(問題提起)「国民なめんな!」をめぐるあれこれについて

(かんじなしは ごじつ アップします)
以下の文章は1月23日におこなった「反日カフェ」で主催からの問題提起として発表させていただいた内容となります。
ぜひ、みなさんも読んで考えてみてください。考えて気づいたことを「国民」コールをしているひとに伝えてみてください。
また、もしあなたが今、色んなデモや抗議の場で「国民」コールを叫んでいる方なら、立ち止まって考えるきっかけにしてみてください。

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反日カフェ」問題提起発表

「国民なめんな!」をめぐるあれこれについて
はじめに
今回、<「国民なめんな!」をめぐるあれこれについて>という題をたてさせていただきました。
社会運動における「国民」コールについて取り上げたいということは当初より考えていたのですが、実は先月(2015.12)に繁華街を歩いておりましたら、シールズ関西が主催するデモと遭遇しました。
私は怖いもの見たさもあり、沿道からじっと眺めていたのですが、デモの参加者のなかには知った顔もちらほら見受けられる、なかには、沿道に立つ私の姿に気づいて笑顔で手を振りながら声をかけてくる人もいて、正直ちょっとバツが悪い思いをしたのですが、そんなときに聞こえてきたのが「国民なめんな!」のコールでした。
在日朝鮮人である私のことを一応は友人と思って声をかけてくるその人も一緒になって唱和する「国民なめんな!」の光景を前にして、なんだかスーッと血の気が引くような思いがしたのをおぼえています。
私はこれまでも「国民なめんな!」や「国民の声を聞け!」であったり、あるいは秘密法反対運動でよく目にした「国民の目・耳・口をふさぐ」といったフレーズに対して異を唱えてきたのですが、それまでずっと強調してきたのは「国民じゃないひとを排除するようなコールはやめろ」ということでした。
もちろん、その視点は今でも大事なこととしてあるのですが、「国民なめんな!」の唱和を実際に前にして私が抱いたある種の気持ち悪さ、あるいは恐怖感というのは、おそらく「排除されるから嫌だ」という感覚には回収できない、それをはみ出るものがあったと思います。
そしてその意味においては本当にその場に「国民」以外がいるのか、あるいはいないのか、といったことは多分、関係ありません。
この私が抱いた気持ち悪さ、恐怖感はなんだったんだろうと考えをめぐらせていくうちにふと気づきました。

(ああ、私は「国民」そのものが怖いんだ)

あそこでまるで「俺たちは国民だ!」と叫んでいるひとたちに怯えているのだ、と。
「国民」という概念は、その誕生においては、ある人々に対してより大きな自由や平等、人権といった解放のイデオロギーになりえたものだったのかもしれませんが、それが同時に「国民」非ざるものをつくりだす排除と抑圧のイデオロギーでもあったことは言うまでもありません。
そして私という在日朝鮮人にとってそれは常に後者でしかなかったわけです。
私にとって「国民」、日本国民とはどのような存在なのか。それはより強い側であり、差別してくる相手であり、歯向かうならば「日本が嫌なら出て行け」と平気に、簡単に口にするものたちなのです。「国民なめんな!」と唱和するひとびとは国家権力のほうしか向いていないのでしょうが、私にとっては「国民」もまた私を抑圧する権力でしかないわけです。
このことはたとえば街中で「男をなめんな!」であったり、「健常者なめんな!」あるいは「大卒なめんな!」というようなコールが響けばどうであろうかと想像してみると分かりやすいのかも知れません。
私にとっては、「国民なめんな」は「国民」と「なめんな」の間に点を入れて、さらに分かりやすく「お前たち」を付け加えるとむしろちょうどよくなります。「国民、おまえたちなめんな!」と。
「〜なめんな!」というコール、それは虐げられる側から発せられるときには告発の声として機能するのでしょうが、逆の立場から唱えられるそれは大きな恐怖を呼び起こします。

1.「反戦」運動における「国民」唱和、2つの擁護論
そんな排除だけでなく、恐怖をも呼び起こす「国民」コールですが、これまで決して少なくない批判がありながらも先に述べたように今に至っても使われ続けています。
私自身、過去に議論したさいに出てきた反応や、他に「国民」コールを擁護する意見にふれるなかで、そこには大別して2つの典型的な擁護論があることに気づきました。

1つは
「国民」とは日本に住む民、全体のことで在日外国人などを排除してはいない、という意見。
つまりそこには排除の意図はないし、おきてもいないという主張です。(擁護論1)

そしてもう1つは、
「国民」つまりは主権者という責任主体として日本政府に抗議しているのであるから「国民」コールは正当化されるという意見です。(擁護論2)

これらはそれぞれに問題を抱えた主張ですので、以下1つずつ検討を加えていくのですが、それに先立って一つの疑問を述べておきたいと思います。
それはこれら二つの擁護論が、結論においてこそ「国民」コールは正当化されるという一点で一致しますが、そこに至る理由が相互に矛盾するということです。前者は排除がないという主張であり、後者は排除があることは前提の上で正当化しているわけですから。この互いに相容れるはずのない主張によって「国民」コールが支えられ、現場で肩をならべ唱和される風景、これが意味するのは何なのかという疑問です。
この疑問ひとつを残しつつ、それではそれぞれの主張について検討を加えていきます。

2.擁護論1について
2−1.「かわりがない」?選び使われ続ける「国民」

「国民」とは日本にすむ民、全体をあらわしているのであって誰も排除していない、という主張についてですが、まず率直にいえることとして「排除されている」と訴えている存在を無視するな、というツッコミがあります。いまさらこんなことを改めて言う必要があるのかという気もしますが、どんなつもりがあるのかという意図が必ずしも現実の効果、結果と一致しないというのは当たり前のことです。
だからこそ、まずは訴えを真摯に受けとめるということがなにごとにおいても基本だと思うのですが、それがない。また、このようなことを言うひとのなかにはよく「でも、他に全体をあらわす言葉がない」といった反応もみうけられるのですが、これもおかしい。
「人民」「大衆」「市民」「わたしたち」「みんな」・・・とかわりがないということはないわけです。
もちろん今あげたものなら何も問題はないのかといえば、そこはきちんと吟味する必要もあるでしょうし、そもそも同じ場を共有していても決して一枚岩でなく、それぞれに様々な容易に越えられない、越えてはいけない対立線が無数にあるひとたちの間で、果たしてみなを一つに括る言葉が本当に必要なのかという問題意識も重要だと個人的には思っています。
また、「人民」といった言葉に対してイデオロギー性を感じて忌避する声も珍しくないように思われますが、私自身もイデオロギーまみれといえばまみれてるかなと思わなくもないです。しかしそうであるならば余計に、「国民」という言葉こそはるかに強力な国家イデオロギーに支えられたイデオロギーまみれ、しかも極めて排他的なそれであることを棚においてはならないと考えます。

2−2.法と「国民」
「国民」あるいは非「国民」という概念は国家イデオロギーによって形成されると同時に法によって規定される存在であり、ふたつは当然からみあっていますが、そのうち法によって規定された性格は客観的であり、それについては、日本に住む民、全体をあらわしているつもりといくら唱えたところで微動だにすることはできません。
ここで法と「国民」/非「国民」の関係を最も上位の法として日本国憲法をとりあげてみます。
日本国憲法はその文言において「国民」と書かれてあることは広く知られた事実ですが、これが極めて意図的に非「国民」をつくり排除する目的、特に旧植民地出身者である台湾人・朝鮮人を排除する目的に沿うものであったことは、日本国憲法の成立過程をふりかえると明確になります。ここでは3点あげます。

1つは翻訳の問題があります。英語の原文ではPeopleとあるものを敢えて「国民」と翻訳したことです。「国民」という日本語はNationの訳語として1900年前後、日清・日露戦争あたりから一般化してきたらしくやはり戦争、植民地主義と切り離せない言葉ですが、これをあえて選んだこと。
翻訳の問題では14条の平等原則にもあります。これも、もともとGHQ草案ではAll natural personつまり「すべての自然人」(一切ノ自然人)となるべきものを、まず英語原文の主語を草案のAll natural personからpersonに変えた上でさらに、これにも「国民」という訳を与えており、平等の原則は「国民」間同士のものへと限定されました。これは人種、信条、性別、社会的身分又は門地による差別されないと謳いつつ、国籍をそこから除外したことにも裏付けられます。

2つ目は既に14条の説明が先取りしていますが権利の主体を狭めるための草案そのものへの変更です。GHQ草案にはその16条において「外国人は平等に法律の保護を受くる権利を有す」という文言がありましたが、これに対応する現憲法の条文は存在しません。

そして3つ目はきわめつけですが、天皇ヒロヒト最後の勅令です。日本国憲法が施行される前日の1947年5月2日に明治憲法下の最後の勅令として外国人登録令が公布、即時適用されたことにより台湾人および朝鮮人について「当分の間、これを外国人とみなす」とされたのです。
これでは、日本国憲法が前文に続くその第一章第一条から八条において天皇制を存続させ国家と「国民」統合の象徴としたこともまるで頷けてしまうとしか言いようがないように思います。
このように法による「国民」の、そして非「国民」の規定のありかたが既に国家イデオロギーを具現化するというのは当たり前といえば当たり前のことですが、それは国籍法にもよく現れています。
特に「帰化」用件を定めた五条の三、四、そして六をごらんいただければと思います。

三 素行が善良であること
四 自己又は生計を一にする配偶者その他の親族の資産又は技能によって生計を営むことができること
六 日本国憲法施行の日以後において、日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを企て、若しくは主張し、若しくは主張する政党その他の団体を結成し、若しくはこれに加入したことがないこと

ここには日本という国家がいかなる存在を「国民」として迎え入れ、そしていかなる存在を非「国民」として留め、排除し、追放したいかという意志が表現されています。

2−3.非「国民」の権利状況
そして、このように「国民」とセットでつくられた非「国民」がどのような処遇におかれているかについて、見ていきたいと思いますが、その全体を描ききることは私の能力を越えますし、またとても数時間でおさまる話ではないのですが、ほんの一部ですが参考にしていただければと思います。

まず社会保障についてですが
生活保護は外国籍および無国籍者に対してこれは権利ではなく恩恵あつかいとなっており、実際上は受給は可能ですが、不当に申請が却下されたり、また受給していても打ち切られたりしても不服申し立てができないとされています。
また国民年金障害年金については難民条約の批准にともない社会保障における「内外人平等」の原則よりそれぞれ1982年に国籍条項が撤廃されさらに国民年金は1986年にカラ期間参入もできるように法改正がありましたので、多くの外国籍者も加入できるようになりましたが、すでに掛け金が払える期間を満たせない高齢者や82年当時既に20歳以上の障害者は無年金状態におかれました。これは制度開始時に同様の問題が日本人におこったとき、あるいは、中国残留孤児だったひとびとのうち日本で生活するようになったひとびとで同様の問題がおこったときには救済措置がとられたことを鑑みても明らかに差別的な処置です。このうち在日朝鮮人の無年金高齢者と障害者のひとびとは京都や大阪、そして福岡でそれぞれ国の不作為を訴えて裁判で闘いましたが、いずれも敗訴となり、無年金状態は現在も続いています。

教育の権利はどうでしょう。
朝鮮学校への差別の話だけでもあげきれませんが、2000年代に入ってからのものでも、たとえば朝鮮学校生徒の国公立大学への受験資格はながらく閉ざされており、わざわざ大検(当時)をとって受験しなければならないという状況でした。民受連など日本の学生有志とも連携し運動を展開していくなかで2003年にようやく一応の門戸が開いたという経緯があります。国公立大学以外においても朝鮮学校卒業生の進学を認めない、あるいは推薦入試資格を与えないという事例は今でもときに出てくることはあります。高校無償化制度からいまだに朝鮮学校の生徒が除外され続けていることも付け加えておきます。

就職はどうでしょう
民間でも民族差別の事例はことかかないですが、よくあるのは民族名の使用を認めないということや、近年では嫌がらせ目的で日本名使用者に対して民族名を強制したという事例もあります。これは就職してからの差別ですが、そもそもその機会を奪われる差別もあります。例えば国家資格第一種にあたるような職業からは排除されていますし、地方公務員においても課長以上のみちが閉ざされいるというのが現状です。弁護士や大学教員など一昔はなれなかったが闘争によって勝ち取ったものも少なくありません。

参政権について、
ご存知のように選挙権・被選挙権は地方・国政ともに認められていません。

また、「国民」は非「国民」のなかでもさらに正規/非正規、合法/不法、有国籍/無国籍とさらに線を引いていきますが、このうち非正規滞在者とされた在留資格のない外国人および無国籍者は事実上の無権利状態におかれています。退去強制事由に該当すると疑われれば、入管はその「容疑者」を裁判所の令所なしに拉致・監禁して取調べをおこない、退去強制(強制送還)が決定されれば、送還までのあいだ、拷問にもひとしい無期限の監禁をおこなっています。病気でも医者に診せなかったという事例、一日のうちに何本も親知らずをぬく手術をさせられた事例、東日本大震災が発生したときには避難させるどころか逃げないように鍵をかけたという事例もあります。また無理やりに強制送還させるために力ずくで飛行機に乗せようとするなかでガーナ人男性を殺害したという事件も2010年に起きています。この事件は地裁では被害者が勝訴しましたが、高裁では逆転敗訴となってしまいました。

2−4.不可視化の暴力、再現される植民地支配
ここであらためて擁護論1に立ち返りますが、「国民」がかれらが主張するように本当に日本に住む民全体をあらわしているのであれば、「国民」の平等を謳う憲法下に生きる、これら差別されときに迫害される外国籍者、無国籍者は<何者>ということになるのでしょうか。
それは都合の悪いなにかゴーストのような存在でしょうか。
「国民」が日本に生きるみなを指すという、一見「寛容」で「平和主義」的なこの意見の表明は、非「国民」が現実にどのような不安定な状況に晒されているかを見ないふりをするためのヴェールではないでしょうか。そして、そのような状況に晒されてなお非「国民」のまま抵抗してきたひとびとの存在、その歴史をも包み隠し、差別を結局は温存する方向にしかなりえないと私は考えます。
そして、このように一方で法の適用においては恣意的に差別の線を引きながらも、他方では「国民」として和合を呼びかける行為はまさに、植民地支配を想起させます。実は私がこの擁護論に最も拒否感情をおぼえたのはこの部分です。「またお前らの都合のいいときだけ「国民」にさせるのか」と、こう思ったのです。植民地統治において日本は朝鮮人も台湾人も帝国臣民として天皇のために死ぬことを、そのために一体になることを要求しながらも、他方では朝鮮戸籍令、台湾戸籍令というかたちで法的に差別の線をゆずりませんでした。先に述べた外国人登録令についても同じ類のこととしてとらえられるでしょう。同じことを「反戦」運動の場でも経験するとき、私は今も続く大日本帝国の根深さに身が震える思いがします。

3.擁護論2について
3−1.「国民なめんな!」に先行する無音のコール

2つめの擁護論にうつります。
「国民」つまりは主権者という責任主体として政府につきつける運動なのだから正当である、というこれですが、先に断っておくと私は責任主体としての日本国民がたち現れることを必ずしも否定しません。しかし、それは責任のベクトル、つまり誰に応答するための責任主体であるかがポイントになります。日本国民が責任主体としてたち現れるべきなのは、それはまさに非「国民」からの告発の応答主体としてです。具体的には過去の侵略戦争、植民地支配責任を日本は果たさずにきましたが、これは日本国民がアジアの民衆に対して負う責任だと思います。
しかしここで語られていることはまるで違うわけですね。ここで語られる責任は日本の他者に向かずに、「国民」の国家に対する責任という風に国家の中で閉じて完結してしまっています。そしてそれを基礎付けているのが「国民」こそが主権者であるという信念です。彼らは「国民なめんな!」コールを通して、「わたしたちは国民だ!」「国民が主権者だ!」「主権者であるわたしたちをなめんな!」という無音のコールを叫んでいると思うんですね。
先に憲法の成立過程でも明らかになったように、「国民」=主権者という日本の国民主権、それに基づく「戦後」体制というのは植民地民衆の切り捨てに他ならないわけでした。その「戦後」民主主義に対する批判的視座が完全に失われており、それは克服されるべきものではなく護るべきものへとなってしまっています。

3−2.「わたし」の無力化
また、この擁護論の立場から「国民なめんな!」を聞くともう一つのことを思います。それは「わたし」そのものよりも「国民であるわたし」のほうが上位であると自ら認めてしまっていることです。「わたし」そのものの価値を、尊厳を、あるいは、力を信じていないといってもよいでしょう。これでは社会運動を「議会制民主主義」の枠内という限界に閉じ込めてしまうのは避けられないように思います。それを最も痛切にかんじたのが、戦争法が暴力的に(「髭の隊長」とかほんとに殴っていましたね)強制可決されたときに思いました。そのときになっても国会外では「次は選挙だ!」と叫ばれたわけです。私はいまさらびっくりはしませんでしたが、ほんとについ今しがたまで何を見せられたつもりなのだろうかとつくづく不思議にはなりました。

3−3.「国民」は「国民」を代表できない、統治する側のための言葉としての「国民」
思うに「国民」コールは別の点でも不思議です。というのはあらゆる政治的イシューのそのほとんどにおいて「国民」内部であってもその意見が一致することは無く、必ずといってよいほど対立があるという単純な事実ひとつとってみてもわかりますが、「国民」が「国民」を代表するのは不可能です。それは多数派になっても変わりませんし、そもそも社会運動の多くの場合において闘いはいつも少数派からのようにも思います。いずれにせよ多寡に関わらず、何をもって「国民の理解」、「国民の声」とするかを決めるのは統治する側でしょう。「国民」とはもともと、そして今でも統治する側のための言葉だからです。そう考えると、彼らは選ばれなかった側の「国民」であることに怒っているのかもしれませんし、既に統治する側による非「国民」化がはじまっていることをどこかで感じ取って「わたしたちは国民だ!」と叫んでいるのかもしれません。しかし、私はこれが真の対抗になりえるとは思えません。

3−4.<国家権力 対 国民>という構図の不可能さ
なぜなら、国民国家とその「国民」こそが「国家、国民をまもるため」という大義名分をもって戦争を遂行する主体だからです。「国民」の座にしがみつきながら国家に対峙しようとしても、それはいつでも容易に国家権力に回収され転換する構造を抱えることになるのは必然ではないでしょうか。私はそれを、反戦争法の運動においてですら自衛隊と個別的自衛権を容認し、さらにはそれをより安定させるために9条改悪の支持まで出てくる現象にみてとります。「集団的自衛権は日本をまもることにはならず、国民をより大きな危険にさらす」というロジックもこの枠内にあります。ここで起きているのは国家と「国民」をまもるためのよりよい策を巡る、闘争ではなく交渉であり、本来アジアへの責任という意味をもつべき憲法9条ですらその土俵にのせられていると思うのです。去年参加した京都のわりと大きなデモでは「自衛隊員をまもれ」というコールまでありますが、そもそも戦争をするための訓練をさせる自衛隊そのものの廃止を唱える声はそこにありませんでした。
国民国家という戦争装置をより強固にする言説による反戦運動は戦争で戦争を克服するというくらい無理な話ではないでしょうか。戦争主体としての国民国家に対抗しうるのは「国民」ではなく非「国民」であり反国家、つまりは反日であると私は思います。

おわりに

時間もまいりましたので、以上「国民」コールを支える2つの擁護論を検討してまいりました。この2つの相互矛盾する声によって支えられる意味にまではたどりつけませんでしたが、このあとのディスカッションでも意見を伺えるとうれしいです。また、運動がここまで至った軌跡をわたしたちはどこから捉え、また過去の教訓をも鑑みてどこへ進むのかも今後の課題として考えたいところです。
ご清聴ありがとうございました。