動員される主体に他なりません。明治憲法時代の「臣民」から名前が変わろうと、その本質は何も変わっていないのです。

現政権が目論む天皇の元首化とはこの天皇の役割をさらに発展深化させるものです。

象徴天皇制へと以降して70年が経つなかで、それはあまりに私たちの生活に定着してしまっています。日本で「祝日」とされているのは今日も含めてそのほとんどが天皇と関係して制定されたものであり、「昭和」や「平成」といった天皇制を基盤とした元号は日常的に使われます。明仁憲法で制限された天皇の権限を大きく逸脱して「生前退位」を含む天皇制の今後の在り方について言及すれば、メディアも多くの「国民」もその違憲性をつっこむこともなく、一様に理解を示すありさまです。

「忖度」が流行ワードになりましたが、歴史上これほど忖度されたものはいないのではないでしょうか?
それほど状況は歪なのです。

人間の自由と平等という原則が前提に立つべき反戦平和運動のなかにおいてすら、今や、明仁は平和主義者でリベラルだとして、安倍政権を批判する際に持ち上げられるしまつです。

これこそ歴史の逆行です。
既に4年前には参院議員の山本太郎天皇直訴を起こしたほどです。

大逆事件をもう一度思い出してください。裕仁の名において遂行された侵略戦争の被害者を思い出してください。

天皇制とは恐怖と暴力によって支えられてきました。そして、それは「戦後」もかわらないはずです。
天皇に対する批判は文学作品からジャーナリズム、映画、芸能の世界までいたる分野においても、皇室に対して「不敬」とみなされた表現は襲撃の標的となってきたのであり、そのなかには死者を出した事例もあります。1990年には当時の長崎市長が、昭和天皇ヒロヒトの戦争責任に触れたことで右翼から銃撃されました。

昨年には東京での反天皇制を訴えるデモに対して、デモ隊の車のフロントガラスを破壊したり負傷者が出るほどの襲撃が加えられました。天皇制批判に対するこうした度重なる襲撃にも関わらず、警察はデモ隊を弾圧することはあっても右翼による襲撃については選択的に見逃してきており、多くのメディアもまたこれに沈黙を貫いてきました。

天皇制の暴力性は戦前からその本質において変わらずに続いているのです。

明仁は平和主義者でリベラル?あまりにナンセンス!
天皇とはその存在様式それ自体が反動なのです。
なるほど、明仁はそのソフトな語り口で、平和にむけての祈りや、平和憲法を大事にして欲しいという風なことを口にするかもしれませんが、むしろ明仁が絶対に認めないことのほうに意味があり、それこそが天皇の戦争責任です。
明仁天皇という地位は、戦争責任者である昭和天皇裕仁から継承したものであり、結局のところ象徴天皇制が象徴するものとは、植民地支配と侵略戦争に対する「戦後」日本社会の一貫した無責任の体系です。裕仁には兵士も民間人も含めた自国の戦争犠牲者、特に、敗戦をいたずらに遅らせ戦果を求めて沖縄を捨石とした沖縄戦と、広島・長崎の原爆投下を含めて責任があります。
象徴天皇制とはこうした裕仁の戦争責任を免責する形で天皇制を延命させるための制度であったのであり、そのために裕仁はまたしても沖縄を日本から切り離し基地の島としてアメリカに差し出したのです。

もうこんな天皇制にうんざりだ。天皇制を許容し続ける日本社会にうんざりだ!

天皇制とは身分制の象徴です。
天皇制とは女性を抑圧する家父長制の象徴です。
天皇制とは継続する植民地主義の象徴です。
天皇制とは沖縄差別の象徴です。
天皇制とは侵略戦争・植民地支配に対する戦後の無責任の象徴です。
私たちは天皇制を廃止します。そして、「国民」として統合されることを受け入れて生きるすべてのものに自らを人民へと解放していくことを呼びかけます。
ともに、解放のデモを歩きましょう!




この日、制服を着た警備の警官の数やその「命令っぷり」「指示っぷり」は、これまでとそう変わらないものだったのですが、沿道の商店街を歩きながら、デモを撮影してくる公安警察と思しき人影が……!
繰り返しますが、よほどの要件を満たさない限り、警察官によるデモの撮影は違法です。デモ参加者に対する人権侵害です。当然、私たちは強く強く抗議しました。もちろん、違法な撮影をした警察官に対しても「撮影やめなさい」「撮影したデータを今ここで消しなさい」と抗議しましたが、他の警官たちにも「違法行為を見て見ぬふりするな」とくり返しくり返し抗議しました。
ところが、警官たちは仲間の違法行為は知らんぷり、私たちの抗議も無視しつづけました。警察が身内(警察官や右翼)の違法はかばうという実例をまた目の当たりにしました。目の前で違法行為が行われていたんだから、京都府警もちゃんと取り締まってくださいね。


さて、今回、スピーチとシュプレヒコール以外にも、できるだけ多くの参加者のみなさんに自分のことばでアピールしてもらおうということで、デモ内特別企画「あなたの反天皇制はどこから?」を行いました。

「あなたの反天皇制はどこから?」
「私は、植民地差別から!…あなたの反天皇制はどこから?」
「私は、『大喪の礼』が気持ち悪かったから!…あなたの反天皇制はどこから?」
「私は…

といった具合に、トラメガをどんどんまわしていきます。
天皇制反対」に賛同しているみなさんも、そのきっかけはさまざま。まったく同じひとはひとりもいません。それほどに、天皇制は私たちの社会にさまざまな差別をつくり、私たちが思うように生きることを抑圧し、それらを受け入れさせているのです。




シュプレヒコール
日の丸を 焼こう 破こう 降ろそうよ
君が代を 流すのやめろ 歌わんぞ
天皇制 差別の根源 なくそうよ
「陛下」とか 「様」「様」つけるの やめましょう
「国民」に 統合されるの 拒否しよう
ヤスクニは 軍事施設だ つぶそうよ
入管は 殺人施設だ つぶそうよ
米軍の 押しつけゆるさん 沖縄へ
米軍は 世界のどこにも いらないぞ
自衛隊 日本の軍隊 なくそうよ
朝鮮の 敵視をやめろ いますぐに
国籍で ひとの生き方 せばめるな
廃止しよう 差別を生み出す 戸籍制度
やめにしよう 排除の祭典 オリンピック




なにやら「祝日」ということで、商店街のアーケードのすべての柱には「日の丸」がていねいにくくりつけられています。それらに対して「日の丸を 焼こう やぶこう おろそうよ」と叫ぶ私たちに、沿道のみなさんは、もしかしたらぎょっとしたかもしれません。でも、そんな中でも、沿道から、あるいはすれ違うクルマから「がんばってー」というあたたかい声援がとんできます。
大きな交差点にさしかかるたびに、デモの参加者は1人増え2人増え…。四条大橋を渡りきるころには、デモの隊列は片側2車線いっぱいにひろがって、デモの自由を、天皇制からの自由を高らかにさけんでいました。

私たちは、天皇制を、廃止します!

…………廃止しました!!!

この日、京都・祇園で、天皇制が廃止されました。





天皇制を廃止します!」「天皇制を廃止しました!」そのとき叫んだのは、ひとりだったかもしれません。でも、このことばを、この国の多くのひとびとが口にするとき、ほんとうに天皇制は廃止となり、”国民”は人民へと解放されるでしょう。

「あなたの反天皇制はどこから?」
「私は、ここから。」

いま、ここから。あなたのいる、そこから、天皇制廃止を。
たくさんのご参加、ありがとうございました。また今度ね。