(通称)反日デモ第二弾無期限延期決定に関する声明(その1)

前回の記事でお知らせしたとおり、7月27日(日)に開催を予定していた(通称)反日デモの第二弾は、無期限の延期とすることとしました。

第二弾延期のお知らせ

延期を決断した理由は、第二弾を開催するにあたり、見すごすことのできないリスク・不安要因が想定され、現在の主催メンバーでこれに対処するのはむずかしいと判断したからです。主催者として残念ながら延期を決断せざるをえなかった経緯について、以下にのべます。なるべく多くのひとに共有していただきたいと望んでいます。
この声明は、かなり長い文になったこともあり、3つの記事にわけて掲載します。

目次

その1
1.同日同時刻開催について
2.弱い者が弱いままで参加できる場をめざして
3.第二弾開催無期限延期を決めたこと
4.ひびの氏からの働きかけ―脅迫、レッテル貼り、誹謗中傷

その2
5.「ほのめかし」「嘘つき呼ばわり」「謝罪要求」からのアウティング行為

その3
6.見えにくい被害、隠される加害―印象操作の怖さ
7.弱い者が弱いままで参加できる場をめざして―「守られる者」をつくりだすな
8.さいごに

1.同日同時刻開催について

 7月20日(日)の第1回の反日デモは、「仲良くしようぜパレード2014」(以下、「仲パレ」)と同日同時刻開催のデモとして企画し、実行しました。
 私たちが、「仲パレ」との同日同時刻開催を選んだのには、いくつかの理由があります。
 ひとつには、「反レイシズム」の文脈で「仲良くしよう」や「友好」をとなえる運動への批判的な問題意識を表現したいと考えたからです。「仲良くしよう」をスローガンにした「反レイシズム」運動は、排外主義にあらがうことにならないばかりでなく、差別構造を隠蔽し、また被差別者を分断することで、差別を強化するものですらある。こうした問題意識については、デモ開催にあたっての趣旨文で述べました。

7月20 日は(通称)反日デモ!

 以上のような問題意識のもと、主催者メンバー間で、いくつかの行動案が提起され、討議されました。たとえば、「仲パレ」と同じ大阪で時刻をずらしてこれに批判的な意思を表現するデモをおこなうといった案も、検討しました。しかし、参加者と私たち主催者の安全と安心して参加できる場を確保するのはむずかしいだろうと判断し、最終的に大阪からやや距離のはなれた京都で、同日同時刻にデモを開催するという案を選択したのです。
「仲パレ」に批判的なデモをおこなう場合、暴力的な恫喝やアウティングといったリスクを心配しないわけにはいきません。実際、昨年の「仲パレ」で、排外デモに対する「カウンター」運動の中における女性への差別、搾取を訴えるビラ(画像参照)を配った人について、個人を特定しようとネットで情報提供を呼びかけた者がおり、これには「仲パレ」の共同代表(当時)のひとりも拡散協力のかたちで加担しています。こういった異論を暴力によって封じようとする行為が、仲パレの主催者や支持者によってさして深刻に問題にされているようにはみえないし、アウティングに加担した人物がいまなお主催者としてかかわっているようなパレードに異議を表明するためには、リスクを想定し、これにそなえなければならない現実があります。

 このように、私たちが京都での同日同時刻開催を選んだ理由のなかには、参加者と私たちが少しでも安全に、かつ安心して参加できる場を目指そうとした、という理由が最も大きいものとしてあります。もう少し具体的にいうと、仲良くしようぜパレードは、反差別を訴える場としては共感できず、参加もできないと考えている人々や、仲良くしようぜパレードの場ではさまざまな理由で自分の考えや主張を表すことができないと考えている人々(妨害されるかもしれないといった恐れをもった人々だけではなく、妨害などがなかったとしても、仲良くしようぜパレードの「寛容さ」「多様性」の一例として存在を許される、といった形では場のもつ政治的な力を根本的に批判することはできないと考える人々など)が、安心して参加できる独立した別の場を確保しようというのがその目的です。まずこの点を優先したいと私たちは考えました。

 しかし、デモを同日同時刻に行うというそのことによって不可能になってしまうことがある、という点にも、私たちは気がつきました。
 私たちは、「7月20日の(通称)反日デモの詳細ならびに第二弾の開催について」という文章において、以下のように述べました。

「(通称)反日デモ」の趣旨に共鳴してくださる方々の中には、「仲良くしようぜパレード」についても、その場を真に差別、排外主義に抗うためのものにしていくための参加の仕方を考えていらっしゃった方々や、新たにそのような参加の仕方を模索したいという気持ちを持つに至った方々もいらっしゃるかもしれません。また「仲良くしようぜ」というメッセージに違和感を覚えながらも両方に参加することでより差別、排外主義に反対していくことについて考えを深めたい、そんな方もいらっしゃるかもしれません。

 同日同時刻のデモでは、こういった人々が参加することができなくなってしまう。私たちが、運動を深め大きくしていくうえで、このような人々に出会い、議論できる場を作り出すことも、やはり大事なことなのではないか。そこで、7月27日の第二弾開催を決めたのでした。つまり、私たちが(通称)反日デモを、仲良くしようぜパレードの同日同時刻に行うことによって不可能になることを実現するための第二弾開催です。


2.弱い者が弱いままで参加できる場をめざして

 このように、私たちが第二弾開催を企画し、いったんはそこに参加を呼びかけた動機には、差別、排外主義に反対していこうとしながら「仲パレ」に違和をおぼえているひとびとが出会い議論できる場をつくっていきたいということ、私たち自身がそのようなひとびとと出会い議論したいということがありました。同時に、私たちは、デモや、デモをつうじた参加者どうしの議論や意見交換の場を、参加者にとって安全で、安心して参加できる場にしていきたいと考えてきました。
「安全で、安心して参加できる場」とひとことでいっても、その「安全」や「安心」を得られる環境には個人差もあります。たとえば、社会的な立場や属性によって、個人を特定できるような情報をアウティングされることにともなう損失のありようと程度は変わってきます。また、おなじ言葉での攻撃から受けるダメージの質と程度は、その人自身の性格や攻撃してくる相手との関係性によって、やはりそれぞれ異なってきます。
 それぞれのひとに、それぞれの弱さと強さがあり、また、おなじ場を共有する人々のあいだでも、いわばわりと「平気」なひとと、しんどさやこわさを強く感じているひとがいたりするということでもあります。
 私たちは、今回のデモを企画し準備するなかで、具体的に想定したリスクに対して、主催者内部で、各人がそれぞれ感じるしんどさやこわさをないがしろにしないように極力つとめてきたつもりです。だれかがしんどさやこわさをかかえたまま参加しなければならなかったり、あるいはしんどさ・こわさのために参加できなくなったりすることのないように。強くあることを要求されないような、おたがいの関係性。あるいは、弱い者が弱いままで参加できる運動のかたち。これらを模索していくことが、デモをより安全で、安心して参加できる場に近づけていくために必要だと考えたからです。
 弱い者が弱いままで参加できる場を追求するということは、互いの関係性を対等・平等なものに近づけていくということでもあります。それは、先頭に立って弱い者のかわりにたたかう強い指導者、弱い者を代弁する強い代表者をつくらないということであり、また、弱い者のしんどさやこわさをかわりに引き受けてくれる強い英雄をつくらないということです。

3.第二弾開催無期限延期を決めたこと

 27日に予定していた「(通称)反日デモ第二弾」を延期することしたのは、主催者メンバーにとって、深刻なリスク・不安要因が想定され、また、これにそなえ対応するための人的な余裕がないと判断せざるをえなかったためです。
 6月21日以来、私たちは、ツイッター上で、ひびのまこと氏による脅迫行為および誹謗中傷を受けています。ひびの氏によるそうした行為については、あとでくわしく述べます。
 また、ひびの氏とはべつに、デモ当日の主催者への攻撃を示唆する、やはり脅迫的なアプローチをとってきている人物もいます。この人は、ツイッターで27日の参加を表明したうえで、主催者を「独裁者」であるとし、これを「引きずりおろす」と予告していました(現在は、ツイッターアカウントを削除)。
 とくに、ひびの氏は、主催メンバーの一部について、本人が主催メンバーであることを公表していないにもかかわらず、それをネット上で公開するアウティング行為をすでにはたらいております。27日に第二弾を開催した場合、ひびの氏が参加する可能性も想定せざるをえなく*1、主催メンバーのなかには、恐怖としんどさをがまんして参加するか、それとも参加を見送るかという選択をせまられる者もでてきました。
 じつは、先日の第一弾のデモでは、ひびの氏とべつの脅迫的アプローチをとる人物が参加する可能性も排除できないため、主催メンバーのひとりは、デモ行進に参加することを断念せざるをえませんでした。第二弾についても、主催者の会議では、ひびの氏と顔をあわせるのはしんどいという者はぬきで、参加できる者だけで現場での運営をおこない開催するという案も、検討はしました。しかし、一部の主催メンバーに負担をおわせるかたちで開催することはしたくないし、なにより、しんどさ・こわさのために参加できなくなる者がでてくるかたちでの開催は、「弱い者が弱いままで参加できる運動」を追求するという私たちの基本的な理念に反することであると考え、第二弾の開催をいったんとりやめ、無期限の延期とすることにしたのです。

4.ひびの氏からの働きかけ―脅迫、レッテル貼り、誹謗中傷

 以下に、ひびの氏が私たちにどのような働きかけをしてきたのかということを、みていきます。これは、ひびの氏の「批判」「質問」への応答というよりも、ひびの氏が今回の件でどのような働きかけを私たちに対しておこなってきているかという事実を、みなさんに知ってもらい共有したいという趣旨のものです。
 私たちが、ブログでデモのアナウンスをしたのが6月20日。その深夜に、ひびの氏からの最初の反応がありました。

ひっぴぃ♪(節操なし、即時廃炉脱原発 @hibinomakoto 2014-06-21 02:25:31
@kokuminyamero 仲パレに時間をかぶせるのであれば、路線論争のあり方、社会運動のあり方として、不適切であり【主張内容が正しくても】支持できません。その場合には『反日デモ』への不参加を私は呼び掛けることになります。時間帯を完全にずらす事を求めます。*2

ひっぴぃ♪(節操なし、即時廃炉脱原発 @hibinomakoto 2014-06-21 02:46:25
ちなみに『自由と人権は「国民」の占有物ではない @kokuminyamero』や『コトコトじっくり煮込んだ日帝
@kotokotonittei』は、主張内容はいいこと大事なことをたくさん言ってるけど、運動の作り方が党派的というか悪しきセクト主義的な雰囲気なのは、全く支持できない。*3

ひっぴぃ♪(節操なし、即時廃炉脱原発 @hibinomakoto 2014-06-21 02:52:18
実際に表に出にくい状態、弾圧を受けやすい状態にある時におかしやすい過ちの例でいうなら、『セックスワークの非犯罪化を要求するグループ
UNIDOS』と同様の誤りをおかしているように思います。。http://barairo.net/works/?p=61
*4

 ひびの氏はここで、私たちの発表したデモの趣旨文の内容には具体的に言及することなく、開催の「時間帯を完全にずらす事」を一方的に要求してきました。同時にひびの氏は「仲パレに時間をかぶせるのであれば、……『反日デモ』への不参加を私は呼び掛けることになります」と宣言しています。つまり、「時間帯を完全にずら」しなさい、さもなくば不参加呼びかけをするぞと私たちにせまったわけです。
 ひびの氏の不参加呼びかけが、私たち「反日デモ」主催者にとって実際のところ深刻な打撃になるかどうかはべつとして、ひびの氏がここでおこなっているのは、脅迫とよぶべき行為です。ひびの氏がやっているのは、相手にとって打撃となるだろうと想定した行動を示唆し、その威力によって相手の意思をまげてみずからの要求を通そうとするものなのですから。
 たしかに、社会運動体が、行政などにこうした脅迫的な働きかけをおこなうことはしばしばありますし、その場合「脅迫的」であるからといってその働きかけの手段としての正当性が否定されるわけではかならずしもないでしょう。労働組合が経営者に働きかける場合も同様です。働きかける相手が権力関係において自分たちより優位にあること、また、そうした権力関係のために自分たちが相手によって構造的に権利侵害を受けやすい立場にある(あるいは現に権利侵害を受けている)ことなど、脅迫的なアプローチを場合によって正当化しうる根拠が存在するのはたしかです。
 しかし、いち任意団体である「自由と人権は 『国民』の占有物ではないと考えるひとびと」が、特定の日時にデモを開催することを企画し、参加の呼びかけをおこなった、ということについて、「時間帯を完全にずら」せと脅迫されるいわれがどこにあるのでしょうか?
 また、ひびの氏は、根拠をいっさい示すことなく、レッテル貼りをおこなってもいます。「党派的」「悪しきセクト主義的」という言葉をどのような意味でつかっているのか、また、私たちの運動の作り方の具体的にどの点を指して「党派的」「悪しきセクト主義的」と言っているのか。こういった点についての明示的な説明を、ひびの氏はこの時点ではいっさいおこなっておりません。このひびの氏のふるまいは、意図的・戦略的なものとみなさざるをえません。
 相手とのあいだに自分に有利な権力関係をつくろうとする人は、しばしば、具体的な内容をわざとぼかした非難を相手に対してぶつけます。ここで戦略的に意図されているのは、自分と相手とのあいだに「教える者/教えを請う者」という関係性をつくりあげ、さらにその関係性を固定しようとすることです。つまり、「オレの言ってることが理解できないなら、オレにへりくだってオレに教えを請え」というわけです。
 ひびの氏は、上に引用したツイートでは、「仲パレに時間をかぶせる」ことが「路線論争のあり方、社会運動のあり方として、不適切」だと断じていますが、それがどのような点でなぜ「不適切」なのかという説明も、はぶいています。したがって、非難を受けている私たちからすれば、なにを非難されているのかあきらかではなく、ただただ不安な気持ちにさせられるほかなかったのです。私たちのあいだでも、ひびの氏がいったいなにを問題としようとしているのか、ひびの氏のツイートをどう解釈したらよいのか、すくなくない時間をついやして議論がおこなわれました。それは体力的にも精神的にも、なかなか消耗させられる経験でした。
 しかし、よくよく考えてみると、なんのことはない。ひびの氏のこの時点での私たちへの非難は、なんら中身のない誹謗中傷としかいえないものなのです。ひびの氏の非難を私たちが理解できなかったのは、当然です。ひびの氏は、上記3つのツイートからあきらかなように、いっさいの説明をはぶいているのですから。この奇妙なほどの説明の欠如は、ひびの氏が私たちに対して、そもそも説得的になにかをつたえようとする意思を欠いているものと解釈するよりほかありません。まるで「明示的に語られていないオレさまの真意を読みとれ。読みとれないならば、教えを請いに来い」と言われているかのようです。
 以上みてきたように、私たちがブログでデモの企画を発表し、参加を呼びかけた直後におけるひびの氏の反応は、対等な立場での対話を志向するものではなかったということはすくなくとも言えると思います。

その2につづきます。