米津篤八(よねづ とくや)さんからのメッセージ

※本日7/20はデモ当日であるため、現時点で寄せられているメッセージをすべて公開させていただきますが、この4つの記事に関しては、明日以降また一日ひとつずつ再度紹介させていただくことにします。
ご了承ください。

※ほんじつ 7/20は でも とうじつで あるため、 げんじてんで よせられている めっせーじを すべて こうかい させて いただきますが、 この 4つの きじに かんしては、 あすいこう また いちにち ひとつずつ さいど しょうかいさせて いただきます。
ごりょうしょう ください。

米津篤八(よねづ とくや)さんからのメッセージです。2つめは、かんじつかってません。

****かんじ、つかってます****

権力による支配は、一方的な弾圧だけでは成り立たない。力ずくで抵抗を押さえ込むのは、けっこうなコストがかかるうえ、さらなる抵抗を呼び起こし、権力の基盤をも堀崩すことになる。もっと頭のいいやり方は、被支配者のなかに協力者をつくることだ。

日本はそのことを1919年、朝鮮の3・1独立運動から学んだ。それまでの「武断政治」は、全朝鮮人を敵に回した。小学生までもが太極旗を手に、自発的にデモに参加した。日本は数万人もの朝鮮人を殺して、独立運動を武力で押さえ込んだが、それを契機に「文化政治」へと方針を切り替えた。朝鮮人にも一定の範囲で出世や金儲けの機会を与え、自治と平等への幻想を与えたのだ。

その結果、「親日派」が生まれた。朝鮮語で「親日派(チニルパ)」というのは、「日本が好きな人たち」という意味ではない。「日本帝国主義の協力者」という意味だ。日本の権力層に協力し、警官や官吏になって、同じ朝鮮人を搾取・弾圧した人たちのことだ。

彼らはなぜ、親日派になったのだろうか。自分だけの出世を考えた人もいるだろう。だが、日本に協力することが朝鮮人の生活の底上げにつながり、差別の解消につながるという「善意」から親日派になった人たちもいるだろう。結果的に、その「善意」は日本によって手ひどく裏切られたわけだが。

このように、日本は帝国主義支配のセオリー通り、朝鮮人を分割して統治した。朝鮮人を二種類に分け、独立をたくらむ「悪い朝鮮人」を「排除」し、日本に協力する「良い朝鮮人」を「包摂」したのだ。

その例のひとつが、関東大震災朝鮮人虐殺にあたって警視庁が撒いたビラの文章だ。そこにはこうある。
「鮮人(ママ)の大部分は順良なるものにつき、みだりにこれを迫害し、暴行を加うる等なきよう注意せられたし」(表記は現代仮名遣いにあらためた)

つまり、「悪い朝鮮人」(不逞鮮人)に分類された者は、迫害し、暴行してもいいというわけだ。

朝鮮人のなかに打ち込まれたその「くさび」は、いまの南北分断にまでつながっている。その「くさび」が、朝鮮本国だけでなく、在日朝鮮人をも分断している。

いま、在特会などのヘイトスピーチが問題になっている。それに対して、「仲良くしようぜ」というスローガンによって対抗しようとする人たちがいる。

「仲良く」?
誰と誰が?

「日韓なかよくしようぜ会」の趣旨文には、こうある。
朝鮮民主主義人民共和国の無辜の市民の存在を排除するものではありません」
つまり、彼らによれば、「無辜でない朝鮮人」は、排除の対象らしい。これは1923年9月3日の警視庁のビラと、どう違うのか。
無辜の朝鮮人と、無辜でない朝鮮人。順良な朝鮮人と、不逞鮮人。仲良くすべき朝鮮人と、殺されてもいい朝鮮人。誰が、どのような基準で分けるのか。日の丸を嫌悪し、天皇を憎む者は、無辜なのか、無辜でないのか。日本人に、それを決める資格はあるのか。

ひとつ、日本人が肝に銘じておくべきことがある。日本帝国主義下で「不逞鮮人」として排除の対象とされた朝鮮人こそ、最後まで日本の侵略と戦い、解放後には朝鮮民主主義人民共和国を打ち立てたのだという歴史的事実だ。

そして、朝鮮学校朝鮮総連が日本社会でいまも排除の対象とされているのは、その朝鮮民主主義人民共和国を「祖国」とみなしているが故なのだ。

それは単なるレイシズムの問題ではない。日本帝国主義がいまも生きている証拠なのだ。日本人には朝鮮人を二つに分類する権利があるという思い上がり。血塗られた手を洗うこともなく、勝手に「順良」とみなした朝鮮人に対して「仲良くしようぜ」と、その手を差し伸べる厚かましさ。それこそが、帝国主義根性なのだ。

****かんじ、つかってません****

けんりょくによる しはいは、いっぽうてきな だんあつ だけでは なりたたない。ちからずくで ていこうを おさえこむのは、けっこうな
コストが かかる うえ、さらなる ていこうを よびおこし、けんりょくの きばんをも ほりくずす ことに なる。もっと あたまの いい
やりかたは、ひしはいしゃの なかに きょうりょくしゃを つくる ことだ。

にほんは そのことを 1919ねん、ちょうせんの 3・1どくりつ うんどう から まなんだ。それまでの「ぶだん せいじ(武断政治)」は、ぜん
ちょうせんじんを てきに まわした。しょうがくせい までもが テグッキ(太極旗、たいきょくき)を てに、じはつてきに デモに さんか
した。にほんは すうまんにんもの ちょうせんじんを ころして、どくりつ うんどうを ぶりょくで おさえこんだが、それを けいきに「ぶんか
せいじ」へと ほうしんを きりかえた。ちょうせんじん にも いっていの はんいで しゅっせや かねもうけの きかいを あたえ、じちと
びょうどうへの げんそうを あたえたのだ。

そのけっか、「しんにちは(親日派)」が うまれた。ちょうせんごで「親日派(チニルパ)」というのは、「にほんが すきな ひとたち」という
いみでは ない。「にほん ていこく しゅぎの きょうりょくしゃ」という いみだ。にほんの けんりょくそうに きょうりょく し、けいかんや
かんりに なって、おなじ ちょうせんじんを さくしゅ・だんあつ した ひとたちの ことだ。

かれらは なぜ、しんにちはに なったの だろうか。じぶん だけの しゅっせを かんがえた ひとも いる だろう。だが、にほんに きょうりょく
する ことが ちょうせんじんの せいかつの そこあげに つながり、さべつの かいしょうに つながる という「ぜんい」から しんにちはに
なった ひとたちも いる だろう。けっかてきに、その「ぜんい」は にほんによって てひどく うらぎられた わけだが。

このように、にほんは ていこく しゅぎ しはいの セオリーどおり、ちょうせんじんを ぶんかつ して とうち した。ちょうせんじんを
2しゅるいに わけ、どくりつを たくらむ「わるい ちょうせんじん」を「はいじょ」し、にほんに きょうりょく する「よい
ちょうせんじん」を「ほうせつ」したのだ。

その れいの ひとつが、かんとう だいしんさいの ちょうせんじん ぎゃくさつに あたって けいしちょうが まいた ビラの ぶんしょうだ。そこには こう ある。
「鮮人(せんじん、ママ)の だいぶぶんは じゅんりょう(順良)なる ものに つき、みだりに これを はくがいし、ぼうこうを くわうるとう
なきよう ちゅうい せられたし」(ひょうきは げんだい かなづかいに あらためた)

つまり、「わるい ちょうせんじん」(ふてい せんじん)に ぶんるい された ものは、はくがい し、ぼうこう しても いい という わけだ。

ちょうせんじんの なかに うちこまれた その「くさび」は、いまの なんぼく ぶんだんに まで つながって いる。その「くさび」が、ちょうせん
ほんごく だけで なく、ざいにち ちょうせんじんをも ぶんだん して いる。

いま、ざいとくかい などの ヘイトスピーチが もんだいに なって いる。それに たいして、「なかよく しようぜ」という スローガンによって
たいこう しようと する ひとたちがいる。

「なかよく」?
だれと だれが?

「日韓(にっかん)なかよくしようぜ会(かい)」の しゅしぶん には、こうある。
「ちょうせん みんしゅしゅぎ じんみん きょうわこくの 無辜(むこ)の しみんの そんざいを はいじょ する もの では ありません」
つまり、かれらに よれば、「無辜(むこ)でない ちょうせんじん」は、はいじょの たいしょう らしい。これは 1923ねん9がつ3にちの
けいしちょうの ビラと、どう ちがうのか。
むこの ちょうせんじんと、むこで ない ちょうせんじん。じゅんりょうな ちょうせんじんと、ふてい せんじん。なかよく すべき
ちょうせんじんと、ころされても いい ちょうせんじん。だれが、どのような きじゅんで わけるのか。ひのまるを けんおし、てんのうを にくむ
ものは、むこなのか、むこで ないのか。にほんじんに、それを きめる しかくは あるのか。

ひとつ、にほんじんが きもに めいじて おくべき ことが ある。にほん ていこく しゅぎ かで「ふてい せんじん」として はいじょの
たいしょうと された ちょうせんじん こそ、さいご まで にほんの しんりゃくと たたかい、かいほうごには ちょうせん みんしゅしゅぎ
じんみん きょうわこくを うちたてたのだ という れきしてき じじつだ。

そして、ちょうせん がっこうや ちょうせん そうれんが にほん しゃかいで いまも はいじょの たいしょうと されて いる のは、その
ちょうせん みんしゅしゅぎ じんみん きょうわこくを「そこく」と みなして いるが ゆえなのだ。

それは たんなる レイシズムの もんだいでは ない。にほん ていこく しゅぎが いまも いきて いる しょうこ なのだ。にほんじんには
ちょうせんじんを ふたつに ぶんるい する けんりが ある という おもいあがり。ちぬられた てを あらう ことも
なく、かってに「じゅんりょう」と みなした ちょうせんじんに たいして「なかよく しようぜ」と、その てを さしのべる
あつかましさ。それこそが、ていこくしゅぎ こんじょう なのだ。