岡田有生さんからのメッセージ

岡田有生さんからのメッセージです。2つめは、かんじつかってません。

****かんじ、つかってます****

はじめに、この「反日」という言葉について、書いてみます。
もともと、この言葉には、日本の国のあり方に対する、被害者であるアジアの人たちからの告発の意味が込められていたことを、私たちは忘れてはならないと思います。
それは、過去に行ったことを反省せず、政治家が放言を繰り返すばかりでなく、東南アジアへの経済侵略を行ったり、軍事力の強化を計ったり、周囲の国の人々の心情を無視して、再び誤った道を進もうとしていた、戦後の各時期の日本に対して、被害を受けた国の人々があげた怒りの声だったのです。
「平和国家」を標榜した戦後の日本が、そのような「逆コース」、「右傾化」の道をたどったことには、歴史的な必然性があるといえるでしょう。そのことは、憲法の内容の限定性や、その理念と現実との乖離などに表れていると言えます。率直に言って、ブルジョア自由主義が一般にそうである以上に、日本の憲法と民主主義は欺瞞的なのです。
しかし、同時に、この憲法には、被害を与えたアジアの人たちに対する約束という側面があるのであり、その限りでのみ、それは現実的な意義と力を持ったのだと思います。その約束を公然と裏切って再び侵略を行うかのような態度を示した日本に対して、人びとは「反日」という言葉によって告発の声をあげたのです。
そういうものである「反日」という言葉が、どこかの国の政府によって、政権の求心力を高めるために利用された、というような話は、いわば(被害国でもある)「相手側」の事情の話に過ぎません。加害国の人間である私たちには、「相手側」の事情をあげつらったり、「相手側」と「こちら側」との相互的な関係性を云々する手前で、「反日」という言葉に込めて投げかけられた被害者の告発の重さを、自分自身の問題として受け止める義務があるのではないでしょうか。
この言葉に込められた告発の重さ(それは、民主主義一般の欺瞞性に対する告発よりも、重い声です)を、ナショナリズムの相互性とか、国際情勢の変化といった事柄を口実にして否認し、やりすごそうとするとき、私たちは、自国の誤った論理に同一化することで、人間として生きることの、つまり他者と共に生きていくことの可能性を、自ら手放しているのではないか。
私は、自分が生まれ育った、この国の風土や自然、社会、文化といったものに愛着を抱いており、それが過去の幾つかの時期に、きわめて限定的であれそうだったように、真に他者と共に生きる可能性へと開かれたものになって欲しいと願っています。
しかし、そのためには、被害に苦しむ他者からの告発を否認して、自らの加害性を増幅させようとするような、国と社会のあり方、そしてそれらを内面化した私自身の体質にも、明確にNOを突きつける必要があります。
自分の住む国を、他人と共に生きることが真に可能な場所へと作り変える為には、「反日」という思想の真実性に、身を開かなければなりません。なぜなら、私自身が、その論理を内面化しているこの現実の「日本」とは、今日の政治・社会情勢を見れば明らかなように、「人間であること(=他者と共に生きること)を許さない国」に他ならないのですから。
以上が、私が、この「反日」を掲げたデモに賛同する理由です。


次に、仲パレを含む、現在のカウンター、反レイシズム運動の性格に対する危惧を書きます。
この運動の最大の問題点は、それがあまりに表層的であることだと思います。つまり、ヘイトスピーチのような現実を目にして、それに対抗するために立ち上がる。そこまではいいのですが、その目の前で起きている忌まわしい現象の根を、自分自身の中にも探るような感覚を持たないならば、その感情や行動は、表層的なものにとどまります(たぶん、こうした表層的な運動のあり方は、倫理的な個を形成させないことで、他人との真の出会いと連帯の可能性を奪い取ってしまうという、日本の統治権力の伝統的な手法に適合しているのでしょう)。
つまり、自分の内面や、社会の支配的な部分(政策、制度や日常の感覚)の中にも内在している差別を見ずに済ませる為に、在特会なり何なりという、対象化しやすい相手に、その悪い部分を全部押しつけて、攻撃し、排除してしまう。
これは、行動に加わっている個々の人が、自分を感情の表層的な動きの中に投げ込んでしまうことです。そうした態度は、日本のような、国家と結びついた右翼性が支配的である国では、「敵」と認定した相手や、少数者に対する攻撃の暴発に結びつく危険性の高いものです。
私は、こうした繊細さを欠いた、表層的な運動の拡大に、強い危惧を抱いています。
今の日本の社会は、国家と共に告発を否認し、あまつさえ告発者を攻撃することに熱中するという性格を示しています。そのような社会の悪しき体質を、運動であれ個人であれ、体現してしまうことがあってはならないはずです。
ですから、こうした運動に参加している人たちには、制度や国家権力の形をとることもある差別や、強者・多数者の暴力に脅かされ苦しめられる人たちについての、繊細で内省的な感覚が、もっと共有されて欲しいと思います。
そして、右翼的な相貌をもった、この国の国家的・集団的な暴力の傾向を自覚して、すすんでそれに反対し、個々の生存や、真の連帯の可能性を守る側に立って欲しいのです。

被害を受けた人たちからの告発を否認し、個と個とのつながりを切断して、集団的な差別と暴力の構造を再生産しようとするような、この国の権力と制度に対して、私たちが同一化を続けたままで、私たちはどうやって他人と連帯したり、共生したりすることが出来るというのでしょうか。
このデモが呼びかけているのは、その私たちの生を阻害する条件に対する、闘争なのだと思います。

****かんじ、つかってません****

はじめに、 この 「はんにち」という ことばについて、 かいてみます。
もともと、 この ことばには、 にほんの くにの ありかたに たいする、 ひがいしゃである アジアの ひとたちからの こくはつの いみが こめられて いたことを、 わたしたちは わすれてはならないと おもいます。
それは、 かこに おこなったことを はんせいせず、 せいじかが  ほうげんを くりかえす ばかりでなく、 とうなんアジアへの けいざいしんりゃくを おこなったり、 ぐんじりょくの きょうかを はかったり、 しゅういの くにの ひとびとの しんじょうを むしして、 ふたたび あやまった みちを すすもうと していた、 せんごの かくじきの にほんに たいして、 ひがいを うけた くにの ひとびとが あげた いかりの こえだったのです。
「へいわこっか」を ひょうぼうした せんごの にほんが、 そのような 「ぎゃくコース」、 「うけいか」の みちを たどったことには、 れきしてきな ひつぜんせいが あるといえるでしょう。 そのことは、 けんぽうの ないようの げんていせいや、 その りねんと げんじつとの かいりなどに あらわれていると いえます。 そっちょくに いって、 ブルジョアじゆうしゅぎが いっぱんに そうであるいじょうに、 にほんの けんぽうと みんしゅしゅぎは ぎまんてきなのです。
しかし、 どうじに、 この けんぽうには、 ひがいを あたえた アジアの ひとたちに たいする やくそくという そくめんが あるのであり、 その かぎりでのみ、 それは げんじつてきな いぎと ちからを もったのだと おもいます。 その やくそくを こうぜんと うらぎって ふたたび しんりゃくを おこなうかのような たいどを しめした にほんに たいして、 ひとびとは 「はんにち」という ことばによって こくはつの こえを あげたのです。
そういうものである 「はんにち」という ことばが、 どこかの くにの せいふによって、 せいけんの きゅうしんりょくを たかめるために りようされた、 というような はなしは、 いわば (ひがいこくでもある) 「あいてがわ」の じじょうの はなしに すぎません。 かがいこくの にんげんである わたしたちには、 「あいてがわ」の じじょうを あげつらったり、 「あいてがわ」と 「こちらがわ」との そうごてきな かんけいせいを うんぬんする てまえで、 「はんにち」という ことばに こめて なげかけられた ひがいしゃの こくはつの おもさを、 じぶんじしんの もんだいとして うけとめる ぎむが あるのでは ないでしょうか。
この ことばに こめられた こくはつの おもさ (それは、 みんしゅしゅぎいっぱんの ぎまんせいに たいする こくはつよりも、 おもい こえです)を、ナショナリズムの そうごせいとか、 こくさいじょうせいの へんかといった ことがらを こうじつにして ひにんし、 やりすごそうと するとき、 わたしたちは、 じこくの あやまった ろんりに どういつか することで、 にんげんとして いきることの、 つまり たしゃと ともに いきていくことの かのうせいを、 みずから てばなして いるのではないか。
わたしは、 じぶんが うまれそだった、 このくにの ふうどや しぜん、 しゃかい、 ぶんかといったものに あいちゃくを いだいており、 それが かこの いくつかの じきに、 きわめて げんていてきであれ そうだったように、 しんに たしゃと ともに いきる かのうせいへと ひらかれたものに なってほしいと ねがっています。
しかし、 そのためには、 ひがいに くるしむ たしゃからの こくはつを ひにんして、 みずからの かがいせいを ぞうふくさせようと するような、 くにと しゃかいの ありかた、 そして それらを ないめんかした わたしじしんの たいしつにも、 めいかくに ノーを つきつける ひつようが あります。
じぶんの すむ くにを、 たにんと ともに いきることが しんに かのうな ばしょへと つくりかえるためには、 「はんにち」という しそうの しんじつせいに、 みをひらかなければ なりません。 なぜなら、 わたしじしんが、 その ろんりを ないめんかしている この げんじつの 「にほん」とは、 こんにちの せいじ・しゃかいじょうせいを みれば あきらかなように、 「にんげんであること (=たしゃと ともに いきること)を ゆるさない くに」に ほかならないのですから。
いじょうが、 わたしが、 この 「はんにち」を かかげた デモに さんどうする りゆうです。


つぎに、 なかパレを ふくむ、 げんざいの カウンター、 はんレイシズムうんどうの せいかくに たいする きぐを かきます。
この うんどうの さいだいの もんだいてんは、 それが あまりに ひょうそうてきであることだと おもいます。 つまり、 ヘイトスピーチのような げんじつを めにして、 それに たいこうするために たちあがる。 そこまでは いいのですが、 その めのまえで おきている いまわしい げんしょうの ねを、 じぶんじしんの なかにも さぐるような かんかくを もたないならば、 その かんじょうや こうどうは、 ひょうそうてきなものに とどまります (たぶん、 こうした ひょうそうてきな うんどうの ありかたは、 りんりてきな こを けいせいさせないことで、 たにんとの しんの であいと れんたいの かのうせいを うばいとって しまうという、 にほんの とうちけんりょくの でんとうてきな しゅほうに てきごう しているのでしょう)。
つまり、 じぶんの ないめんや、 しゃかいの しはいてきな ぶぶん(せいさく、 せいどや にちじょうの かんかく)のなかにも ないざいしている さべつを みずに すませるために、 ざいとくかいなり なんなりという、 たいしょうか しやすい あいてに、 その わるい ぶぶんを ぜんぶ おしつけて、 こうげきし、 はいじょしてしまう。
これは、 こうどうに くわわっている ここの ひとが、 じぶんを かんじょうの ひょうそうてきな うごきのなかに なげこんで しまうことです。 そうした たいどは、 にほんのような、 こっかと むすびついた うよくせいが しはいてきである くにでは、 「てき」と にんていした あいてや、 しょうすうしゃに たいする こうげきの ばくはつに むすびつく きけんせいの たかいものです。
わたしは、 こうした せんさいさを かいた、 ひょうそうてきな うんどうの かくだいに、 つよい きぐを いだいています。
いまの にほんの しゃかいは、 こっかと ともに こくはつを ひにんし、 あまつさえ こくはつしゃを こうげきすることに ねっちゅうするという せいかくを しめしています。 そのような しゃかいの あしき たいしつを、 うんどうであれ こじんであれ、 たいげん してしまうことが あってはならないはずです。
ですから、 こうした うんどうに さんかしている ひとたちには、 せいどや こっかけんりょくの かたちを とることもある さべつや、 きょうしゃ・たすうしゃの ぼうりょくに おびやかされ くるしめられる ひとたちについての、 せんさいで ないせいてきな かんかくが、 もっと きゅうゆうされてほしいと おもいます。
そして、 うよくてきな そうぼうをもった、 この くにの こっかてき・しゅうだんてきな ぼうりょくの けいこうを じかくして、 すすんで それに はんたいし、 ここの せいぞんや、 しんの れんたいの かのうせいを まもるがわに たって ほしいのです。

ひがいを うけた ひとたちからの こくはつを ひにんし、 こと ことの つながりを せつだんして、 しゅうだんてきな さべつと ぼうりょくの こうぞうを さいせいさん しようと するような、 この くにの けんりょくと せいどに たいして、 わたしたちが どういつかを つづけたままで、 わたしたちは どうやって たにんと れんたいしたり、 きょうせいしたり することが できるというのでしょうか。
この デモが よびかけているのは、 その わたしたちの せいを そがいする じょうけんに たいする、 とうそうなのだと おもいます。