デモ報告

デモのほうこくです。2つめは、かんじつかってません。


****かんじ、つかってます****

自由と人権は「国民」の占有物ではないと考えるひとびとは、去る9月19日に、京都でデモを行いました。

「自由と人権は「国民」の占有物ではないと考えるひとびとによる戦争法案反対デモ(通称)反日デモ

趣旨文はちょっぴり長めです。

趣旨文はこちら→9.19「(通称)反日デモ」趣旨文

デモの趣旨については趣旨文をみてもらうとして、今回のデモでは、国会前で行動したひとびとを不当に逮捕・拘束した警察に対しても、抗議の声をあげました。

国会前弾圧に対する抗議声明 学生ハンスト実行委員会
http://blogs.yahoo.co.jp/hansutojitsu/55725258.html

「戦争反対9.16弾圧愛宕救援会」声明 フリーター全般労働組合
http://d.hatena.ne.jp/spiders_nest/20150920/1442680960

国会前大弾圧を許さない!抗議声明 福岡市民救援会
http://blog.livedoor.jp/fukukyuen/archives/45490570.html

実際、今回の私たちのデモでも、逮捕こそ今のところありませんが、警察による執拗なデモ妨害に、苦しめられることとなったのです……

集合場所には、40人近くの「ひとびと」が集まりました。
去年使って大事にしまってあった横断幕のほかに、
・この日のために新調したプラカード(もちろん手書き)
・参加者が作ってきてくれた大きなバナー(なんと手書き)
・日の丸がぼうぼう燃えているバナー(当然手書き)
・大きな旗2つ(手作り)
などもあって、集合場所の御射山公園の一角は、すでに反日一色です。

頼んでもないのに時間どおりに集まってきた警官数名とともに、デモは出発。沿道からは、家族連れやグループが、秋の京都に突如響き渡る太鼓の音に、さっそく興味深げな視線を向けてきます。でも、頼んでもないのについてきている警官からは、烏丸通に出るまでの数十メートルの間にも「早く歩いて!」などといらん指示がとびます。

烏丸通を南へ歩き、四条通へ。いつのまにか数を増やした警官が、列の後方でバナーを持っていた参加者に「もっと左に寄れ」「早く歩け」としつこくからんできます。デモは人民の権利です。警察がじゃまをしていいはずがありません。なのに、耳元で大きな声で「許可条件を守れ!」などと叫び、笛をビービー吹き鳴らします。警察は、列の前方でも、参加者にどんどん罵声を浴びせてきます。拡声器を持った警官が、耳元で叫びます「早く歩かせろ!」「責任者やろ!」それもひとりではありません。警官が囲んでくるので、歩きたくても歩けません。なのに今度は「前へ進んでくださーい!」「クルマとおしまーす!あぶないですよー」デモの隊列にクルマを通してきます。参加者すれすれのところをクルマがとおっていきます。デモをじゃまして、あぶない目にあわせているのは、警察ですね。

隊列の前方で、後方で、まんなかあたりで、参加者が警官に囲まれて罵声を浴びせられます。沿道からは、なにごとが起こったのかという視線。でも「がんばってねー」という声もありました。

デモの後半、過剰警備のせいで隊列がふたつに分断されてしまい、後ろの隊列ではまばらに歩く人々を多数の警官が囲んで怒鳴りつづける、という構図になりました。それに対してこちらも抗議するわけですが、沿道の通行人から「迷惑だ」「やめさせろ」「逮捕しろ」「もうあきらめろ」などといった野次が飛ばされるときは、決まってそういう場面でした。「迷惑」だと思われようがどうだろうがデモをやるのはわれわれの意思だし、人民の権利なわけですが、警察の過剰警備がデモ隊を「迷惑なやつら」だとことさらに演出し、デモの趣旨を沿道の人々に伝えることを遮断する機能を果たしていると思いました。

一方で、マラソンやお祭りや右翼の街宣車に対しては歓迎ないし沈黙するのに、こうしたデモに対しては攻撃の意思をむきだしにしてくる人がある程度の割合で存在しているということに、それなりのおそろしさもあらためて感じました。

河原町の交差点が近づいてくるころには、警官は完全に「とにかく乱暴な言葉を吐いてひとを委縮させようとする人」になっていました。我を忘れているのか、これが本性なのか。

しかし、何度もいいますが、デモは人民の権利です。訴えたいことがなんにもないくらい、ひとびと(「国民」ではない)の自由と人権が保障されて、私たち一人ひとりが生きづらさをまったく感じないような社会であれば、デモをする人もいないかもしれません。でも、現状はそれとは全然違います。加害の歴史を隠蔽、歪曲し、戦争協力、加担の70年を「平和」の二文字で塗りこめ、過去に植民地化した国々と、そこにゆかりを持つひとびとに対しての差別をやめようとしないどころか、さらに苛烈な差別を行っているこの国の現状を、忘れるな、許さないぞと、いくら大声で訴えても、訴え足りません。


【当日のスピーチ】

○○通りをご通行中のみなさん。
私たちは安保法制、いわゆる「戦争法案」に反対し廃案を訴えてデモをしています。しかしまた同時にこのデモは、戦争法案に反対するがあまり「戦後70年戦争してこなかった平和な日本を守りたい」という嘘が叫ばれることにも、また、強権的に今国会での法案成立を目指し、ついに成立させてしまった政権与党に対して「国民を舐めるな」という日本における日本国民以外を排除する反戦運動のスローガンにも反対を訴えるものです。
1950年の朝鮮戦争に参加して以来、日本はすでに数々の戦争に加担してきました。ヤマトが押し付けた米軍基地が集中する沖縄はベトナム戦争での出撃基地にされました。その後も湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争アメリカの侵略戦争をいつも支援し協力してきたのが日本の戦後70年です。そしてその日米の軍事同盟は日本全体のたった0.6%の面積しかない沖縄に米軍基地の75%を押し付けるという差別によって、沖縄のひとびとの平和を破壊しながら維持されてきました。
戦後日本が平和だったと、もし言うのであれば、それは朝鮮のベトナムの、アフガニスタンの、イラクの、沖縄の、、、これらのひとびとの平和を奪って享受してきたヤマトの「平和」でしかありません。
また日本の戦争政策が、朝鮮や中国を仮想敵としてその脅威をいたずらに煽る一方で、日本こそがかつて中国他アジア諸国を侵略し、台湾、朝鮮を植民地支配したという加害の歴史を歪め、侵略戦争と植民地支配に対する戦後補償責任を放置してました。それは国内の朝鮮人をはじめとした旧植民地出身者やその他の外国人に対する差別政策にも現れています。
だからこそ私たちは日本政府の戦争政策に抗うにあたって「国民」という排他的な枠組みを取っ払うことを強く訴えたいと思います。

戦争法案に反対しましょう。また自衛隊に、日米安保条約に、沖縄への米軍基地押し付けに、朝鮮への敵視政策・制裁に、日の丸と君が代に、天皇制にノーをつきつけましょう。

シュプレヒコール

  • 戦争法案を廃案にしろ!
  • 警察は抗議者への弾圧をやめろ!
  • 警察は逮捕者をいますぐ解放しろ!
  • これ以上の戦争協力を絶対に止めるぞ!
  • 戦後日本の加害の歴史を忘れるな!
  • 朝鮮戦争ベトナム戦争湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争への協力・参加を忘れないぞ!
  • 歴史歪曲を許さないぞ!
  • 自衛隊も米軍基地もなくしていくぞ!
  • 沖縄への米軍基地押しつけを許さないぞ!
  • 日米軍事同盟をくつがえすぞ!
  • 朝鮮・中国への敵視政策をやめろ!
  • 在日朝鮮人への弾圧を許さないぞ!
  • 朝鮮学校に高校無償化を適用しろ!
  • 朝鮮学校への差別と介入をやめろ!
  • 入管は外国人への人権侵害をやめろ!
  • 自由も人権も「国民」だけのものではないぞ!
  • 日の丸・君が代に反対するぞ!
  • 天皇制を廃止するぞ!

これらシュプレヒコール以外にも、あまりにも警察がデモのじゃまをしてくるので

  • 警察はデモに介入するな!
  • デモは人民の権利だ!
  • 警察はデモのじゃまをするな!

と、参加したみんなで声をあげました。


デモの列は長ーくのび、河原町交差点で別の大きなデモとすれ違ったけどその隊列が行き過ぎてもまだ続きました。交通を完全に遮断した河原町交差点を、最後尾のバナーがゆっくりと右折します。なぜか別のデモの警備をしていた警官と車両まで(これも頼んでもないのに)合流し、スピーカーを使って「早く歩け!」と恫喝します。興奮した警官が、もうすでにゴールして、その場を立ち去ろうとする参加者にも食ってかかってきて、それを止めようとする別の参加者や、さらにそこに介入しようとする別の警官たちで、解散地点は一時騒然となりました。警察がいくら名残を惜しんでも、今日のデモはこれで終わりです。でも私たちの抗議は終わりません。日本が変わらない限り、また今度。



****かんじ、つかってません****

じゆうと じんけんは 「こくみん」の せんゆうぶつ ではないと かんがえる ひとびとは、さる 9がつ9にちに、きょうとで でもを おこないました。

「じゆうと じんけんは 「こくみん」の せんゆうぶつ ではないと かんがえる ひとびとに よる せんそうほうあん はんたい でも (つうしょう)はんにち でも」

しゅしぶんは ちょっぴり ながめです。

しゅしぶんは こちら→9.19「(つうしょう)はんにちデモ」しゅしぶん

でもの しゅしに ついては しゅしぶんを みてもらうとして、こんかいの でもでは、こっかい まえで こうどうした ひとびとを ふとうに たいほ・こうそくした けいさつに たいしても、こうぎの こえを あげました。

9.16国会前弾圧に対する抗議声明 学生ハンスト実行委員会
(9.16こっかいまえ だんあつに たいする こうぎ せいめい がくせい はんすと じっこういいんかい)

http://blogs.yahoo.co.jp/hansutojitsu/55725258.html

「戦争反対9.16弾圧愛宕救援会」声明 フリーター全般労働組合
(「せんそうはんたい9.16だんあつ あたご きゅうえんかい」せいめい ふりーたー ぜんぱん ろうどうくみあい)

http://d.hatena.ne.jp/spiders_nest/20150920/1442680960

9・16国会前大弾圧を許さない!抗議声明 福岡市民救援会
(9・16こっかいまえ だいだんあつを ゆるさない!こうぎ せいめい ふくおか しみん きゅうえんかい)

http://blog.livedoor.jp/fukukyuen/archives/45490570.html


じっさい、こんかいの わたしたちの でもでも、たいほこそ いまのところ ありませんが、けいさつに よる しつような でもぼうがいに、くるしめられる ことと なったのです……

しゅうごうばしょには、40にん ちかくの「ひとびと」が あつまりました。
きょねん つかって だいじに しまってあった おうだんまくの ほかに、
・このひの ために しんちょうした ぷらかーど(もちろんてがき)
・さんかしゃが つくってきてくれた おおきな ばなー(なんとてがき)
・ひのまるが ぼうぼう もえている ばなー(とうぜんてがき)
・おおきなはた 2つ(てづくり)

などもあって、しゅうごうばしょの みさやまこうえんの いっかくは、すでに はんにち いっしょくです。

たのんでもないのに じかんどおりに あつまってきた けいかん すうめいとともに、でもは しゅっぱつ。えんどうからは、かぞくづれや グループが、あきの きょうとに とつじょ ひびきわたる たいこの おとに、さっそく きょうみぶかげな しせんを むけてきます。でも、たのんでもないのに ついてきている けいかんからは、からすまどおりに でるまでの すうじゅうめーとるの あいだにも「はやく あるいて!」などと いらん しじが とびます。

からすまどおりを みなみへあるき、しじょうどおりへ。いつのまにか かずを ふやした けいかんが、れつの こうほうで ばなーを もっていた さんかしゃに「もっと ひだりに よれ」「はやく あるけ」としつこく からんで きます。でもは じんみんの けんりです。けいさつが じゃまを して いいはずが ありません。なのに、みみもとで おおきな こえで「きょかじょうけんを まもれ!」などと さけび、ふえを びーびー ふきならします。けいさつは、れつの ぜんぽうでも、さんかしゃに どんどん ばせいを あびせてきます。かくせいきを もった けいかんが、みみもとで さけびます。「はやく あるかせろ!」「せきにんしゃやろ!」それも ひとりでは ありません。けいかんが かこんでくるので、あるきたくても あるけません。なのに こんどは「まえへ すすんで くださーい!」「くるま とおしまーす!あぶないですよー」でもの たいれつに くるまを とおしてきます。さんかしゃ すれすれの ところを くるまが とおっていきます。でもを じゃまして、あぶないめに あわせているのは、けいさつですね。

たいれつの ぜんぽうで、こうほうで、まんなかあたりで、さんかしゃが けいかんに かこまれて ばせいを あびせられます。えんどうからは、なにごとが おこったのかという しせん。でも「がんばってねー」という こえも ありました。

でもの こうはん、かじょう けいびの せいで たいれつが ふたつに ぶんだんされてしまい、うしろの たいれつでは まばらに あるく ひとびとを たすうの けいかんが かこんで どなりつづける、という こうずに なりました。それに たいして こちらも こうぎするわけですが、えんどうの つうこうにんから「めいわくだ」「やめさせろ」「たいほしろ」「もうあきらめろ」などと いった やじが とばされるときは、きまって そういう ばめんでした。「めいわく」だと おもわれようが どうだろうが でもを やるのは われわれの いしだし、じんみんの けんりな わけですが、けいさつの かじょう けいびが でもたいを「めいわくな やつら」だと ことさらに えんしゅつし、でもの しゅしを えんどうの ひとびとに つたえることを しゃだんする きのうを はたしていると おもいました。

いっぽうで、まらそんや おまつりや うよくの がいせんしゃに たいしては かんげい ないし ちんもくするのに、こうした でもに たいしては こうげきの いしを むきだしに してくる ひとが あるていどの わりあいで そんざいしていると いうことに、それなりの おそろしさも あらためて かんじました。

かわらまちの こうさてんが ちかづいて くるころには、けいかんは かんぜんに「とにかく らんぼうな ことばを はいて ひとを いしゅくさせようと するひと」になっていました。われを わすれているのか、これが ほんしょう なのか。

しかし、なんども いいますが、でもは じんみんの けんりです。うったえたい ことが なんにも ないくらい、ひとびと(「こくみん」ではない)の じゆうと じんけんが ほしょうされて、わたしたち ひとりひとりが いきづらさを まったく かんじないような しゃかいで あれば、でもを する ひとも いないかも しれません。でも、げんじょうは それとは ぜんぜん ちがいます。かがいの れきしを いんぺい、わいきょくし、せんそうきょうりょく、かたんの 70ねんを「へいわ」の にもじで ぬりこめ、かこに しょくみんちかした くにぐにと、そこに ゆかりをもつ ひとびとに たいしての さべつを やめようと しないどころか、さらに かれつな さべつを おこなっている このくにの げんじょうを、わすれるな、ゆるさないぞと、いくら おおごえで うったえても、うったえたりません。

【とうじつの すぴーち】

○○どおりを ごつうこうちゅうの みなさん。
わたしたちは あんぽほうせい、いわゆる「せんそうほうあん」に はんたいし はいあんを うったえて デモを して います。しかし また どうじに このデモは、せんそうほうあんに はんたい するがあまり「せんご70ねん せんそうして こなかった へいわな にほんを まもりたい」という うそが さけばれる ことにも、また、きょうけんてきに こんこっかいでの ほうあんせいりつを めざし、ついに せいりつ させてしまった せいけんよとうに たいして「こくみんを なめるな」という にほんに おける にほんこくみん いがいを はいじょする はんせんうんどうの すろーがんにも はんたいを うったえる ものです。
1950ねんの ちょうせん せんそうに さんかして いらい、にほんは すでに かずかずの せんそうに かたん して きました。やまとが おしつけた べいぐんきちが しゅうちゅう する おきなわは べとなむ せんそうでの しゅつげききちに されました。そのごも わんがん せんそう、あふがん せんそう、いらく せんそうと あめりかの しんりゃくせんそうを いつも しえんし きょりょく して きたのが にほんの せんご70ねんです。そして そのにちべいの ぐんじどうめいは にほんぜんたいの たった0.6%の めんせきしか ない おきなわに べいぐんきちの 75%を おしつける という さべつによって、おきなわの ひとびとの へいわを はかい しながら いじ されて きました。
せんごにほんが へいわだったと、もし いうので あれば、それは ちょうせんの べとなむの、あふがにすたんの、いらくの おきなわの、、、これらのひとびとの へいわを うばって きょうじゅ してきた やまとの「へいわ」でしか ありません。
また にほんの せんそうせいさくが、ちょうせんや ちゅうごくを かそうてき として その きょういを いたずらに あおる いっぽうで、にほん こそが かつて ちゅうごく ほか あじあしょこくを しんりゃくし、たいわん、ちょうせんを しょくみんちしはい した という かがいの れきしを ゆがめ、しんりゃくせんそうと しょくみんちしはいに たいする せんごほしょうせきにんを ほうち して ました。それは こくないの ちょうせんじんを はじめとした きゅうしょくみんちしゅっしんしゃや そのたの がいこくじんに たいする さべつせいさくにも あらわれて います。
だからこそ わたしたちは にほんせいふの せんそうせいさくに あらがうに あたって 「こくみん」という はいたてきな わくぐみを とっぱらう ことを つよく うったえたいと おもいます。

せんそうほうあんに はんたい しましょう。また じえいたいに、にちべいあんぽじょうやくに、おきなわへの べいぐんきちおしつけに、ちょうせんへの てきしせいさく・せいさいに、ひのまると きみがよに、てんのうせいに 「のー」を つきつけましょう。

【しゅぷれひこーる】

  • せんそうほうあんを はいあんに しろ!
  • けいさつは こうぎしゃへの だんあつを やめろ!
  • けいさつは たいほしゃを いますぐ かいほうしろ!
  • これいじょうの せんそう きょうりょくを ぜったいに とめるぞ!
  • せんご にほんの かがいの れきしを わすれるな!
  • ちょうせんせんそう、べとなむせんそう、わんがんせんそう、あふがんせんそう、いらくせんそうへの きょうりょく・さんかを わすれないぞ!
  • れきし わいきょくを ゆるさないぞ!
  • じえいたいも べいぐんきちも なくしていくぞ!
  • おきなわへの べいぐんきち おしつけを ゆるさないぞ!
  • にちべい ぐんじ どうめいを くつがえすぞ!
  • ちょうせん・ちゅうごくへの てきし せいさくを やめろ!
  • ざいにち ちょうせんじんへの だんあつを ゆるさないぞ!
  • ちょうせん がっこうに こうこう むしょうかを てきようしろ!
  • ちょうせん がっこうへの さべつと かいにゅうを やめろ!
  • にゅうかんは がいこくじんへの じんけんしんがいを やめろ!
  • じゆうも じんけんも「こくみん」だけの ものでは ないぞ!
  • ひのまる・きみがよに はんたいするぞ!
  • てんのうせいを はいし するぞ!

これら しゅぷれひこーる いがいにも、あまりにも けいさつが でもの じゃまを してくるので

  • けいさつは でもに かいにゅうするな!
  • でもは じんみんの けんりだ!
  • けいさつは でもの じゃまを するな!

と、さんかした みんなで こえを あげました。

でもの れつは ながーく のび、かわらまち こうさてんで べつの おおきな でもと すれちがった けど そのたいれつが ゆきすぎても まだ つづきました。こうつうを かんぜんに しゃだんした かわらまち こうさてんを、さいこうびの ばなーが ゆっくりと うせつします。なぜか べつの でもの けいびを していた けいかんと しゃりょうまで(これも たのんでも ないのに)ごうりゅうし、すぴーかーを つかって「はやく あるけ!」と どうかつ します。こうふんした けいかんが、もう すでに ごーるして、そのばを たちさろうと する さんかしゃにも くってかかって きて、それを とめようと する べつの さんかしゃや、さらに そこに かいにゅう しようとする べつの けいかんたちで、かいさん ちてんは いちじ そうぜんと なりました。けいさつが いくら なごりを おしんでも、きょうの でもは これで おわりです。でも わたしたちの こうぎは おわりません。にほんが かわらない かぎり、また こんど。