(もんだいていき) 「こくみん なめんな!」 を めぐる あれこれ に ついて

ぜんかい の きじ の ひらがな ばん です。

いか の ぶんしょう は 1 がつ 23 にち に おこなった 「はんにち かふぇ」 で しゅさい から の もんだい ていき として はっぴょう させて いただいた ないよう と なります。
ぜひ、 みなさん も よんで かんがえて みて ください。 かんがえて きづいた こと を 「こくみん」 こーる を して いる ひと に つたえて みて ください。
また、 もし あなた が いま、 いろんな でも や こうぎ の ば で 「こくみん」 こーる を さけんで いる ほう なら、 たちどまって かんがえる きっかけ に して みて ください。

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「はんにち かふぇ」 もんだい ていき はっぴょう

「こくみん なめん な!」 を めぐる あれこれ について

はじめ に

こんかい、 <「こくみん なめんな!」 を めぐる あれこれ について> という だい を たてさせて いただきました。
しゃかい うんどう における 「こくみん」 こーる について とりあげたい という こと は とうしょ より かんがえて いた の です が、 じつは せんげつ (2015.12) に はんかがい を あるいて おりましたら、 しーるず かんさい が しゅさい する でも と そうぐう しました。
わたし は こわい もの みた さ も あり、 えんどう から じっと ながめて いた の です が、 でも の さんかしゃ の なかには しった かお も ちらほら みうけられる、 なかには、 えんどう に たつ わたし の すがた に きづいて えがお で て を ふりながら こえ を かけて くる ひと も いて、 しょうじき ちょっと ばつ が わるい おもい を した の です が、 そんな とき に きこえて きた の が 「こくみん なめんな!」 の こーる でした。
ざいにち ちょうせんじん である わたし の こと を いちおう は ゆうじん と おもって こえ を かけて くる その ひと も いっしょ に なって しょうわ する 「こくみん なめん な!」 の こうけい を まえ に して、 なんだか すーっ と ちのけ が ひく よう な おもい が した の を おぼえて います。
わたし は これ まで も 「こくみん なめんな!」 や 「こくみん の こえ を きけ!」 で あったり、 あるいは ひみつほう はんたい うんどう で よく め に した 「こくみん の め ・ みみ ・ くち を ふさぐ」 といった ふれーず にたいして はんたい を となえて きた の です が、 それ まで ずっと きょうちょう して きた の は 「こくみん じゃ ない ひと を はいじょ する よう な こーる は やめろ」 という こと でした。
もちろん、 その してん は いま でも だいじ な こと として ある の です が、 「こくみん なめんな!」 の しょうわ を じっさい に まえ に して わたし が いだいた ある しゅ の きもち わるさ、 あるいは きょうふかん という の は、 おそらく 「はいじょ されるから いや だ」 という かんかく に は かいしゅう できない、 それ を はみでる もの が あった と おもいます。
そして その いみ に おいては ほんとうに その ば に 「こくみん」 いがい が いる の か、 あるいは いない の か、 といった こと は たぶん、 かんけい ありません。
この わたし が だいた きもち わるさ、 きょうふかん は なん だった ん だろう と かんがえ を めぐらせて いく うち に ふと きづきました。

(ああ、 わたし は 「こくみん」 そのもの が こわい ん だ)

あそこ で まるで 「おれたち は こくみん だ!」 と さけんで いる ひとたち に おびえて いる の だ、 と。
「こくみん」 という がいねん は、 その たんじょう において は、 ある ひとびと にたいして より おおきな じゆう や びょうどう、 じんけん といった かいほう の いでおろぎー に なりえた もの だった の かも しれません が、 それ が どうじに 「こくみん」 あらざる もの を つくりだす はいじょ と よくあつ の いでおろぎー でも あった こと は いうまで も ありません。
そして わたし という ざいにち ちょうせんじん にとって それ は つねに こうしゃ で しか なかっ た わけ です。
わたし にとって 「こくみん」、 にほん こくみん と は どの よう な そんざい なのか。 それ は より つよいがわ であり、 さべつ して くる あいて であり、 はむかう ならば 「にほん が いや なら でて いけ」 と へいき に、 かんたん に くち に する ものたち なのです。 「こくみん なめんな!」 と しょうわ する ひとびとは こっか けんりょく の ほう しか むいて いない の でしょう が、 わたし にとって は 「こくみん」 も また わたし を よくあつ する けんりょく で しか ない わけ です。
この こと は たとえば まちちゅう で 「おとこ を なめんな!」 であったり、 「けんじょうしゃ なめんな!」 あるいは 「だいそつ なめんな!」 という よう な こーる が ひびけば どう であろう か と そうぞう して みると わかり やすい の かも しれません。
わたし にとって は、 「こくみん なめん な」 は 「こくみん」 と 「なめん な」 の ま に てん を いれて、 さらに わかり やすく 「おまえたち」 を つけくわえると むしろ ちょうど よく なります。 「こくみん、 おまえたち なめん な!」 と。
「〜なめん な!」 という こーる、 それ は しいたげられるがわ から はっせられる とき には こくはつ の こえ として きのう する の でしょうが、 ぎゃく の たちば から となえられる それ は おおきな きょうふ を よびおこします。

1.「はんせん」 うんどう における 「こくみん」 しょうわ、 2つの ようごろん

そんな はいじょ だけ でなく、 きょうふ を も よびおこす 「こくみん」 こーる です が、 これ まで けっして すくなく ない ひはん が ありながら も さき に のべた よう に いま に いたって も つかわれつづけて います。
わたし じしん、 かこ に ぎろん した さい に でて きた はんのう や、 た に 「こくみん」 こーる を ようご する いけん に ふれる なか で、 そこ には たいべつ して 2つの てんけいてき な ようごろん が ある こと に きづきました。

1つは
「こくみん」 と は にほん に すむ たみ、 ぜんたい の こと で ざいにち がいこくじん など を はいじょ して は いない、 という いけん。
つまり そこには はいじょ の いと は ない し、 おきて も いない という しゅちょう です。 (ようごろん 1)

そして もう 1つは、 
「こくみん」 つまり は しゅけんしゃ という せきにん しゅたい として にほん せいふ に こうぎ して いる の である から 「こくみん」 こーる は せいとうか されるという いけん です。 (ようごろん 2)

これら は それぞれ に もんだい を かかえた しゅちょう です ので、 いか 1つ ずつ けんとう を くわえて いく の です が、 それ に さきだって ひとつ の ぎもん を のべて おきたい と おもいます。
それ は これら ふたつ の ようごろん が、 けつろん において こそ 「こくみん」 こーる は せいとうか されるという いってん で いっち します が、 そこ に いたる りゆう が そうご に むじゅん するという こと です。 ぜんしゃ は はいじょ が ない という しゅちょう であり、 こうしゃ は はいじょ が ある こと は ぜんてい の うえ で せいとうか して いる わけ です から。 この たがいに あい いれる はず の ない しゅちょう によって 「こくみん」 こーる が ささえられ、 げんば で かた を ならべ しょうわ される ふうけい、 これ が いみ するのは なんなのか という ぎもん です。
この ぎもん ひとつ を のこしつつ、 それでは それぞれ の しゅちょう について けんとう を くわえて いきます。

2.ようごろん1 について
2−1.「かわり が ない」?えらび つかわれつづける 「こくみん」

「こくみん」 と は にほん に すむ たみ、 ぜんたい を あらわして いる の であって だれ も はいじょ して いない、 という しゅちょう について ですが、 まず そっちょくに いえる こと として 「はいじょ されて いる」 と うったえて いる そんざい を むし するな、 という つっこみ が あります。 いまさら こんな こと を あらためて いう ひつよう が ある の か という き も します が、 どんな つもり が ある の か という いと が かならずしも げんじつ の こうか、 けっか と いっち しない という の は あたりまえ の こと です。
だからこそ、 まずは うったえ を しんし に うけとめるという こと が なにごとにおいても きほんだと おもうのですが、 それ が ない。 また、 この よう な こと を いう ひと の なかには よく 「でも、 ほかに ぜんたい を あらわす ことば が ない」 といった はんのう も みうけられる の ですが、 これ も おかしい。
「じんみん」「たいしゅう」「しみん」「わたしたち」「みんな」 ・ ・ ・ と かわり が ない という ことは ない わけ です。
もちろん いま あげた もの なら なに も もんだいは ないのか と いえば、 そこ は きちんと ぎんみ する ひつよう も あるでしょうし、 そもそも おなじ ば を きょうゆう していても けっして いちまいいわ でなく、 それぞれ に さまざま な かんたん に こえられない、 こえて は いけない たいりつせん が むすう に ある ひとたちの あいだ で、 はたして みな を ひとつ に くくる ことば が ほんとうに ひつようなのか という もんだい いしき も じゅうようだと こじんてき に は おもって います。
また、 「じんみん」 といった ことば にたいして いでおろぎーせい を かんじて きひ する こえ も めずらしくない よう に おもわれます が、 わたし じしん も いでおろぎーまみれ と いえば まみれてる かな と おもわなく も ない です。 しかし そうであるなら ば よけい に、 「こくみん」 という ことば こそ はるか に きょうりょく な こっか いでおろぎー に ささえられた いでおろぎーまみれ、 しかも きわめて はいたてき な それ である こと を たな において は ならない と かんがえます。

2−2.ほう と 「こくみん」

「こくみん」 あるいは ひ「こくみん」 という がいねん は こっか いでおろぎー によって けいせい されると どうじに ほう によって きてい される そんざい であり、 ふたつ は とうぜん からみあって います が、 そのうち ほう によって きてい された せいかく は きゃっかんてき であり、 それ について は、 にほん に すむ たみ、 ぜんたい を あらわして いる つもり と いくら となえた ところ で びどう だに する こと は できません。
ここで ほう と 「こくみん」/ ひ「こくみん」 の かんけい を もっとも じょうい の ほう として にほんこく けんぽう を とりあげて みます。
にほんこく けんぽう は その もんごん において 「こくみん」 と かかれて ある こと は ひろく しられた じじつ です が、 これ が きわめて いとてき に ひ「こくみん」 を つくり はいじょ する もくてき、 とくに きゅうしょくみんち しゅっしんしゃ である たいわんじん ・ ちょうせんじん を はいじょ する もくてき に そう もの であった こと は、 にほんこく けんぽう の せいりつ かてい を ふりかえると めいかく に なります。 ここ で は 3 てん あげます。

1つ は ほんやく の もんだい が あります。 えいご の げんぶん で は People とある もの を あえて 「こくみん」 と ほんやく した こと です。 「こくみん」 という にほんご は Nation の やくご として 1900 とし ぜんご、 にっしん ・ にちろ せんそうあたり から いっぱんか して きたらしく やはり せんそう、 しょくみんち しゅぎ と きりはなせない ことば です が、 これ を あえて えらんだ こと。
ほんやく の もんだい で は 14じょう の びょうどう げんそく に も あります。 これ も、 もともと GHQ そうあん で は All natural person つまり 「すべて の しぜんじん」(いっさい の しぜんじん) と なるべき もの を、 まず えいご げんぶん の しゅご を そうあん の All natural person から person に かえた うえ で さらに、 これにも 「こくみん」 という やく を あたえて おり、 びょうどう の げんそく は 「こくみん」 かん どうし の ものへと げんてい されました。 これ は じんしゅ、 しんじょう、 せいべつ、 しゃかいてき みぶん または もんち によって さべつ されない と うたいつつ、 こくせき を そこ から じょがい した こと に も うらづけられます。

2つめ は すでに 14じょう の せつめい が さきどり して います が、 けんり の しゅたい を せばめる ため の そうあん そのもの へ の へんこう です。 GHQ そうあんには その 16じょう に おいて 「がいこくじん は びょうどう に ほうりつ の ほご を うくる けんり を ゆうす」 という もんごん が ありました が、 これ に たいおう する げんけんぽう の じょうぶん は そんざい しません。

そして 3つ め は きわめつけです が、 てんのう ひろひと さいご の ちょくれい です。 にほんこく けんぽう が しこう される ぜんじつ の 1947 ねん 5がつ 2にち めいじ けんぽうか の さいご の ちょくれい として がいこくじん とうろくれい が こうふ、 そくじ てきよう された こと により たいわんじん および ちょうせんじん について 「とうぶん の あいだ、 これ を がいこくじん と みなす」 と された の です。
これ で は、 にほんこく けんぽう が ぜんぶん に つづく その だいいっしょう だいいちじょう から はちじょう において てんのうせい を そんぞく させ こっか と 「こくみん」 とうごう の しょうちょう と した こと も まるで うなづけて しまうとしか いいようがない よう に おもいます。
このように ほう による 「こくみん」 の、 そして ひ「こくみん」 の きてい の ありかた が すでに こっか いでおろぎー を ぐげんか するという の は あたりまえ と いえば あたりまえ の ことですが、 それは こくせきほう に も よく あらわれて います。
とくに 「きか」 ようけん を さだめた ごじょう の さん、 よん、 そして ろく を ごらん いただければ と おもいます。

さん   そこう が ぜんりょう である こと
よん   じこ または せいけい を ひとつ に する はいぐうしゃ そのた の しんぞく の しさん または ぎのう によって せいけい を いとなむ こと が できる こと
ろく   にほんこく けんぽう しこう の ひ いご に おいて、 にほんこく けんぽう または その もと に せいりつ した せいふ を ぼうりょく で はかい すること を くわだて、 もしくは しゅちょうし、 もしくは しゅちょう する せいとう そのた の だんたい を けっせい し、 もしくは これに かにゅう した こと が ない こと

ここには にほん という こっか が いかなる そんざい を 「こくみん」 として むかえいれ、 そして いかなる そんざい を ひ「こくみん」 として とどめ、 はいじょ し、 ついほう したい か という いし が ひょうげん されて います。

2−3.ひ「こくみん」 の けんり じょうきょう

そして、 この よう に 「こくみん」 と せっと で つくられた ひ 「こくみん」 が どの よう な しょぐう に おかれて いるか について、 みて いきたい と おもいます が、 その ぜんたい を えがききる こと は わたし の のうりょく を こえます し、 また とても すうじかん で おさまる はなし で は ない の です が、 ほんの いちぶ です が さんこう に して いただければ と おもいます。

まず しゃかい ほしょう について です が
せいかつ ほご は がいこく せき および むこくせきしゃ に たいして これ は けんり で は なく おんけい あつかいと なって おり、 じっさいじょう は じゅきゅう は かのう です が、 ふとう に しんせい が きゃっか されたり、 また じゅきゅう して いて も うちきられたり して も ふふく もうしたて が できない と されて います。
また こくみん ねんきん ・ しょうがい ねんきん について は なんみん じょうやく の ひじゅん に ともない しゃかい ほしょう における 「ないがいじん びょうどう」 の げんそく より それぞれ 1982ねん に こくせき じょうこう が てっぱい され さらに こくみん ねんきん は 1986ねん に から きかん さんにゅう も できる よう に ほう かいせい が ありました ので、 おおく の がいこく せきしゃ も かにゅう できるよう に なりましたが、 すでに かけきん が はらえる きかん を みたせない こうれいしゃ や 82ねん とうじ すでに 20さい いじょう の しょうがいしゃ は むねんきん じょうたい に おかれました。 これ は せいど かいしじ に どうよう の もんだい が にほんじん に おこった とき、 あるいは、 ちゅうごく ざんりゅう こじ だった ひとびとのうち にほん で せいかつ する よう に なった ひとびとで どうよう の もんだい が おこった とき に は きゅうさい そち が とられた こと を かんがみて も あきらか に さべつてき な しょち です。 この うち ざいにち ちょうせんじん の むねんきん こうれいしゃ と しょうがいしゃ の ひとびとは きょうと や おおさか、 そして ふくおか で それぞれ くに の ふさくい を うったえて さいばん で たたかいました が、 いずれ も はいそ と なり、 むねんきん じょうたい は げんざい も つづいて います。

きょういく の けんり は どう でしょう。
ちょうせん がっこうへの さべつ の はなし だけ でも あげきれません が、 2000ねんだい に はいって から の ものでも、 たとえば ちょうせん がっこう せいと の こっこうりつ だいがく へ の じゅけん しかく は ながらく とざされて おり、 わざわざ だいけん (とうじ) を とって じゅけん しなけれ ば ならない という じょうきょう でした。 みんじゅれん など にほん の がくせい ゆうし とも れんけい し うんどう を てんかい して いく なか で 2003ねん に ようやく いちおう の もんこ が ひらいた という けいい が あります。 こっこうりつ だいがく いがい において も ちょうせん がっこう そつぎょうせい の しんがく を みとめない、 あるいは すいせん にゅうし しかく を あたえない という じれい は いま でも とき に でて くる こと は あります。 こうこう むしょうか せいど から いまだに ちょうせん がっこう の せいと が じょがい されつづけて いる こと も つけくわえて おきます。

しゅうしょく は どう でしょう
みんかんでも みんぞく さべつ の じれい は ことかかないです が、 よく あるのは みんぞくめい の しよう を みとめない という こと や、 きんねん で は いやがらせ もくてき で にほんめい しようしゃ にたいして みんぞくめい を きょうせい した という じれい も あります。 これは しゅうしょく して から の さべつ です が、 そもそも その きかい を うばわれる さべつ も あります。 たとえば こっか しかく だいいっしゅ に あたる よう な しょくぎょう から は はいじょ されて います し、 ちほう こうむいん において も かちょう いじょう の みち が とざされいるという の が げんじょう です。 べんごし や だいがく きょういん など ひとむかし は なれなかった が とうそう によって かちとった もの も すくなく ありません。

さんせいけん について、 
ごぞんじ の よう に せんきょけん ・ ひせんきょけん は ちほう ・ こくせいとも に みとめられて いません。

また、 「こくみん」 は ひ「こくみん」 の なか でも さらに せいき / ひせいき、 ごうほう / ふほう、 ゆうこくせき / むこくせき と さらに せん を ひいて いきます が、 この うち ひせいき たいざいしゃ と された ざいりゅう しかく の ない がいこくじん および むこくせきしゃ は じじつじょう の むけんり じょうたい に おかれて います。 たいきょ きょうせい じゆう に がいとう すると うたがわれれば、 にゅうかん は その 「ようぎしゃ」 を さいばんしょ の れいじょう なし に らち ・ かんきん して とりしらべ を おこない、 たいきょ きょうせい (きょうせい そうかん) が けってい されれば、 そうかん まで の あいだ、 ごうもん に も ひとしい むきげん の かんきん を おこなって います。 びょうき で も いしゃ に みせなかった という じれい、 いちにち の うち に なんほん も おやしらず を ぬく しゅじゅつ を させられた じれい、 ひがしにほん だいしんさい が はっせい した とき に は ひなん させるどころか にげないように かぎ を かけた という じれい も あります。 また むりやり に きょうせい そうかん させる ため に ちからずく で ひこうき に のせよう と する なか で がーなじん だんせい を さつがい した という じけん も 2010ねん に おきて います。 この じけん は ちさい で は ひがいしゃ が しょうそ しました が、 こうさい で は ぎゃくてん はいそ と なって しまいました。

2−4.ふかしか の ぼうりょく、 さいげん される しょくみんち しはい

ここ で あらためて ようごろん 1 に たちかえります が、 「こくみん」 が かれら が しゅちょう する よう に ほんとうに にほん に すむ たみ ぜんたい を あらわして いる の であれ ば、 「こくみん」 の びょうどう を うたう けんぽうか に いきる、 これら さべつ され、 とき に はくがい される がいこく せきしゃ、 むこくせきしゃ は <なにもの> という こと に なる の でしょう か。
それ は つごう の わるい なにか ごーすと の よう な そんざい でしょう か。
「こくみん」 が にほん に いきる みな を さすという、 いっけん 「かんよう」 で 「へいわ しゅぎ」 てき な この いけん の ひょうめい は、 ひ「こくみん」 が げんじつ に どのような ふあんてい な じょうきょう に さらされて いるか を みないふり を するための ゔぇーる で は ないでしょうか。 そして、 そのような じょうきょう に さらされて なお ひ「こくみん」 の まま ていこう して きた ひとびとの そんざい、 その れきし を も つつみかくし、 さべつ を けっきょく は おんぞん する ほうこう に しか なりえない と わたし は かんがえます。
そして、 このように いっぽう で ほう の てきよう においては しいてき に さべつ の せん を ひきながらも、 たほう で は 「こくみん」 として わごう を よびかける こうい は まさに、 しょくみんち しはい を そうき させます。 じつは わたし が この ようごろん に もっとも きょひ かんじょう を おぼえた の は この ぶぶん です。 「また おまえら の つごう の いい とき だけ 「こくみん」 に させるのか」 と、 こう おもった の です。 しょくみんち とうち において にほん は ちょうせんじん も たいわんじん も ていこく しんみん として てんのう の ために しぬ こと を、 その ため に いったい に なることを ようきゅう しながら も、 たほう で は ちょうせん こせきれい、 たいわん こせきれい という かたち で ほうてき に さべつ の せん を ゆずりませんでした。 さき に のべた がいこくじん とうろくれい について も おなじ たぐい の こと として とらえられるでしょう。 おなじ こと を 「はんせん」 うんどう の ば で も けいけん する とき、 わたしは いま も つづく だいにほんていこく の ねぶかさ に み が ふるえる おもい が します。

3.ようごろん 2 について
3−1.「こくみん なめんな!」 に せんこう する むおん の こーる

2つめ の ようごろん に うつります。
「こくみん」 つまり は しゅけんしゃ という せきにん しゅたい として せいふ に つきつける うんどう なのだから せいとう である、 という これ です が、 さき に ことわって おくと わたしは せきにん しゅたい として の にほん こくみん が たちあらわれる こと を かならずしも ひてい しません。 しかし、 それは せきにん の べくとる、 つまり だれ に おうとう する ため の せきにん しゅたい であるか が ぽいんと に なります。 にほん こくみん が せきにん しゅたい として たちあらわれる べきなのは、 それは まさに ひ「こくみん」 から の こくはつ の おうとう しゅたい として です。 ぐたいてきには かこ の しんりゃく せんそう、 しょくみんち しはい せきにん を にほん は はたさず に きましたが、 これは にほん こくみん が あじあ の みんしゅう に たいして おう せきにんだと おもいます。
しかし ここ で かたられて いる こと は まるで ちがう わけ です ね。 ここ で かたられる せきにん は にほん の たしゃ に むかず に、 「こくみん」 の こっか に たいする せきにん という ふう に、 こっか の なか で とじて かんけつ して しまって います。 そして それ を きそ つけて いる の が 「こくみん」 こそ が しゅけんしゃ である という しんねん です。 かれらは 「こくみん なめんな!」 こーる を とおして、 「わたしたちは こくみんだ!」「こくみん が しゅけんしゃだ!」「しゅけんしゃ である わたしたち を なめんな!」 という むおん の こーる を さけんで いると おもうんです ね。
さき に けんぽう の せいりつ かてい でも あきらか に なった よう に、 「こくみん」= しゅけんしゃ という にほん の こくみん しゅけん、 それ に もとづく 「せんご」 たいせい という の は しょくみんち みんしゅう の きりすて に ほかならない わけ でした。 その 「せんご」 みんしゅしゅぎ に たいする ひはんてき しざ が かんぜん に うしなわれて おり、 それは こくふく されるべき もの で は なく、 まもるべき もの へ と なって しまって います。

3−2.「わたし」 の むりょくか

また、 この ようごろん の たちば から 「こくみん なめんな!」 を きくと もう ひとつ の こと を おもいます。 それは 「わたし」 そのもの より も 「こくみん である わたし」 の ほう が じょうい である と みずから みとめて しまって いる こと です。 「わたし」 そのもの の かち を、 そんげん を、 あるいは、 ちから を しんじて いない と いって も よい でしょう。 これでは しゃかい うんどう を 「ぎかいせい みんしゅしゅぎ」 の わくない という げんかい に とじこめて しまう の は さけられない よう に おもいます。 それ を もっとも つうせつ に かんじた の が、 せんそうほう が ぼうりょくてき に (「ひげ の たいちょう」 とか ほんとに なぐって いましたね) きょうせい かけつ された とき に おもいました。 そのとき に なって も こっかいがい で は 「つぎ は せんきょだ!」 と さけばれた わけ です。 わたし は いまさら びっくり は しませんでしたが、 ほんとに つい いましがた まで なに を みせられた つもり な の だろうか と つくづく ふしぎ に なりました。

3−3.「こくみん」 は 「こくみん」 を だいひょう できない、 とうち する がわ の ため の ことば として の 「こくみん」

おもうに 「こくみん」 こーる は べつ の てん でも ふしぎ です。 という の は あらゆる せいじてき いしゅー の その ほとんど において 「こくみん」 ないぶ であっても その いけん が いっち する こと は なく、 かならず と いって よい ほど たいりつ が あるという たんじゅん な じじつ ひとつ とって みて も わかります が、 「こくみん」 が 「こくみん」 を だいひょう する の は ふかのう です。 それは たすうは に なっても かわりません し、 そもそも しゃかい うんどう の おおくの ばあい に おいて たたかい は いつも しょうすうは から の よう に も おもいます。 いずれにせよ かず に かかわらず、 なに を もって 「こくみん の りかい」、 「こくみん の こえ」 と するか を きめる の は とうち する がわ でしょう。 「こくみん」 と は もともと、 そして いまでも とうち する がわ の ため の ことば だから です。 そう かんがえると、 かれらは えらばれなかった がわ の 「こくみん」 である こと に いかって いる の かも しれませんし、 すでに とうち する がわ による ひ「こくみん」か が はじまって いる こと を どこかで かんじとって 「わたしたちは こくみんだ!」 と さけんで いる の かも しれません。 しかし、 わたしは これが しん の たいこう に なりえると は おもえません。

3−4.<こっか けんりょく たい こくみん> という こうず の ふかのうさ

なぜなら、 こくみん こっか と その 「こくみん」 こそ が 「こっか、 こくみん を まもる ため」 という たいぎめいぶん を もって せんそう を すいこう する しゅたい だから です。 「こくみん」 の せき に しがみつきながら こっか に たいじ しようとしても、 それは いつでも ようい に こっか けんりょく に かいしゅう され てんかん する こうぞう を かかえる こと に なる の は ひつぜん で は ないでしょうか。 わたしは それを、 はん せんそうほう の うんどう に おいて で すら じえいたい と こべつてき じえいけん を ようにん し、 さらには それを より あんてい させる ため に 9 じょう かいあく の しじ まで でてくる げんしょう に みてとります。 「しゅうだんてき じえいけん は にほん を まもる こと に は ならず、 こくみん を より おおきな きけん に さらす」 という ろじっく も この わくない に あります。 ここで おきているのは こっか と 「こくみん」 を まもる ため の より よい さく を めぐる、 とうそう で は なく こうしょう であり、 ほんらい あじあへの せきにん という いみ を もつべき けんぽう 9 じょう で すら その どひょう に のせられていると おもうのです。 きょねん さんか した きょうと の わり と おおきな でも で は 「じえいたいいん を まもれ」 という こーる まで ありましたが、 そもそも せんそう を する ため の くんれん を させる じえいたい そのもの の はいし を となえる こえ は そこに ありませんでした。
こくみん こっか という せんそう そうち を より きょうこ に する げんせつ による はんせん うんどう は せんそう で せんそう を こくふく すると いうくらい むり な はなし で は ないでしょう か。 せんそう しゅたい として の こくみん こっか に たいこう しうる の は 「こくみん」 では なく ひ「こくみん」 であり はんこっか、 つまりは はんにち である と わたしは おもいます。

おわりに

じかん も まいりました ので、 いじょう 「こくみん」 こーる を ささえる 2 つ の ようごろん を けんとう して まいりました。 この 2つの そうご むじゅん する こえ に よって ささえられる いみ に まで は たどりつけませんでしたが、 このあとの でぃすかっしょん で も いけん を うかがえると うれしいです。 また、 うんどう が ここ まで いたった きせき を わたしたち は どこ から とらえ、 また かこ の きょうくん を も かんがみて どこ へ すすむのか も、 こんご の かだい として かんがえたい ところ です。
ごせいちょう ありがとうございました。

(問題提起)「国民なめんな!」をめぐるあれこれについて

(かんじなしは ごじつ アップします)
以下の文章は1月23日におこなった「反日カフェ」で主催からの問題提起として発表させていただいた内容となります。
ぜひ、みなさんも読んで考えてみてください。考えて気づいたことを「国民」コールをしているひとに伝えてみてください。
また、もしあなたが今、色んなデモや抗議の場で「国民」コールを叫んでいる方なら、立ち止まって考えるきっかけにしてみてください。

↓↓
反日カフェ」問題提起発表

「国民なめんな!」をめぐるあれこれについて
はじめに
今回、<「国民なめんな!」をめぐるあれこれについて>という題をたてさせていただきました。
社会運動における「国民」コールについて取り上げたいということは当初より考えていたのですが、実は先月(2015.12)に繁華街を歩いておりましたら、シールズ関西が主催するデモと遭遇しました。
私は怖いもの見たさもあり、沿道からじっと眺めていたのですが、デモの参加者のなかには知った顔もちらほら見受けられる、なかには、沿道に立つ私の姿に気づいて笑顔で手を振りながら声をかけてくる人もいて、正直ちょっとバツが悪い思いをしたのですが、そんなときに聞こえてきたのが「国民なめんな!」のコールでした。
在日朝鮮人である私のことを一応は友人と思って声をかけてくるその人も一緒になって唱和する「国民なめんな!」の光景を前にして、なんだかスーッと血の気が引くような思いがしたのをおぼえています。
私はこれまでも「国民なめんな!」や「国民の声を聞け!」であったり、あるいは秘密法反対運動でよく目にした「国民の目・耳・口をふさぐ」といったフレーズに対して異を唱えてきたのですが、それまでずっと強調してきたのは「国民じゃないひとを排除するようなコールはやめろ」ということでした。
もちろん、その視点は今でも大事なこととしてあるのですが、「国民なめんな!」の唱和を実際に前にして私が抱いたある種の気持ち悪さ、あるいは恐怖感というのは、おそらく「排除されるから嫌だ」という感覚には回収できない、それをはみ出るものがあったと思います。
そしてその意味においては本当にその場に「国民」以外がいるのか、あるいはいないのか、といったことは多分、関係ありません。
この私が抱いた気持ち悪さ、恐怖感はなんだったんだろうと考えをめぐらせていくうちにふと気づきました。

(ああ、私は「国民」そのものが怖いんだ)

あそこでまるで「俺たちは国民だ!」と叫んでいるひとたちに怯えているのだ、と。
「国民」という概念は、その誕生においては、ある人々に対してより大きな自由や平等、人権といった解放のイデオロギーになりえたものだったのかもしれませんが、それが同時に「国民」非ざるものをつくりだす排除と抑圧のイデオロギーでもあったことは言うまでもありません。
そして私という在日朝鮮人にとってそれは常に後者でしかなかったわけです。
私にとって「国民」、日本国民とはどのような存在なのか。それはより強い側であり、差別してくる相手であり、歯向かうならば「日本が嫌なら出て行け」と平気に、簡単に口にするものたちなのです。「国民なめんな!」と唱和するひとびとは国家権力のほうしか向いていないのでしょうが、私にとっては「国民」もまた私を抑圧する権力でしかないわけです。
このことはたとえば街中で「男をなめんな!」であったり、「健常者なめんな!」あるいは「大卒なめんな!」というようなコールが響けばどうであろうかと想像してみると分かりやすいのかも知れません。
私にとっては、「国民なめんな」は「国民」と「なめんな」の間に点を入れて、さらに分かりやすく「お前たち」を付け加えるとむしろちょうどよくなります。「国民、おまえたちなめんな!」と。
「〜なめんな!」というコール、それは虐げられる側から発せられるときには告発の声として機能するのでしょうが、逆の立場から唱えられるそれは大きな恐怖を呼び起こします。

1.「反戦」運動における「国民」唱和、2つの擁護論
そんな排除だけでなく、恐怖をも呼び起こす「国民」コールですが、これまで決して少なくない批判がありながらも先に述べたように今に至っても使われ続けています。
私自身、過去に議論したさいに出てきた反応や、他に「国民」コールを擁護する意見にふれるなかで、そこには大別して2つの典型的な擁護論があることに気づきました。

1つは
「国民」とは日本に住む民、全体のことで在日外国人などを排除してはいない、という意見。
つまりそこには排除の意図はないし、おきてもいないという主張です。(擁護論1)

そしてもう1つは、
「国民」つまりは主権者という責任主体として日本政府に抗議しているのであるから「国民」コールは正当化されるという意見です。(擁護論2)

これらはそれぞれに問題を抱えた主張ですので、以下1つずつ検討を加えていくのですが、それに先立って一つの疑問を述べておきたいと思います。
それはこれら二つの擁護論が、結論においてこそ「国民」コールは正当化されるという一点で一致しますが、そこに至る理由が相互に矛盾するということです。前者は排除がないという主張であり、後者は排除があることは前提の上で正当化しているわけですから。この互いに相容れるはずのない主張によって「国民」コールが支えられ、現場で肩をならべ唱和される風景、これが意味するのは何なのかという疑問です。
この疑問ひとつを残しつつ、それではそれぞれの主張について検討を加えていきます。

2.擁護論1について
2−1.「かわりがない」?選び使われ続ける「国民」

「国民」とは日本にすむ民、全体をあらわしているのであって誰も排除していない、という主張についてですが、まず率直にいえることとして「排除されている」と訴えている存在を無視するな、というツッコミがあります。いまさらこんなことを改めて言う必要があるのかという気もしますが、どんなつもりがあるのかという意図が必ずしも現実の効果、結果と一致しないというのは当たり前のことです。
だからこそ、まずは訴えを真摯に受けとめるということがなにごとにおいても基本だと思うのですが、それがない。また、このようなことを言うひとのなかにはよく「でも、他に全体をあらわす言葉がない」といった反応もみうけられるのですが、これもおかしい。
「人民」「大衆」「市民」「わたしたち」「みんな」・・・とかわりがないということはないわけです。
もちろん今あげたものなら何も問題はないのかといえば、そこはきちんと吟味する必要もあるでしょうし、そもそも同じ場を共有していても決して一枚岩でなく、それぞれに様々な容易に越えられない、越えてはいけない対立線が無数にあるひとたちの間で、果たしてみなを一つに括る言葉が本当に必要なのかという問題意識も重要だと個人的には思っています。
また、「人民」といった言葉に対してイデオロギー性を感じて忌避する声も珍しくないように思われますが、私自身もイデオロギーまみれといえばまみれてるかなと思わなくもないです。しかしそうであるならば余計に、「国民」という言葉こそはるかに強力な国家イデオロギーに支えられたイデオロギーまみれ、しかも極めて排他的なそれであることを棚においてはならないと考えます。

2−2.法と「国民」
「国民」あるいは非「国民」という概念は国家イデオロギーによって形成されると同時に法によって規定される存在であり、ふたつは当然からみあっていますが、そのうち法によって規定された性格は客観的であり、それについては、日本に住む民、全体をあらわしているつもりといくら唱えたところで微動だにすることはできません。
ここで法と「国民」/非「国民」の関係を最も上位の法として日本国憲法をとりあげてみます。
日本国憲法はその文言において「国民」と書かれてあることは広く知られた事実ですが、これが極めて意図的に非「国民」をつくり排除する目的、特に旧植民地出身者である台湾人・朝鮮人を排除する目的に沿うものであったことは、日本国憲法の成立過程をふりかえると明確になります。ここでは3点あげます。

1つは翻訳の問題があります。英語の原文ではPeopleとあるものを敢えて「国民」と翻訳したことです。「国民」という日本語はNationの訳語として1900年前後、日清・日露戦争あたりから一般化してきたらしくやはり戦争、植民地主義と切り離せない言葉ですが、これをあえて選んだこと。
翻訳の問題では14条の平等原則にもあります。これも、もともとGHQ草案ではAll natural personつまり「すべての自然人」(一切ノ自然人)となるべきものを、まず英語原文の主語を草案のAll natural personからpersonに変えた上でさらに、これにも「国民」という訳を与えており、平等の原則は「国民」間同士のものへと限定されました。これは人種、信条、性別、社会的身分又は門地による差別されないと謳いつつ、国籍をそこから除外したことにも裏付けられます。

2つ目は既に14条の説明が先取りしていますが権利の主体を狭めるための草案そのものへの変更です。GHQ草案にはその16条において「外国人は平等に法律の保護を受くる権利を有す」という文言がありましたが、これに対応する現憲法の条文は存在しません。

そして3つ目はきわめつけですが、天皇ヒロヒト最後の勅令です。日本国憲法が施行される前日の1947年5月2日に明治憲法下の最後の勅令として外国人登録令が公布、即時適用されたことにより台湾人および朝鮮人について「当分の間、これを外国人とみなす」とされたのです。
これでは、日本国憲法が前文に続くその第一章第一条から八条において天皇制を存続させ国家と「国民」統合の象徴としたこともまるで頷けてしまうとしか言いようがないように思います。
このように法による「国民」の、そして非「国民」の規定のありかたが既に国家イデオロギーを具現化するというのは当たり前といえば当たり前のことですが、それは国籍法にもよく現れています。
特に「帰化」用件を定めた五条の三、四、そして六をごらんいただければと思います。

三 素行が善良であること
四 自己又は生計を一にする配偶者その他の親族の資産又は技能によって生計を営むことができること
六 日本国憲法施行の日以後において、日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを企て、若しくは主張し、若しくは主張する政党その他の団体を結成し、若しくはこれに加入したことがないこと

ここには日本という国家がいかなる存在を「国民」として迎え入れ、そしていかなる存在を非「国民」として留め、排除し、追放したいかという意志が表現されています。

2−3.非「国民」の権利状況
そして、このように「国民」とセットでつくられた非「国民」がどのような処遇におかれているかについて、見ていきたいと思いますが、その全体を描ききることは私の能力を越えますし、またとても数時間でおさまる話ではないのですが、ほんの一部ですが参考にしていただければと思います。

まず社会保障についてですが
生活保護は外国籍および無国籍者に対してこれは権利ではなく恩恵あつかいとなっており、実際上は受給は可能ですが、不当に申請が却下されたり、また受給していても打ち切られたりしても不服申し立てができないとされています。
また国民年金障害年金については難民条約の批准にともない社会保障における「内外人平等」の原則よりそれぞれ1982年に国籍条項が撤廃されさらに国民年金は1986年にカラ期間参入もできるように法改正がありましたので、多くの外国籍者も加入できるようになりましたが、すでに掛け金が払える期間を満たせない高齢者や82年当時既に20歳以上の障害者は無年金状態におかれました。これは制度開始時に同様の問題が日本人におこったとき、あるいは、中国残留孤児だったひとびとのうち日本で生活するようになったひとびとで同様の問題がおこったときには救済措置がとられたことを鑑みても明らかに差別的な処置です。このうち在日朝鮮人の無年金高齢者と障害者のひとびとは京都や大阪、そして福岡でそれぞれ国の不作為を訴えて裁判で闘いましたが、いずれも敗訴となり、無年金状態は現在も続いています。

教育の権利はどうでしょう。
朝鮮学校への差別の話だけでもあげきれませんが、2000年代に入ってからのものでも、たとえば朝鮮学校生徒の国公立大学への受験資格はながらく閉ざされており、わざわざ大検(当時)をとって受験しなければならないという状況でした。民受連など日本の学生有志とも連携し運動を展開していくなかで2003年にようやく一応の門戸が開いたという経緯があります。国公立大学以外においても朝鮮学校卒業生の進学を認めない、あるいは推薦入試資格を与えないという事例は今でもときに出てくることはあります。高校無償化制度からいまだに朝鮮学校の生徒が除外され続けていることも付け加えておきます。

就職はどうでしょう
民間でも民族差別の事例はことかかないですが、よくあるのは民族名の使用を認めないということや、近年では嫌がらせ目的で日本名使用者に対して民族名を強制したという事例もあります。これは就職してからの差別ですが、そもそもその機会を奪われる差別もあります。例えば国家資格第一種にあたるような職業からは排除されていますし、地方公務員においても課長以上のみちが閉ざされいるというのが現状です。弁護士や大学教員など一昔はなれなかったが闘争によって勝ち取ったものも少なくありません。

参政権について、
ご存知のように選挙権・被選挙権は地方・国政ともに認められていません。

また、「国民」は非「国民」のなかでもさらに正規/非正規、合法/不法、有国籍/無国籍とさらに線を引いていきますが、このうち非正規滞在者とされた在留資格のない外国人および無国籍者は事実上の無権利状態におかれています。退去強制事由に該当すると疑われれば、入管はその「容疑者」を裁判所の令所なしに拉致・監禁して取調べをおこない、退去強制(強制送還)が決定されれば、送還までのあいだ、拷問にもひとしい無期限の監禁をおこなっています。病気でも医者に診せなかったという事例、一日のうちに何本も親知らずをぬく手術をさせられた事例、東日本大震災が発生したときには避難させるどころか逃げないように鍵をかけたという事例もあります。また無理やりに強制送還させるために力ずくで飛行機に乗せようとするなかでガーナ人男性を殺害したという事件も2010年に起きています。この事件は地裁では被害者が勝訴しましたが、高裁では逆転敗訴となってしまいました。

2−4.不可視化の暴力、再現される植民地支配
ここであらためて擁護論1に立ち返りますが、「国民」がかれらが主張するように本当に日本に住む民全体をあらわしているのであれば、「国民」の平等を謳う憲法下に生きる、これら差別されときに迫害される外国籍者、無国籍者は<何者>ということになるのでしょうか。
それは都合の悪いなにかゴーストのような存在でしょうか。
「国民」が日本に生きるみなを指すという、一見「寛容」で「平和主義」的なこの意見の表明は、非「国民」が現実にどのような不安定な状況に晒されているかを見ないふりをするためのヴェールではないでしょうか。そして、そのような状況に晒されてなお非「国民」のまま抵抗してきたひとびとの存在、その歴史をも包み隠し、差別を結局は温存する方向にしかなりえないと私は考えます。
そして、このように一方で法の適用においては恣意的に差別の線を引きながらも、他方では「国民」として和合を呼びかける行為はまさに、植民地支配を想起させます。実は私がこの擁護論に最も拒否感情をおぼえたのはこの部分です。「またお前らの都合のいいときだけ「国民」にさせるのか」と、こう思ったのです。植民地統治において日本は朝鮮人も台湾人も帝国臣民として天皇のために死ぬことを、そのために一体になることを要求しながらも、他方では朝鮮戸籍令、台湾戸籍令というかたちで法的に差別の線をゆずりませんでした。先に述べた外国人登録令についても同じ類のこととしてとらえられるでしょう。同じことを「反戦」運動の場でも経験するとき、私は今も続く大日本帝国の根深さに身が震える思いがします。

3.擁護論2について
3−1.「国民なめんな!」に先行する無音のコール

2つめの擁護論にうつります。
「国民」つまりは主権者という責任主体として政府につきつける運動なのだから正当である、というこれですが、先に断っておくと私は責任主体としての日本国民がたち現れることを必ずしも否定しません。しかし、それは責任のベクトル、つまり誰に応答するための責任主体であるかがポイントになります。日本国民が責任主体としてたち現れるべきなのは、それはまさに非「国民」からの告発の応答主体としてです。具体的には過去の侵略戦争、植民地支配責任を日本は果たさずにきましたが、これは日本国民がアジアの民衆に対して負う責任だと思います。
しかしここで語られていることはまるで違うわけですね。ここで語られる責任は日本の他者に向かずに、「国民」の国家に対する責任という風に国家の中で閉じて完結してしまっています。そしてそれを基礎付けているのが「国民」こそが主権者であるという信念です。彼らは「国民なめんな!」コールを通して、「わたしたちは国民だ!」「国民が主権者だ!」「主権者であるわたしたちをなめんな!」という無音のコールを叫んでいると思うんですね。
先に憲法の成立過程でも明らかになったように、「国民」=主権者という日本の国民主権、それに基づく「戦後」体制というのは植民地民衆の切り捨てに他ならないわけでした。その「戦後」民主主義に対する批判的視座が完全に失われており、それは克服されるべきものではなく護るべきものへとなってしまっています。

3−2.「わたし」の無力化
また、この擁護論の立場から「国民なめんな!」を聞くともう一つのことを思います。それは「わたし」そのものよりも「国民であるわたし」のほうが上位であると自ら認めてしまっていることです。「わたし」そのものの価値を、尊厳を、あるいは、力を信じていないといってもよいでしょう。これでは社会運動を「議会制民主主義」の枠内という限界に閉じ込めてしまうのは避けられないように思います。それを最も痛切にかんじたのが、戦争法が暴力的に(「髭の隊長」とかほんとに殴っていましたね)強制可決されたときに思いました。そのときになっても国会外では「次は選挙だ!」と叫ばれたわけです。私はいまさらびっくりはしませんでしたが、ほんとについ今しがたまで何を見せられたつもりなのだろうかとつくづく不思議にはなりました。

3−3.「国民」は「国民」を代表できない、統治する側のための言葉としての「国民」
思うに「国民」コールは別の点でも不思議です。というのはあらゆる政治的イシューのそのほとんどにおいて「国民」内部であってもその意見が一致することは無く、必ずといってよいほど対立があるという単純な事実ひとつとってみてもわかりますが、「国民」が「国民」を代表するのは不可能です。それは多数派になっても変わりませんし、そもそも社会運動の多くの場合において闘いはいつも少数派からのようにも思います。いずれにせよ多寡に関わらず、何をもって「国民の理解」、「国民の声」とするかを決めるのは統治する側でしょう。「国民」とはもともと、そして今でも統治する側のための言葉だからです。そう考えると、彼らは選ばれなかった側の「国民」であることに怒っているのかもしれませんし、既に統治する側による非「国民」化がはじまっていることをどこかで感じ取って「わたしたちは国民だ!」と叫んでいるのかもしれません。しかし、私はこれが真の対抗になりえるとは思えません。

3−4.<国家権力 対 国民>という構図の不可能さ
なぜなら、国民国家とその「国民」こそが「国家、国民をまもるため」という大義名分をもって戦争を遂行する主体だからです。「国民」の座にしがみつきながら国家に対峙しようとしても、それはいつでも容易に国家権力に回収され転換する構造を抱えることになるのは必然ではないでしょうか。私はそれを、反戦争法の運動においてですら自衛隊と個別的自衛権を容認し、さらにはそれをより安定させるために9条改悪の支持まで出てくる現象にみてとります。「集団的自衛権は日本をまもることにはならず、国民をより大きな危険にさらす」というロジックもこの枠内にあります。ここで起きているのは国家と「国民」をまもるためのよりよい策を巡る、闘争ではなく交渉であり、本来アジアへの責任という意味をもつべき憲法9条ですらその土俵にのせられていると思うのです。去年参加した京都のわりと大きなデモでは「自衛隊員をまもれ」というコールまでありますが、そもそも戦争をするための訓練をさせる自衛隊そのものの廃止を唱える声はそこにありませんでした。
国民国家という戦争装置をより強固にする言説による反戦運動は戦争で戦争を克服するというくらい無理な話ではないでしょうか。戦争主体としての国民国家に対抗しうるのは「国民」ではなく非「国民」であり反国家、つまりは反日であると私は思います。

おわりに

時間もまいりましたので、以上「国民」コールを支える2つの擁護論を検討してまいりました。この2つの相互矛盾する声によって支えられる意味にまではたどりつけませんでしたが、このあとのディスカッションでも意見を伺えるとうれしいです。また、運動がここまで至った軌跡をわたしたちはどこから捉え、また過去の教訓をも鑑みてどこへ進むのかも今後の課題として考えたいところです。
ご清聴ありがとうございました。

活動報告@反日カフェ / かつどう ほうこく @はんにち かふぇ

****ふたつめ、 かんじ つかって いません****

1月23日の「反日カフェ」で発表された、活動報告の内容をご紹介いたします。
次回の記事では問題提起の発表内容をアップしますので、こうご期待!

―――――――以下、活動紹介――――――――


「自由と人権は国民の占有物ではないと考えるひとびと」の活動紹介と
デモを通して考えたこと
2016.1.23 @反日カフェ

1.活動紹介


1-1 活動の目的
「自由と人権は国民の占有物ではない」と考え、訴えるため活動しています。

…抗議の声が大きくなる一方でそれが日本国民主義を強化させてしまっていることに対して 私たちは危惧をもたざるを得ません。(特定秘密保護法反対デモの趣旨文より抜粋)

 特定秘密保護法に反対する運動が盛り上がるなかで「国民の知る権利を奪うな」などといった「国民」を主語とするうたい文句が多く聞かれました。このことに問題を感じ、「ひとびと」の活動が始まりした。

1-2 活動紹介
 詳細については趣旨文をご参照ください。(URLよりご覧になれます。)
(1)自由と人権は「国民」の占有物ではないと考えるひとびとによる特定秘密保護法反対デモ in京都
第一回2013.12.27
第二回 2014.1.11,12
http://www.twitlonger.com/show/n_1rtq1ci
(2)(通称)反日デモ 2014.07.20 
http://d.hatena.ne.jp/kokuminyamero/20140620/1403236707
(3)自由と人権は国民の占有物ではないと考えるひとびとによる戦争法案反対デモ
(通称)反日デモ 2015.09.19 
 http://d.hatena.ne.jp/kokuminyamero/20150923



2.デモ!デモ!デモ! 〜デモについてのあれこれ〜

訴えたいことがあるときデモに参加するというひとは少なくないと思います。しかし、デモの現場で嫌な気分になることもしばしばあります。悔しい気持ちになります。なので、自分たちで主催するときには、嫌な思いをする因子を排除できるように考えます。

2-1 どんなデモにしたい?
 デモを作るにあたって考えてきたこと、実践してきたことについてまとめました。

(1) 安心して参加できるデモ

デモに行きたくないと思わせること・もの、つまりデモのハードルはいろいろあります。個人的な経験から例をあげると、無断撮影、日の丸プラカード、「国民コール」、弾圧…などがあると思います。
自分が主催をする場合にはこれらの因子を除くため、主催が取り組むことや参加者と共有しておきたいことを告知に載せておきます。実際に、「自由と人権は国民の占有物ではないと考えるひとびとによる戦争法案反対デモ」では、撮影に関する注意事項や、「国民なめんな」のような日本国民以外の存在を無視するようなメッセージ、「日の丸」デザインのプラカードはお控えいただくように告知に載せました。
さらにデモの出発前には、「もしも逮捕されたら」というタイトルで逮捕されたときの心構えについて書かれたチラシを配布したり、参加者にコールを確認してもらったりしました。もちろんコールは復唱するもしないも自由です。

(2) 自由なデモ

腹立たしいことに、公安条例でデモは許可制です。そして道路使用するためには申請が必要です。それでも、警察なんかに従わない自由なデモがしたいと考えています。ていうか、権力に抗議してデモするのに警察に従うなんておかしいではないですか!

・申請(めんどくさい)
 →道路の交通状況など理由にあれこれ言ってきますが、警察のお願いは聞きません。デモする権利がこちらにはあるし、仕方なく手続きをやってあげているだけです。間違っても警察は相談相手ではありません。実際に昨年9月の「戦争法案反対デモ」の申請では、四条通りの車線が減ったのを理由にコース変更を説得されましたが、2時間ほど粘って要求を通しました。

・デモ最中(非常にうるさい)
 →「左に寄れ」「早く歩け」「〇列になれ」…などうるさいですが、基本無視して自由に広がってゆっくり歩きます。無視しているとすごく恐い顔と声で脅してくるので、適度に聞くふりを見せながら無視したりします。警察が触ってきたり、脅してきたりしたらみんなで抗議します。間違っても警察は一緒にデモしているひとではありません。

(3) もっと自由なデモ

最近ではデモではなく「パレード」とする街頭行進が増えたように思います。「デモ」と「パレード」、これらの違いはいったいなんでしょうか。個人的な感覚ですが、パレードに参加すると沿道から声援や拍手などが聞かれることがあり、ピースフルな雰囲気がします。それにひきかえ、昨年9月の「戦争法案反対デモ」では、デモ隊がバスの遅延を起こしたこともあってか、沿道からのバッシングがありました。SNSでは「もっと迷惑がかからないデモなら、内容にも賛同するのに…」そんな声も見られました。
このような発想は最近よく見かけるものではないでしょうか?「迷惑でない・目障りでない・聞き心地のよい・かっこいいデモがよい。」しかし、わたしはこのような考え方がまさに資本主義的ではないかと思います。怒りや解放感で資本主義に滞りを起こすようなデモをしたいのです。

2-2 デモのすすめ
・お金がかからない。
・少人数でも可。過去に3人でデモをした経験があります。
・何も(選挙権など)持たなくても声をあげられます。
・また、警察に抗いながら、沿道から嫌がられながら叫ぶなかで、自分自身が本当に変え
ていきたいものは何かが見えてくる感覚があります。

***かんじ、 つかって いません***

1がつ 23にち の 「はんにち かふぇ」 で はっぴょう された、 かつどう ほうこく の ないよう を ごしょうかい いたします。
じかい の きじ では もんだい ていき の はっぴょう ないよう を あっぷ します ので、こう ごきたい!


―――――――かつどう しょうかい――――――――


「じゆう と じんけん は こくみん の せんゆうぶつ では ないと かんがえる ひとびと」の かつどう しょうかい と でも を とおして かんがえた こと
2016.1.23  @はんにち かふぇ

1.かつどう しょうかい 


1 -1  かつどうの もくてき 
「じゆう と じんけん は こくみん の せんゆうぶつ では ない」と かんがえ、 うったえる ため かつどう して います。

…こうぎ の こえ が おおきく なる いっぽう で それ が にっぽん こくみん しゅぎ を きょうか させて しまって いる こと に たいして  わたしたち は きぐ を もたざる を えません。
(とくてい ひみつ ほごほう はんたい でも の しゅしぶん より ばっすい)

 とくてい ひみつ ほごほう に はんたい する うんどう が もりあがる なかで 「こくみん の しる けんり を うばうな」 など といった 「こくみん」 を しゅご と する うたいもんく が おおく きかれ ました。この こと に もんだい を かんじ、 「ひとびと」の かつどう が はじまり ました。

1-2 かつどう しょうかい 
 しょうさい に ついて は しゅしぶん を ごさんしょう ください。(URL より ごらん に なれます。)
(1) じゆう と じんけん は 「こくみん」の せんゆうぶつ では ない と かんがえる ひとびと に よる とくてい ひみつ ほごほう はんたい でも  in きょうと
だい 1 かい 2013 .12 .27 
だい 2 かい  2014 .1 .11 ,12 
http : //www .twitlonger .com /show /n _ 1 rtq 1 ci 
(2) (つうしょう)はんにち でも  2014 .07 .20  
http : //d .hatena .ne .jp /kokuminyamero /20140620 /1403236707 
(3) じゆう と じんけん は こくみん の せんゆうぶつ では ない と かんがえる ひとびと に よる せんそう ほうあん はんたい でも 
(つうしょう)はんにち でも  2015 .09 .19  
 http : //d .hatena .ne .jp /kokuminyamero /20150923



2.でも!でも!でも! 〜でも に ついて の あれこれ〜

うったえ たい こと が ある とき でも に さんか する という ひと は すくなく ない と おもい ます。しかし、でも の げんば で いや な きぶん に なる こと も しばしば あり ます。 くやしい きもち に なり ます。 なので、 じぶん たち で しゅさい する とき に は、 いや な おもい を する いんし を はいじょ できる よう に かんがえ ます。

2-1 どんな でも に したい?
 でも を つくる に あたって かんがえて きた こと、 じっせん して き た こと について まとめ ました。

(1) あんしん して さんか できる でも

でも に いき たく ない と おもわせる こと ・ もの、 つまり でも の はーどる は いろいろ あります。 こじん てき な けいけん から れい を あげる と、 むだん さつえい、 ひのまる ぷらかーど、 「こくみん こーる」、だんあつ … など が ある と おもい ます。
じぶん が しゅさい を する ばあい には これら の いんし を のぞく ため、 しゅさい が とりくむ こと や さんか しゃ と きょうゆう して おきたい こと を こくち に のせ て おき ます。 じっさい に、 「じゆう と じんけん は こくみん の せんゆうぶつ では ない と かんがえる ひとびと に よる せんそう ほうあん はんたい でも」では、 さつえい に かんする ちゅうい じこう や、 「こくみん なめんな」の ような にっぽん こくみん いがい の そんざい を むし する よう、 「ひのまる」 でざいん の ぷらかーど は おひかえ いただく よう に こくち に のせ ました。
さらに でも の しゅっぱつ まえ には、 「もしも たいほ され たら」という たいとる で たいほ された とき の こころがまえ に ついて かかれた ちらし を はいふ したり、 さんか しゃ に こーる を かくにん して もらっ たり しました。 もちろん こーる は ふくしょう するも しない も じゆう です。

(2) じゆう な でも

はらだたしい こと に、 こうあん じょうれい で でも は きょか せい です。 そして どうろ しよう する ため に は しんせい が ひつよう です。 それでも、 けいさつ なんか に したがわ ない じゆう な でも が したい と かんがえ て います。 ていうか、 けんりょく に こうぎ して でも する のに けいさつ に したがう なんて おかしい では ない ですか!

・しんせい(めんどくさい)
 → どうろ の こうつう じょうきょう など りゆう に あれこれ いって き ます が、 けいさつ の おねがい は きき ません。 でも する けんり が こちら に は あるし、 しかた なく てつづき を やって あげて いる だけ です。 まちがって も けいさつ は そうだん あいて で は ありません。 じっさい に さくねん 9がつ の 「せんそう ほうあん はんたい でも」の しんせい では、 しじょう どおり の しゃせん が へった の を りゆう に こーす へんこう を せっとく されました が、 2じかん ほど ねばって ようきゅう を とおしました。

・でも さいちゅう (ひじょう に うるさい)
 → 「ひだり に よれ」「はやく あるけ」「〇れつ に なれ」… など うるさいです が、 きほん むしして じゆう に ひろがって ゆっくり あるき ます。 むし して いる と すごく こわい かお と こえ で おどして くる ので、 てきど に きく ふり を みせ ながら むししたり します。 けいさつ が さわっ て きたり、 おどして きたり したら みんな で こうぎ します。 まちがって も けいさつ は いっしょ に でも している ひと では ありません。

(3) もっと じゆう な でも 

さいきん では でも では なく 「ぱれーど」と する がいとう こうしん が ふえた よう に おもいます。 「でも」 と 「ぱれーど」、 これら の ちがい は いったい なん でしょうか。 こじん てき な かんかく です が、 ぱれーど に さんか する と えんどう から せいえん や はくしゅ など が きかれる こと が あり、 ぴーす ふる な ふんいき が します。 それに ひきかえ、 さくねん 9がつ の 「せんそう ほうあん はんたい でも」 では、 でも たい が ばす の ちえん を おこした こと も あってか、 えんどう から の ばっしんぐ が ありました。 SNS では 「もっと めいわく が かから ない でも なら、 ないよう にも さんどう する のに … 」そんな こえ も みられました。
この ような はっそう は さいきん よく みかける もの では ない でしょ うか? 「めいわく で ない ・ めざわり で ない ・ きき ごこち の よい ・ かっこいい でも が よい。 」しかし、 わたし は この ような かんがえ かた が まさに しほんしゅぎ てき では ないか と おもいます。 いかり や かいほうかん で しほんしゅぎ に とどこおり を おこす ような でも を したい の です。

2-2 でも の すすめ
・おかね が かから ない。
・しょう にんずう でも できる。 かこ に 3にん で でも を した けいけん が あります。
・なに も (せんきょけん など)もたなく ても こえ を あげられます。
・また、 けいさつ に あらがい ながら、 えんどう から いやがられ ながら さけぶ なか で、 じぶん じしん が ほんとうに かえて いき たい もの は なにか が みえてくる かんかく が あります。

報告;反日カフェしました

******2つめは、かんじ なし です******


おひさしぶりです。<自由と人権は「国民」の占有物ではないと考えるひとびと>です。
終わった催しの報告です。
2016年も始動したので、さっそく「反日カフェ」を去る1月23日に行いました。
これまで去年とおととしにそれぞれ「(通称)反日デモ」を行いましたが、デモだけでは参加がかなわないという方々ともゆっくりお茶でものみながらお話する場を設けたいなということで企画しました。

こちらが、(もう、終わっちゃいましたが)趣旨文となります。


"去年の7月、そして今年の9月と私たちは「(通称)反日デモ」をおこないました。
そのときの趣旨についてはこちらをお読みください。
http://d.hatena.ne.jp/kokuminyamero/touch/20140620/1403236707
(第一回)
http://d.hatena.ne.jp/kokuminyamero/touch/20150923
(第二回)
デモはどちらの回も小規模ではありながら、狭く縮こまることなく、不当に規制しようとしてくる警察に対しては参加者も主催も一緒に抗議し精一杯の表現ができたように思っています。また国民中心主義と戦後の歴史修正主義が社会運動のなかでも蔓延るなかで、それらをしっかりと批判するという内容の面においてもデモを行えた意義を感じています。
一方で、デモという形では参加が難しいというひとも確かにいます。色んな理由があり得ますし、そのなかには主催やデモ参加者との工夫や協力によって少なくともある程度は解消できるし、そう求められるべきこともあれば(様々な身体、健康状態に配慮した時間帯やコースといったことから、弾圧がおきたときのために救援体制をととのえていることであったり、或いは、ひとが集まるときに起こり得る暴力に対する指針の提示、実践等々たくさんあります)、現状では主催やデモ参加者と協力してもその場では解決できないこともあります。
今回は「(通称)反日デモ」に関心を寄せてくださりつつ、デモを通してのみでは出逢うことがかなわなかった方々とも一緒に、社会運動のなかでの「国民」コールの問題、戦後日本の戦争参加と協力をまるでなかったことにするような歴史修正主義の問題等々について意見を交わしあい、認識を深める場を持てないかと思い企画しました。"


↓は会場の写真です。去年の「(通称)反日デモ」で参加者のかたに作っていただいた横断幕が目印に。

つぎの写真は始まる前の会場のなかの様子です。うん、なかなか味わい深い。

次は会場入口の写真。カフェと一応は名づけたのでお茶と菓子くらい出さねば、と。わきにあるのはレジュメ類ですね。今回用にこれまで結構気合を入れて書いてきた過去のデモの趣旨文集も作って資料として配布しました。

当日は狭い会場ながら、ちょうど埋まるくらいに参加いただけました。
企画の内容としては、第一部に主催からの活動報告と問題提起というかたちで2つの発表をさせていただき、休憩をはさんでから第二部に全体ディスカッションという二部構成にしました。

活動報告はこれまでのデモを振り返りながら、なぜそれが必要と思ったかであったり、実際デモを主宰しながら感じたことを発表し、また問題提起としては<「国民なめんな!」をめぐるあれこれについて>と題をたて、昨今の社会運動にはびこる「国民」コールの問題を取り上げさせていただきました。
これら報告内容はこれからブログでアップして参りますのでたのしみに待っていてくださいね♪
ディスカッションも1時間くらいは時間をとっていましたが、話したらなさのこるくらい意見が交わされました。デモに参加して感じること、解放感やあるいは怖さ、理解されやすいメッセージとそうでないメッセージをどう選ぶか、少人数でも続けられることの意義など・・・思い思いの言葉がありました。

ここにあらためて参加者のみなさまにお礼もうしあげます。

次回はこれまでの活動報告として発表した内容をアップを予定しています。


******かんじ、つかってないです******

おひさしぶりです。<じゆうと じんけんは 「こくみん」の せんゆうぶつでは ないと かんがえる ひとびと> です。
おわった もよおしの ほうこくです。
2016ねんも しどう したので、さっそく「はんにち カフェ」を さる 1がつ23にちに おこないました。
これまで きょねんと おととしに それぞれ 「(つうしょう)はんにち デモ」を おこないましたが、 デモ だけでは さんかが かなわないという かたがたとも ゆっくり おちゃでも のみながら おはなしするばを もうけたいな ということで きかく しました。

こちらが、(もう、終わっちゃいましたが) しゅしぶんとなります。


"きょねんの 7がつ、そして ことしの9がつと わたしたちは 「(つうしょう)はんにち デモ」を おこないました。
そのときの しゅしに ついては こちらを およみください。
http://d.hatena.ne.jp/kokuminyamero/touch/20140620/1403236707
(だい いっかい)
http://d.hatena.ne.jp/kokuminyamero/touch/20150923
(だい にかい)
デモは どちらの かいも しょうきぼでは ありながら、せまく ちぢこまることなく、ふとうに きせいしようと してくる けいさつに たいしては さんかしゃも しゅさいも いっしょに こうぎし せいいっぱいの ひょうげんが できたように おもっています。また こくみんちゅうしんしゅぎと せんごの れきししゅうせいしゅぎが しゃかいうんどうの なかでも はびこる なかで、それらを しっかりと ひはんするという ないようの めんにおいても デモを おこなえた いぎを かんじています。
いっぽうで、 デモという かたちでは さんかが むずかしい という ひとも たしかに います。いろんな りゆうが ありえますし、そのなかには しゅさいや デモ さんかしゃとの くふうや きょうりょくによって すくなくとも あるていどは かいしょう できるし、そう もとめられるべき ことも あれば(さまざまな からだ、けんこうじょうたいに はいりょした じかんたいや コースと いったことから、だんあつが おきたときの ために きゅうえんたいせいを ととのえていることであったり、 あるいは、 ひとが あつまるときに おこりうる ぼうりょくに たいする ししんの ていじ、じっせん などなど たくさん あります)、げんじょうでは しゅさいや デモ さんかしゃと きょうりょくしても そのばでは かいけつできないことも あります。
こんかいは 「(つうしょう)はんにち デモ」に かんしんを よせてくださりつつ、デモを とおして のみでは であうことが かなわなかった かたがたとも いっしょに、しゃかいうんどうの なかでの 「こくみん」コールの もんだい、せんごにほんの せんそうさんかと きょうりょくを まるで なかったことに するような れきししゅうせいしゅぎの もんだい などなどに ついて いけんを かわしあい、にんしきを ふかめる ばを もてないかと おもい きかく しました。"


↓は かいじょうの しゃしんです。きょねんの 「(つうしょう)はんにち デモ」で さんかしゃの かたに つくっていただいた おうだんまくが めじるしに。

つぎの しゃしんは はじまる まえの かいじょうの なかの ようすです。うん、なかなか あじわいぶかい。

つぎは かいじょう いりぐちの しゃしん。カフェと いちおうは なづけたので おちゃと かしくらい ださねば、と。わきに あるのは レジュメるい ですね。 こんかいように これまで けっこう きあいをいれて かいてきた かこの デモの しゅしぶんしゅうも つくって しりょうとして はいふしました。

とうじつは せまい かいじょうながら、ちょうど うまるくらいに さんか いただけました。
きかくの ないようとしては、 だいいちぶに しゅさいからの かつどうほうこくと もんだいていき というかたちで 2つの はっぴょうを させていただき、きゅうけいを はさんでから だいにぶに ぜんたいディスカッションという にぶこうせいに しました。

かつどうほうこくは これまでの デモを ふりかえりながら、なぜ それが ひつようと おもったかであったり、 じっさい デモを しゅさいしながら かんじたことを はっぴょうし、また もんだいていき としては <「こくみん なめんな!」を めぐる あれこれについて>と だいを たて、さっこんの しゃかいうんどうに はびこる 「こくみん」コールの もんだいを とりあげさせて いただきました。
これら ほうこくないようは これから ブログで アップして まいりますので たのしみに まっていてくださいね♪
ディスカッションも 1じかんくらいは じかんを とっていましたが、 はなしたらなさのこるくらい いけんが かわされました。デモに さんかして かんじること、かいほうかんや あるいは こわさ、りかい されやすい メッセージと そうでない メッセージを どう えらぶか、しょうにんずうでも つづけられることの いぎなど・・・おもいおもいの ことばが ありました。

ここに あらためて さんかしゃの みなさまに おれい もうしあげます。

じかいは これまでの かつどうほうこく として はっぴょうした ないようの アップを よていしています。

デモ報告

デモのほうこくです。2つめは、かんじつかってません。


****かんじ、つかってます****

自由と人権は「国民」の占有物ではないと考えるひとびとは、去る9月19日に、京都でデモを行いました。

「自由と人権は「国民」の占有物ではないと考えるひとびとによる戦争法案反対デモ(通称)反日デモ

趣旨文はちょっぴり長めです。

趣旨文はこちら→9.19「(通称)反日デモ」趣旨文

デモの趣旨については趣旨文をみてもらうとして、今回のデモでは、国会前で行動したひとびとを不当に逮捕・拘束した警察に対しても、抗議の声をあげました。

国会前弾圧に対する抗議声明 学生ハンスト実行委員会
http://blogs.yahoo.co.jp/hansutojitsu/55725258.html

「戦争反対9.16弾圧愛宕救援会」声明 フリーター全般労働組合
http://d.hatena.ne.jp/spiders_nest/20150920/1442680960

国会前大弾圧を許さない!抗議声明 福岡市民救援会
http://blog.livedoor.jp/fukukyuen/archives/45490570.html

実際、今回の私たちのデモでも、逮捕こそ今のところありませんが、警察による執拗なデモ妨害に、苦しめられることとなったのです……

集合場所には、40人近くの「ひとびと」が集まりました。
去年使って大事にしまってあった横断幕のほかに、
・この日のために新調したプラカード(もちろん手書き)
・参加者が作ってきてくれた大きなバナー(なんと手書き)
・日の丸がぼうぼう燃えているバナー(当然手書き)
・大きな旗2つ(手作り)
などもあって、集合場所の御射山公園の一角は、すでに反日一色です。

頼んでもないのに時間どおりに集まってきた警官数名とともに、デモは出発。沿道からは、家族連れやグループが、秋の京都に突如響き渡る太鼓の音に、さっそく興味深げな視線を向けてきます。でも、頼んでもないのについてきている警官からは、烏丸通に出るまでの数十メートルの間にも「早く歩いて!」などといらん指示がとびます。

烏丸通を南へ歩き、四条通へ。いつのまにか数を増やした警官が、列の後方でバナーを持っていた参加者に「もっと左に寄れ」「早く歩け」としつこくからんできます。デモは人民の権利です。警察がじゃまをしていいはずがありません。なのに、耳元で大きな声で「許可条件を守れ!」などと叫び、笛をビービー吹き鳴らします。警察は、列の前方でも、参加者にどんどん罵声を浴びせてきます。拡声器を持った警官が、耳元で叫びます「早く歩かせろ!」「責任者やろ!」それもひとりではありません。警官が囲んでくるので、歩きたくても歩けません。なのに今度は「前へ進んでくださーい!」「クルマとおしまーす!あぶないですよー」デモの隊列にクルマを通してきます。参加者すれすれのところをクルマがとおっていきます。デモをじゃまして、あぶない目にあわせているのは、警察ですね。

隊列の前方で、後方で、まんなかあたりで、参加者が警官に囲まれて罵声を浴びせられます。沿道からは、なにごとが起こったのかという視線。でも「がんばってねー」という声もありました。

デモの後半、過剰警備のせいで隊列がふたつに分断されてしまい、後ろの隊列ではまばらに歩く人々を多数の警官が囲んで怒鳴りつづける、という構図になりました。それに対してこちらも抗議するわけですが、沿道の通行人から「迷惑だ」「やめさせろ」「逮捕しろ」「もうあきらめろ」などといった野次が飛ばされるときは、決まってそういう場面でした。「迷惑」だと思われようがどうだろうがデモをやるのはわれわれの意思だし、人民の権利なわけですが、警察の過剰警備がデモ隊を「迷惑なやつら」だとことさらに演出し、デモの趣旨を沿道の人々に伝えることを遮断する機能を果たしていると思いました。

一方で、マラソンやお祭りや右翼の街宣車に対しては歓迎ないし沈黙するのに、こうしたデモに対しては攻撃の意思をむきだしにしてくる人がある程度の割合で存在しているということに、それなりのおそろしさもあらためて感じました。

河原町の交差点が近づいてくるころには、警官は完全に「とにかく乱暴な言葉を吐いてひとを委縮させようとする人」になっていました。我を忘れているのか、これが本性なのか。

しかし、何度もいいますが、デモは人民の権利です。訴えたいことがなんにもないくらい、ひとびと(「国民」ではない)の自由と人権が保障されて、私たち一人ひとりが生きづらさをまったく感じないような社会であれば、デモをする人もいないかもしれません。でも、現状はそれとは全然違います。加害の歴史を隠蔽、歪曲し、戦争協力、加担の70年を「平和」の二文字で塗りこめ、過去に植民地化した国々と、そこにゆかりを持つひとびとに対しての差別をやめようとしないどころか、さらに苛烈な差別を行っているこの国の現状を、忘れるな、許さないぞと、いくら大声で訴えても、訴え足りません。


【当日のスピーチ】

○○通りをご通行中のみなさん。
私たちは安保法制、いわゆる「戦争法案」に反対し廃案を訴えてデモをしています。しかしまた同時にこのデモは、戦争法案に反対するがあまり「戦後70年戦争してこなかった平和な日本を守りたい」という嘘が叫ばれることにも、また、強権的に今国会での法案成立を目指し、ついに成立させてしまった政権与党に対して「国民を舐めるな」という日本における日本国民以外を排除する反戦運動のスローガンにも反対を訴えるものです。
1950年の朝鮮戦争に参加して以来、日本はすでに数々の戦争に加担してきました。ヤマトが押し付けた米軍基地が集中する沖縄はベトナム戦争での出撃基地にされました。その後も湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争アメリカの侵略戦争をいつも支援し協力してきたのが日本の戦後70年です。そしてその日米の軍事同盟は日本全体のたった0.6%の面積しかない沖縄に米軍基地の75%を押し付けるという差別によって、沖縄のひとびとの平和を破壊しながら維持されてきました。
戦後日本が平和だったと、もし言うのであれば、それは朝鮮のベトナムの、アフガニスタンの、イラクの、沖縄の、、、これらのひとびとの平和を奪って享受してきたヤマトの「平和」でしかありません。
また日本の戦争政策が、朝鮮や中国を仮想敵としてその脅威をいたずらに煽る一方で、日本こそがかつて中国他アジア諸国を侵略し、台湾、朝鮮を植民地支配したという加害の歴史を歪め、侵略戦争と植民地支配に対する戦後補償責任を放置してました。それは国内の朝鮮人をはじめとした旧植民地出身者やその他の外国人に対する差別政策にも現れています。
だからこそ私たちは日本政府の戦争政策に抗うにあたって「国民」という排他的な枠組みを取っ払うことを強く訴えたいと思います。

戦争法案に反対しましょう。また自衛隊に、日米安保条約に、沖縄への米軍基地押し付けに、朝鮮への敵視政策・制裁に、日の丸と君が代に、天皇制にノーをつきつけましょう。

シュプレヒコール

  • 戦争法案を廃案にしろ!
  • 警察は抗議者への弾圧をやめろ!
  • 警察は逮捕者をいますぐ解放しろ!
  • これ以上の戦争協力を絶対に止めるぞ!
  • 戦後日本の加害の歴史を忘れるな!
  • 朝鮮戦争ベトナム戦争湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争への協力・参加を忘れないぞ!
  • 歴史歪曲を許さないぞ!
  • 自衛隊も米軍基地もなくしていくぞ!
  • 沖縄への米軍基地押しつけを許さないぞ!
  • 日米軍事同盟をくつがえすぞ!
  • 朝鮮・中国への敵視政策をやめろ!
  • 在日朝鮮人への弾圧を許さないぞ!
  • 朝鮮学校に高校無償化を適用しろ!
  • 朝鮮学校への差別と介入をやめろ!
  • 入管は外国人への人権侵害をやめろ!
  • 自由も人権も「国民」だけのものではないぞ!
  • 日の丸・君が代に反対するぞ!
  • 天皇制を廃止するぞ!

これらシュプレヒコール以外にも、あまりにも警察がデモのじゃまをしてくるので

  • 警察はデモに介入するな!
  • デモは人民の権利だ!
  • 警察はデモのじゃまをするな!

と、参加したみんなで声をあげました。


デモの列は長ーくのび、河原町交差点で別の大きなデモとすれ違ったけどその隊列が行き過ぎてもまだ続きました。交通を完全に遮断した河原町交差点を、最後尾のバナーがゆっくりと右折します。なぜか別のデモの警備をしていた警官と車両まで(これも頼んでもないのに)合流し、スピーカーを使って「早く歩け!」と恫喝します。興奮した警官が、もうすでにゴールして、その場を立ち去ろうとする参加者にも食ってかかってきて、それを止めようとする別の参加者や、さらにそこに介入しようとする別の警官たちで、解散地点は一時騒然となりました。警察がいくら名残を惜しんでも、今日のデモはこれで終わりです。でも私たちの抗議は終わりません。日本が変わらない限り、また今度。



****かんじ、つかってません****

じゆうと じんけんは 「こくみん」の せんゆうぶつ ではないと かんがえる ひとびとは、さる 9がつ9にちに、きょうとで でもを おこないました。

「じゆうと じんけんは 「こくみん」の せんゆうぶつ ではないと かんがえる ひとびとに よる せんそうほうあん はんたい でも (つうしょう)はんにち でも」

しゅしぶんは ちょっぴり ながめです。

しゅしぶんは こちら→9.19「(つうしょう)はんにちデモ」しゅしぶん

でもの しゅしに ついては しゅしぶんを みてもらうとして、こんかいの でもでは、こっかい まえで こうどうした ひとびとを ふとうに たいほ・こうそくした けいさつに たいしても、こうぎの こえを あげました。

9.16国会前弾圧に対する抗議声明 学生ハンスト実行委員会
(9.16こっかいまえ だんあつに たいする こうぎ せいめい がくせい はんすと じっこういいんかい)

http://blogs.yahoo.co.jp/hansutojitsu/55725258.html

「戦争反対9.16弾圧愛宕救援会」声明 フリーター全般労働組合
(「せんそうはんたい9.16だんあつ あたご きゅうえんかい」せいめい ふりーたー ぜんぱん ろうどうくみあい)

http://d.hatena.ne.jp/spiders_nest/20150920/1442680960

9・16国会前大弾圧を許さない!抗議声明 福岡市民救援会
(9・16こっかいまえ だいだんあつを ゆるさない!こうぎ せいめい ふくおか しみん きゅうえんかい)

http://blog.livedoor.jp/fukukyuen/archives/45490570.html


じっさい、こんかいの わたしたちの でもでも、たいほこそ いまのところ ありませんが、けいさつに よる しつような でもぼうがいに、くるしめられる ことと なったのです……

しゅうごうばしょには、40にん ちかくの「ひとびと」が あつまりました。
きょねん つかって だいじに しまってあった おうだんまくの ほかに、
・このひの ために しんちょうした ぷらかーど(もちろんてがき)
・さんかしゃが つくってきてくれた おおきな ばなー(なんとてがき)
・ひのまるが ぼうぼう もえている ばなー(とうぜんてがき)
・おおきなはた 2つ(てづくり)

などもあって、しゅうごうばしょの みさやまこうえんの いっかくは、すでに はんにち いっしょくです。

たのんでもないのに じかんどおりに あつまってきた けいかん すうめいとともに、でもは しゅっぱつ。えんどうからは、かぞくづれや グループが、あきの きょうとに とつじょ ひびきわたる たいこの おとに、さっそく きょうみぶかげな しせんを むけてきます。でも、たのんでもないのに ついてきている けいかんからは、からすまどおりに でるまでの すうじゅうめーとるの あいだにも「はやく あるいて!」などと いらん しじが とびます。

からすまどおりを みなみへあるき、しじょうどおりへ。いつのまにか かずを ふやした けいかんが、れつの こうほうで ばなーを もっていた さんかしゃに「もっと ひだりに よれ」「はやく あるけ」としつこく からんで きます。でもは じんみんの けんりです。けいさつが じゃまを して いいはずが ありません。なのに、みみもとで おおきな こえで「きょかじょうけんを まもれ!」などと さけび、ふえを びーびー ふきならします。けいさつは、れつの ぜんぽうでも、さんかしゃに どんどん ばせいを あびせてきます。かくせいきを もった けいかんが、みみもとで さけびます。「はやく あるかせろ!」「せきにんしゃやろ!」それも ひとりでは ありません。けいかんが かこんでくるので、あるきたくても あるけません。なのに こんどは「まえへ すすんで くださーい!」「くるま とおしまーす!あぶないですよー」でもの たいれつに くるまを とおしてきます。さんかしゃ すれすれの ところを くるまが とおっていきます。でもを じゃまして、あぶないめに あわせているのは、けいさつですね。

たいれつの ぜんぽうで、こうほうで、まんなかあたりで、さんかしゃが けいかんに かこまれて ばせいを あびせられます。えんどうからは、なにごとが おこったのかという しせん。でも「がんばってねー」という こえも ありました。

でもの こうはん、かじょう けいびの せいで たいれつが ふたつに ぶんだんされてしまい、うしろの たいれつでは まばらに あるく ひとびとを たすうの けいかんが かこんで どなりつづける、という こうずに なりました。それに たいして こちらも こうぎするわけですが、えんどうの つうこうにんから「めいわくだ」「やめさせろ」「たいほしろ」「もうあきらめろ」などと いった やじが とばされるときは、きまって そういう ばめんでした。「めいわく」だと おもわれようが どうだろうが でもを やるのは われわれの いしだし、じんみんの けんりな わけですが、けいさつの かじょう けいびが でもたいを「めいわくな やつら」だと ことさらに えんしゅつし、でもの しゅしを えんどうの ひとびとに つたえることを しゃだんする きのうを はたしていると おもいました。

いっぽうで、まらそんや おまつりや うよくの がいせんしゃに たいしては かんげい ないし ちんもくするのに、こうした でもに たいしては こうげきの いしを むきだしに してくる ひとが あるていどの わりあいで そんざいしていると いうことに、それなりの おそろしさも あらためて かんじました。

かわらまちの こうさてんが ちかづいて くるころには、けいかんは かんぜんに「とにかく らんぼうな ことばを はいて ひとを いしゅくさせようと するひと」になっていました。われを わすれているのか、これが ほんしょう なのか。

しかし、なんども いいますが、でもは じんみんの けんりです。うったえたい ことが なんにも ないくらい、ひとびと(「こくみん」ではない)の じゆうと じんけんが ほしょうされて、わたしたち ひとりひとりが いきづらさを まったく かんじないような しゃかいで あれば、でもを する ひとも いないかも しれません。でも、げんじょうは それとは ぜんぜん ちがいます。かがいの れきしを いんぺい、わいきょくし、せんそうきょうりょく、かたんの 70ねんを「へいわ」の にもじで ぬりこめ、かこに しょくみんちかした くにぐにと、そこに ゆかりをもつ ひとびとに たいしての さべつを やめようと しないどころか、さらに かれつな さべつを おこなっている このくにの げんじょうを、わすれるな、ゆるさないぞと、いくら おおごえで うったえても、うったえたりません。

【とうじつの すぴーち】

○○どおりを ごつうこうちゅうの みなさん。
わたしたちは あんぽほうせい、いわゆる「せんそうほうあん」に はんたいし はいあんを うったえて デモを して います。しかし また どうじに このデモは、せんそうほうあんに はんたい するがあまり「せんご70ねん せんそうして こなかった へいわな にほんを まもりたい」という うそが さけばれる ことにも、また、きょうけんてきに こんこっかいでの ほうあんせいりつを めざし、ついに せいりつ させてしまった せいけんよとうに たいして「こくみんを なめるな」という にほんに おける にほんこくみん いがいを はいじょする はんせんうんどうの すろーがんにも はんたいを うったえる ものです。
1950ねんの ちょうせん せんそうに さんかして いらい、にほんは すでに かずかずの せんそうに かたん して きました。やまとが おしつけた べいぐんきちが しゅうちゅう する おきなわは べとなむ せんそうでの しゅつげききちに されました。そのごも わんがん せんそう、あふがん せんそう、いらく せんそうと あめりかの しんりゃくせんそうを いつも しえんし きょりょく して きたのが にほんの せんご70ねんです。そして そのにちべいの ぐんじどうめいは にほんぜんたいの たった0.6%の めんせきしか ない おきなわに べいぐんきちの 75%を おしつける という さべつによって、おきなわの ひとびとの へいわを はかい しながら いじ されて きました。
せんごにほんが へいわだったと、もし いうので あれば、それは ちょうせんの べとなむの、あふがにすたんの、いらくの おきなわの、、、これらのひとびとの へいわを うばって きょうじゅ してきた やまとの「へいわ」でしか ありません。
また にほんの せんそうせいさくが、ちょうせんや ちゅうごくを かそうてき として その きょういを いたずらに あおる いっぽうで、にほん こそが かつて ちゅうごく ほか あじあしょこくを しんりゃくし、たいわん、ちょうせんを しょくみんちしはい した という かがいの れきしを ゆがめ、しんりゃくせんそうと しょくみんちしはいに たいする せんごほしょうせきにんを ほうち して ました。それは こくないの ちょうせんじんを はじめとした きゅうしょくみんちしゅっしんしゃや そのたの がいこくじんに たいする さべつせいさくにも あらわれて います。
だからこそ わたしたちは にほんせいふの せんそうせいさくに あらがうに あたって 「こくみん」という はいたてきな わくぐみを とっぱらう ことを つよく うったえたいと おもいます。

せんそうほうあんに はんたい しましょう。また じえいたいに、にちべいあんぽじょうやくに、おきなわへの べいぐんきちおしつけに、ちょうせんへの てきしせいさく・せいさいに、ひのまると きみがよに、てんのうせいに 「のー」を つきつけましょう。

【しゅぷれひこーる】

  • せんそうほうあんを はいあんに しろ!
  • けいさつは こうぎしゃへの だんあつを やめろ!
  • けいさつは たいほしゃを いますぐ かいほうしろ!
  • これいじょうの せんそう きょうりょくを ぜったいに とめるぞ!
  • せんご にほんの かがいの れきしを わすれるな!
  • ちょうせんせんそう、べとなむせんそう、わんがんせんそう、あふがんせんそう、いらくせんそうへの きょうりょく・さんかを わすれないぞ!
  • れきし わいきょくを ゆるさないぞ!
  • じえいたいも べいぐんきちも なくしていくぞ!
  • おきなわへの べいぐんきち おしつけを ゆるさないぞ!
  • にちべい ぐんじ どうめいを くつがえすぞ!
  • ちょうせん・ちゅうごくへの てきし せいさくを やめろ!
  • ざいにち ちょうせんじんへの だんあつを ゆるさないぞ!
  • ちょうせん がっこうに こうこう むしょうかを てきようしろ!
  • ちょうせん がっこうへの さべつと かいにゅうを やめろ!
  • にゅうかんは がいこくじんへの じんけんしんがいを やめろ!
  • じゆうも じんけんも「こくみん」だけの ものでは ないぞ!
  • ひのまる・きみがよに はんたいするぞ!
  • てんのうせいを はいし するぞ!

これら しゅぷれひこーる いがいにも、あまりにも けいさつが でもの じゃまを してくるので

  • けいさつは でもに かいにゅうするな!
  • でもは じんみんの けんりだ!
  • けいさつは でもの じゃまを するな!

と、さんかした みんなで こえを あげました。

でもの れつは ながーく のび、かわらまち こうさてんで べつの おおきな でもと すれちがった けど そのたいれつが ゆきすぎても まだ つづきました。こうつうを かんぜんに しゃだんした かわらまち こうさてんを、さいこうびの ばなーが ゆっくりと うせつします。なぜか べつの でもの けいびを していた けいかんと しゃりょうまで(これも たのんでも ないのに)ごうりゅうし、すぴーかーを つかって「はやく あるけ!」と どうかつ します。こうふんした けいかんが、もう すでに ごーるして、そのばを たちさろうと する さんかしゃにも くってかかって きて、それを とめようと する べつの さんかしゃや、さらに そこに かいにゅう しようとする べつの けいかんたちで、かいさん ちてんは いちじ そうぜんと なりました。けいさつが いくら なごりを おしんでも、きょうの でもは これで おわりです。でも わたしたちの こうぎは おわりません。にほんが かわらない かぎり、また こんど。

しゅしぶん:「じゆうと じんけんは『こくみん』の せんゆうぶつ ではないと かんがえる ひとびとによる せんそうほうあん はんたいデモ (つうしょう)はんにちデモ」)

かんじ つかってる バージョン

しゅしぶん(みじかいほう)

 げんざい、あべ せいけんが しゅうだんてき じえいけん ようにんに むけた ほうせいかを くわだてています。いっぽう、これに たいこうする うんどうに ついても、こくみん しゅぎてきな せいかくを つよめ、ぜんたいとして しゃかい うんどう じたいの うけいかが すすんで いるように みえます。

「こくみん」を れんこし、こくみん しゅぎに とらわれた しゃかい うんどうは、にほんの せんそう せいさく・ていこく しゅぎに たいこうできる でしょうか。「こくみん なめんな」「こくみん まもれ」といった いま ひろく きかれる すろーがんは、にほんの 「こくみん」を もっぱら せんそうに“まきこまれる がわ”と いちづける ものです。そこに、にほんこそが ちょうせん・ちゅうごく はじめ あじあ しょこく しょちいきを せんかに まきこみ しんりゃく してきた がわで あったという れきしてき じじつ、げんざいも にほんこそが あじあの きょうい としてあり、また ぐんたいを がいこくに おくって しんりゃくを おこないつつ あるのだという げんじつは、かんぜんに ぬけおちています。

 せんそう ほうあんを はいあんに おいこみ、あべ せいけんの くわだてる「りっけん しゅぎの はかい」を とめること。しかし、あべを せいけんから ひきずりおろし、その くわだてから「こくみん」を 「まも」った あとに、はたして どのような みらいが まっているのでしょうか。りっけん しゅぎは 1950ねんに じえいたいの ぜんしんである けいさつ よびたいが そうせつ されたときに すでに はかいされて います。このときに ちょうせん せんそうに さんかして いらい、にほんは すでに かずかずの せんそうに かたんして きました。これら「せんご」の せんそうへの さんか・かたんは、にほんが げんざいにいたるまで「せんぜん」の せんそう せきにん・しょくみんち しはい せきにんから とうひ しつづけてきた ことと わかちがたく つながっています。このまま あべが しゅしょうの ざ から さったとしても、そのあとに のこるのは、「こくみん なめんな」「こくみん まもれ」という、しんりゃく せんそうを せいとうかし どういんを よびかける すろーがんと くべつ するのが むずかしい ような かけごえと、こべつてき じえいけんの こうしや にちべい あんぽ じょうやくは「ごうけん」である といった ほしゅはの しゅちょうに はんせん・へいわ うんどうが ますます とりこまれ こうたいしていく という じたい だけでは ないのでしょうか。

 せんそう ほうあんに ともに はんたい しましょう。どうじに、ひはんの しょうてんを あべ せいけんに きりつめるのでなく、あべ いぜんから つづく にほんの せんそう せいさく・ていこく しゅぎ・はいがい しゅぎ そのものに はんたい しましょう。じえいたいに、にちべい あんぽ じょうやくに、おきなわへの べいぐん きちの おしつけに、ちょうせんへの てきし せいさく・せいさいに、ちょうせん がっこうにたいする こうこう むしょうか せいさく からの はいじょに、ひのまると きみがよに、てんのうせいに「のー」を つきつけましょう。

しゅしぶん(ながいほう)

1.あべ せいけんの せんそう ほうあんと「はんせん」うんどうの うけいか

 あべ せいけんに よって、じえいたいの ぐんじ とうどうを ますます よういに する せんそう ほうせいの せいびが すすめられて います。さくねん 7がつに しゅうだんてき じえいけん こうしを ようにんする かくぎ けっていが なされたのに つづき、げんざい、せいふ・よとうは「あんぜん ほしょう かんれん ほうあん」と しょうする せんそう ほうあんを こっかいで せいりつ させようと しています。

 わたしたちは、あべ せいけんの こうした さっこんの うごきに はんたいすると ともに、あべ せいけんより ずっと いぜんから にほん せいふに よって すすめられて きた せんそう せいさく・しんりゃく せいさくをも どうじに とう でもを きかく しました。

 あべ せいけんの せんそう ほうあんに たいしては、いま、さまざまな たちばの ひとびとが それぞれの やりかたで はんたい うんどうに とりくんで います。しかし、たかまり こうはんかする「はんせん」うんどう そのものが、うけいかと せんそうの よういな くにづくりを ますます すすめる よういん・はぐるまに なりつつ あるのでは ないかと、わたしたちは きぐして います。


2.きょぎの「せんご」し――うけいかの ちょうこう(1)

 わたしたちが そう かんがえる りゆうの ひとつは、せんそう ほうあん はんたいの うんどうに おいてすら、おおくの ひとが にほんの「せんご」しに ついて きょぎを かたっている てんです。いわく、「せんご70ねんかん、にほんは せんそうに さんかする ことなく、けんぽう9じょうの もと へいわ こっかと して あゆんできた」と。じっさいには、「せんご」も にほんは、けんぽうの きんじた さいぐんびを おこない、にちべい あんぽ じょうやくの もと たこくへの ぶりょくによる いかくを つづけ、また ちょうせん せんそう、べとなむ せんそう、わんがん せんそう、いらく せんそう とうに かたんして きました。さきの せんごしの かたりは、にほんに よる「せんご」の かがいの れきしを まるで「なかったこと」にする あくしつな きょぎと いうべきです。

 こうした きょぎの せんごしは、けっして すくなくない かずの、だいがく きょうしなどを ふくむ ちしきじん、また へいわ うんどうの かつどうからに よって こんにち かたられており、これが たんなる「むち」の もんだいで ないことは あきらかです。これらの ひとびとが、うそを せっきょくてきに かたったり、あるいは うそを あえて ひていせずに ようにんしたり しているのには、あべ せいけんを「せんご」しに おける“いつだつ”あるいは“れいがい”として せつだんする ことで、これに はんたいする こうはんな れんたいを よういに しようという いとが あるのでしょう。にほんは「へいわ こっか」として あゆんで きたのに、あべが それを こわそうと している、だとう あべ せいけんで まとまろう、というわけです。こうして、じえいたい・かいじょう ほあんちょう といった ぐんじ そしきの そんざいと かつどう、にちべい あんぽ、おきなわへの べいぐん きちの おしつけといった もんだいが たなあげに された けっか、ほしゅはや 9じょう かいけん ろんしゃも いっしょに「はん あべ せいけん」「せんそう ほうあん はんたい」「しゅうだんてき じえいけん ようにん はんたい」といった きょうつうの はたじるしの もとに「れんたい」することが かのうに なります。

 しかし、ここで おきて いるのは、はんせん うんどうの なかでの たいこうじくの こうたいという じたいです。あべ せいけんと これの すすめる しゅうだんてき じえいけん ようにんに むけての ほうせいかと いったところに そうてんが きりつめられる ことに よって、にほんが はいせんごも いっかんして すすめてきた せんそう せいさくを、けっかてきに はんせん うんどう みずからが ようにん してしまう、という じたいが しょうじて いるのです。そして、この はんせん うんどうの じはつてき こうたい ともいうべき じたいは、げんざいが いわば「ひじょう じたい」である という りくつに よって せいとうか されて いるようです。せんそう せいさくを すいこうする せいふと これに たいこう するはずの うんどうの そうほうが、らでぃかる(こんぽんてき)な ひはん・いぎ もうしたてを「さまつな もんだいへの こだわり」として わいしょうかして きりすてる「ひじょう じたい」の しこうに とらわれつつ あるのです。


3.こくみん うんどうか する「はんせん」うんどう――うけいかの ちょうこう(2)

「はんせん」うんどう そのものが、にほんの うけいかを くどうする えんじんの いちぶに なりつつ あるのではないかという ちょうこうは、うんどうの こくみん うんどうかとしても あらわれて います。「こくみん なめんな」「こくみん まもれ」といった こーるが でもで なされ、あぴーるや ぎろんに おいて「こくみん」という ごが たよう されています。

 いうまでもなく「こくみん」は はいじょを ともなう ことばです。「こくみん」を たばね、その たばねられた ちからを はいけいに つかおうとする せいじは、はいじょ たいしょうと しての「ひこくみん」を つくりだし、はいじょの きょうかいせん じょうに おかれたものに どうかを せまります。「ひこくみん」と なざされたく なければ きょうじゅんを しめせ、と。

 はいせんごの にほんに おける「こくみん」という ことばの れきしてき ぶんみゃくも みすごせない もんだいを はらんで います。にほんこく けんぽう せいていの かていで、GHQ(じー・えいち・きゅー)の そうあんには ふくまれていた「people(ぴーぷる)」(じんみん)の ごが いとてきに「こくみん」と ほんやく されました。これにより、ばんにんが にほんこくに たいし しゅちょうしうるべき きほんてき じんけん、また にほんこくが とうちを およぼそうとする ぜんじんみんが しゅちょう しうるべき しゅけんしゃとしての ちいは、ときの いせいしゃや たすうしゃの かいしゃくする「こくみん」からの はいじょを まぬがれた、いちぶの ものの とっけんとして げんていを うける ことに なったのです。そのうえで、けんぽう しこう ぜんじつの 1947ねん5がつ2にち、てんのう ひろひとは きゅう しょくみんちである たいわん・ちょうせん しゅっしんしゃを「がいこくじんと みなす」とした ちょくれい「がいこくじん とうろくれい」を はっし、けんぽうの「こくみん」の はんいから これらの ひとびとを じょがいしました。そのうえで、1952ねん、にほんこく せいふは さんふらんしすこ こうわ じょうやく はっこうに ともない、きゅう しょくみんち しゅっしんしゃの こくせきを つうたつ ひとつで いっぽうてきに はくだつして「がいこくじん」として かんりかに おき、げんざいに いたります。

「こくみん」という ことばは、その ときどきの いせいしゃ・たすうしゃが おもうままに その はんいを さだめ、その きょうかいじょう・きょうかいがいに おいた しょうすうしゃを せんせいてきに とうちする どうぐとして あったし、その れきしてきな ぶんみゃくは かいじょされないまま いまも いきています。


4.にほんに よる しんりゃく せんそうに たいこうする ために

 この「こくみん」の ごほうに のっとって、にほん せいふは あべ せいけん いぜんから せんそう せいさくを つづけてきた てんは じゅうようです。にほん せいふは、ちょうせん みんしゅ しゅぎ じんみん きょうわこく(ちょうせん)や ちゅうごくの「きょうい」を けんでんし、これを じじつじょうの かそうてきとして すえることで、ぐんびの かくだい・さいへん、また おきなわに とりわけ しゅうちゅう している べいぐんの ちゅうりゅうを せいとうか してきました。このうち、ちょうせんの「きょうい」は、ちょうせん そうれんへの ふとう そうさくや みんぞく きょういくへの かいにゅうを くりかえし、ざいにち ちょうせんじんと その みんぞく だんたいに たいする ふの いんしょうづけを おこなうことを つうじて えんしゅつされて きました。こうして「こくみん」の がいぶ ないし きょうかいじょうの そんざいとして ざいにち ちょうせんじんを いろづける(まーくする)いんしょう そうさが、せんそう せいさくの いっかんとして おこなわれて きたのです。

「せんご」に おける このような れきしてき げんざいてき ぶんみゃくに まったくの むとんちゃくに なるので なければ、にほんの せんそう せいさくに たいこう しようと するときに「こくみん」の ごを れんこする などということは できないはずです。はいせんごも なお せんそうに さんか・かたん してきたという かがいの じじつを つごうよく しょうきょする、さきに のべた「せんご」しの かいざんが、「こくみん」れんこの「はんせん」うんどうを ささえて いるのです。ちしきじんや へいわ うんどう かつどうからに よって すすめられている、にほん こくみんを もっぱら せんそうに“まきこまれ”うる がわに いちづけようと する れきしの ねつぞう、これと うんどうに おける「こくみん なめんな」「こくみん まもれ」の しょうわは、れんぞくした いったいの ものと みるべきです。

「こくみん」とは だれか?その かてごりーは だれを ふくみ、だれを ふくまないのか?また、「こくみん」を おびやかす「はんにち」や「ひこくみん」は だれなのか?これらを きてい するのは、つねに いせいしゃであり、せいどであり、また たすうしゃ えした。そこには つねに ひたいしょうな けんりょく かんけいが あったのであり、しょうすうしゃは もっぱら きていされる がわで あるよりほか なかったのです。こうした せいじ・せいど・けんりょく かんけいが おんぞんされた げんじょうに おいて、「こくみん」れんこを つうじて れんたい・けっそくを はかるような うんどうが、せいふの せんそう せいさくに たいこうしうる ものに なるとは とうてい かんがえられません。

「こくみん」の ごを つかうことに いぜんは それなりに しんちょうで あったはずの ひとまでもが、こんにち「こくみん なめんな」「こくみん まもれ」の しょうわに くわわっています。はん あべの いってんで ひろく きょうとう するために、“あえて”あるいは“せんりゃくてきに”そうして いるのでしょうか。しかし、そのように たいせいに おもねって ことばを あやつろうと するものは、いずれ たいせいに のみこまれる ことに なるでしょう。「こくみん」れんこに いま“あえて”のっている ものたちは、“せんりゃくてきに”そうしている つもりでも、すでに「ひじょう じたい」の しこうに みずから のっかっています。かれらは、いせいしゃに よって「ゆうじ」「きんきゅう じたい」が えんしゅつ され、「こくみん」の「きき」が ますます あおられる なかで、たすうしゃが「てき」として ゆびさす「はんにち」「ひこくみん」への こうげきに そろって かたんする ことに なるでしょう。たばねられた「こくみん」の ちからに じょうじる せんたくを したものは、そのような せいじに あらがう ための げんそくを すでに みずから てばなして しまっているのですから。

 だから、わたしたちが なすべきことは、にほんの せんそう せいさくを こんぽんてきに ひはんする げんそくを あらためて こうちく しなおす ことです。そのためには、「せんご70ねんかん、へいわ こっかとして あゆんできた にほん」などという でたらめを となえるのを やめなければ なりません。あべの すすめる せんそう せいさくに はんたいすると どうじに、にほんの「せんぜん」「せんご」を とおしての れきしてきな かがい じじつ、こんごの かがい かのうせいを しゃていに いれた ひはんと こうぎの れんたいを つくりだして いくことが ひつようだと かんがえます。その れんたいは、にほんの こくみん しゅぎを ひはんし、あるいは こくふく して いこうと するもので なければ ならないはずです。

 せんそう ほうあんに ともに はんたいしましょう。また、じえいたいに、にちべい あんぽ じょうやくに、おきなわへの べいぐん きちの おしつけに、ちょうせんへの てきし せいさく・せいさいに、ちょうせん がっこうに たいする こうこう むしょうか せいさく からの はいじょに、ひのまると きみがよに、てんのうせいに「のー」を つきつけましょう。

(じゆうと じんけんは「こくみん」の せんゆうぶつ ではないと かんがえる ひとびと)

趣旨文:「自由と人権は『国民』の占有物ではないと考えるひとびとによる戦争法案反対デモ (通称)反日デモ」

かんじ つかってない バージョン

趣旨文(みじかいほう)

 現在、安倍政権が集団的自衛権容認にむけた法制化をくわだてています。一方、これに対抗する運動についても、国民主義的な性格を強め、全体として社会運動自体の右傾化が進んでいるようにみえます。

「国民」を連呼し、国民主義にとらわれた社会運動は、日本の戦争政策・帝国主義に対抗できるでしょうか。「国民なめんな」「国民守れ」といったいま広く聞かれるスローガンは、日本の「国民」をもっぱら戦争に“巻き込まれる側”と位置付けるものです。そこに、日本こそが朝鮮・中国はじめアジア諸国諸地域を戦禍に巻き込み侵略してきた側であったという歴史的事実、現在も日本こそがアジアの脅威としてあり、また軍隊を外国に送って侵略をおこないつつあるのだという現実は、完全にぬけおちています。

 戦争法案を廃案に追い込み、安倍政権のくわだてる「立憲主義の破壊」を止めること。しかし、安倍を政権から引きずりおろし、そのくわだてから「国民」を「守」ったあとに、はたしてどのような未来が待っているのでしょうか。立憲主義は1950年に自衛隊の前身である警察予備隊が創設されたときにすでに破壊されています。このときに朝鮮戦争に参加して以来、日本はすでにかずかずの戦争に加担してきました。これら「戦後」の戦争への参加・加担は、日本が現在にいたるまで「戦前」の戦争責任・植民地支配責任から逃避し続けてきたこととわかちがたくつながっています。このまま安倍が首相の座から去ったとしても、そのあとに残るのは、「国民なめんな」「国民守れ」という、侵略戦争を正当化し動員を呼びかけるスローガンと区別するのがむずかしいようなかけ声と、個別的自衛権の行使や日米安保条約は「合憲」であるといった保守派の主張に反戦平和運動がますます取り込まれ後退していくという事態だけではないのでしょうか。

 戦争法案にともに反対しましょう。同時に、批判の焦点を安倍政権に切りつめるのでなく、安倍以前からつづく日本の戦争政策・帝国主義・排外主義そのものに反対しましょう。自衛隊に、日米安保条約に、沖縄への米軍基地の押しつけに、朝鮮への敵視政策・制裁に、朝鮮学校に対する高校無償化政策からの排除に、日の丸と君が代に、天皇制に「ノー」をつきつけましょう。


趣旨文(ながいほう)

1.安倍政権の戦争法案と「反戦」運動の右傾化

 安倍政権によって、自衛隊の軍事行動をますます容易にする戦争法制の整備がすすめられています。昨年7月に集団的自衛権行使を容認する閣議決定がなされたのにつづき、現在、政府・与党は「安全保障関連法案」と称する戦争法案を国会で成立させようとしています。

 私たちは、安倍政権のこうした昨今の動きに反対するとともに、安倍政権よりずっと以前から日本政府によってすすめられてきた戦争政策・侵略政策をも同時に問うデモを企画しました。

 安倍政権の戦争法案に対しては、いま、さまざまな立場のひとびとがそれぞれのやり方で反対運動に取り組んでいます。しかし、高まり広範化する「反戦」運動そのものが、右傾化と戦争の容易な国づくりをますますすすめる要因・歯車になりつつあるのではないかと、私たちは危惧しています。


2.虚偽の「戦後」史――右傾化の徴候(1)

 私たちがそう考える理由のひとつは、戦争法案反対の運動においてすら、多くの人が日本の「戦後」史について虚偽を語っている点です。いわく、「戦後70年間、日本は戦争に参加することなく、憲法9条のもと平和国家として歩んできた」と。実際には、戦後も日本は、憲法の禁じた再軍備をおこない、日米安保条約のもと他国への武力による威嚇をつづけ、また朝鮮戦争ベトナム戦争湾岸戦争イラク戦争等に加担してきました。さきの戦後史の語りは、日本による「戦後」の加害の歴史をまるで「なかったこと」にする悪質な虚偽というべきです。

 こうした虚偽の戦後史は、けっして少なくない数の、大学教師などをふくむ知識人、また平和運動の活動家らによってこんにち語られており、これがたんなる「無知」の問題でないことはあきらかです。これらのひとびとが、ウソを積極的に語ったり、あるいはウソをあえて否定せずに容認したりしているのには、安倍政権を「戦後」史における“逸脱”として切断することで、これに反対する広範な連帯を容易にしようという意図があるのでしょう。日本は「平和国家」として歩んできたのに、安倍がそれをこわそうとしている、打倒安倍政権でまとまろう、というわけです。こうして、自衛隊海上保安庁といった軍事組織の存在と活動、日米安保、沖縄への米軍基地の押しつけといった問題が棚上げにされた結果、保守派や9条改憲論者もいっしょに「反安倍政権」「戦争法案反対」「集団的自衛権容認反対」といった共通の旗印のもとに「連帯」することが可能になります。

 しかし、ここで起きているのは、反戦運動のなかでの対抗軸の後退という事態です。安倍政権とこれのすすめる集団的自衛権容認にむけての法制化といったところに争点が切りつめられることによって、日本が敗戦後も一貫してすすめてきた戦争政策を、結果的に反戦運動みずからが容認してしまう、という事態が生じているのです。そして、この反戦運動の自発的後退ともいうべき事態は、現在がいわば「非常事態」であるという理屈によって正当化されているようです。戦争政策を遂行する政府とこれに対抗するはずの運動の双方が、ラディカル(根本的)な批判・異議申し立てを「些末な問題へのこだわり」として矮小化して切り捨てる「非常事態」の思考にとらわれつつあるのです。


3.国民運動化する「反戦」運動――右傾化の徴候(2)

反戦」運動そのものが、日本の右傾化を駆動するエンジンの一部になりつつあるのではないかという徴候は、運動の国民運動化としてもあらわれています。「国民なめんな」「国民守れ」といったコールがデモでなされ、アピールや議論において「国民」という語が多用されています。

 言うまでもなく「国民」は排除をともなう言葉です。「国民」をたばね、そのたばねられた力を背景に使おうとする政治は、排除対象としての「非国民」をつくりだし、排除の境界線上におかれた者に同化をせまります。「非国民」と名指されたくなければ恭順をしめせ、と。

 敗戦後の日本における「国民」という言葉の歴史的文脈もみすごせない問題をはらんでいます。日本国憲法制定の過程で、GHQの草案にはふくまれていた「people」(人民)の語が意図的に「国民」と翻訳されました。これにより、万人が日本国に対し主張しうるべき基本的人権、また日本国が統治をおよぼそうとする全人民が主張しうるべき主権者としての地位は、ときの為政者や多数者の解釈する「国民」からの排除をまぬがれた、一部の者の特権として限定を受けることになったのです。そのうえで、憲法施行前日の1947年5月2日、天皇裕仁は旧植民地である台湾・朝鮮出身者を「外国人とみなす」とした勅令「外国人登録令」を発し、憲法の「国民」の範囲からこれらのひとびとを除外しました。そのうえで、1952年、日本国政府サンフランシスコ講和条約発効にともない、旧植民地出身者の国籍を通達ひとつで一方的に剥奪して「外国人」として管理下におき、現在にいたります。

「国民」という言葉は、そのときどきの為政者・多数者がおもうままにその範囲をさだめ、その境界上・境界外に置いた少数者を専制的に統治する道具としてあったし、その歴史的な文脈は解除されないまま今も生きています。


4.日本による侵略戦争に対抗するために

 この「国民」の語法にのっとって、日本政府は安倍政権以前から戦争政策をつづけてきた点は重要です。日本政府は、朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)や中国の「脅威」を喧伝し、これを事実上の仮想敵としてすえることで、軍備の拡大・再編、また沖縄にとりわけ集中している米軍の駐留を正当化してきました。このうち、朝鮮の「脅威」は、朝鮮総聯への不当捜索や民族教育への介入をくりかえし、在日朝鮮人とその民族団体に対する負の印象付けをおこなうことをつうじて演出されてきました。こうして、「国民」の外部ないし境界上の存在として在日朝鮮人を色づける(マークする)印象操作が、戦争政策の一環としておこなわれてきたのです。

「戦後」におけるこのような歴史的現在的文脈にまったくの無頓着になるのでなければ、日本の戦争政策に対抗しようとするときに「国民」の語を連呼するなどということはできないはずです。敗戦後もなお戦争に参加・加担してきたという加害の事実を都合よく消去する、さきに述べた「戦後」史の改竄が、「国民」連呼の「反戦」運動をささえているのです。知識人や平和運動活動家らによってすすめられている、日本国民をもっぱら戦争に“巻き込まれ”うる側に位置づけようとする歴史の捏造、これと運動における「国民なめんな」「国民守れ」の唱和は、連続した一体のものとみるべきです。

「国民」とはだれか? そのカテゴリーはだれを含み、だれを含まないのか? また、「国民」をおびやかす「反日」や「非国民」はだれなのか? これらを規定するのは、つねに為政者であり、制度であり、また多数者でした。そこにはつねに非対称な権力関係があったのであり、少数者はもっぱら規定される側であるよりほかなかったのです。こうした政治・制度・権力関係が温存された現状において、「国民」連呼をつうじて連帯・結束をはかるような運動が、政府の戦争政策に対抗しうるものになるとはとうてい考えられません。

「国民」の語を使うことに以前はそれなりに慎重であったはずの人までもが、こんにち「国民なめんな」「国民守れ」の唱和にくわわっています。反安倍の一点で広く共闘するために、“あえて”あるいは“戦略的に”そうしているのでしょうか。しかし、そのように大勢におもねって言葉をあやつろうとする者は、いずれ大勢にのみこまれることになるでしょう。「国民」連呼にいま“あえて”乗っている者たちは、“戦略的に”そうしているつもりでも、すでに「非常事態」の思考にみずから乗っかっています。かれらは、為政者によって「有事」「緊急事態」が演出され、「国民」の危機がますますあおられるなかで、多数者が「敵」として指さす「反日」「非国民」への攻撃にそろって加担することになるでしょう。たばねられた「国民」の力に乗じる選択をした者は、そのような政治にあらがうための原則をすでにみずから手放してしまっているのですから。

 だから、私たちがなすべきことは、日本の戦争政策を根本的に批判する原則をあらためて構築しなおすことです。そのためには、「戦後70年間、平和国家としてあゆんできた日本」などというデタラメをとなえるのをやめなければなりません。安倍のすすめる戦争政策に反対すると同時に、日本の「戦前」「戦後」をとおしての歴史的な加害事実、今後の加害可能性を射程に入れた批判と抗議の連帯をつくりだしていくことが必要だと考えます。その連帯は、日本の国民主義を批判し、あるいは克服していこうとするものでなければならないはずです。

 戦争法案にともに反対しましょう。また、自衛隊に、日米安保条約に、沖縄への米軍基地の押しつけに、朝鮮への敵視政策・制裁に、朝鮮学校に対する高校無償化政策からの排除に、日の丸と君が代に、天皇制に「ノー」をつきつけましょう。

(自由と人権は「国民」の占有物ではないと考えるひとびと)