9.19「(通称)反日デモ」趣旨文

 9がつ19にちに 京都(きょうと)で デモを おこないました。

デモほうこくは こちら(かんじ つかってない バージョン あります)↓↓↓
http://d.hatena.ne.jp/kokuminyamero/20150924

 デモの せんでんの ために パンフレットを つくりました。パンフレットに のせた デモの しゅしぶん を ここに のせます。

 しゅしぶんは、みじかいのと ながいのと 2つ あります。

(通称)反日デモ第二弾無期限延期決定に関する声明(その3)

その1その2からのつづきです。

6.見えにくい被害、隠される加害―印象操作の怖さ

 私たちは、ひびの氏による、脅迫的言動、誹謗中傷、アウティングなどをともなう不当な介入的働きかけを受けていると考えています。しかし、私たち以外の第三者には、はっきりとそうはみえないのではないかと思います。以下では、ひびの氏のたくみな印象操作についてみていきたいと思います。

eggpson 招致反対 @eggpson 2014-07-12 11:15:03
RT @hibinomakoto:
こんにちは、読ませていただいてますが、一方的なつるしあげ、ラベリング[党派主義とか]にしか見えないのですが。組織内民主主義のことだとは思います。なにもわからずに口出すなといわれそうですが、何もわからないのです。どうか建設的な話し合いを。*1

ひっぴぃ♪(節操なし、即時廃炉脱原発 @hibinomakoto 2014-07-12 13:13:36
@eggpson コメントありがとうございます。具体的にどの辺りが「一方的なつるしあげ、ラベリング[党派主義とか]にしか見えない」のか、教えてもらえるとうれしいです。見直せるところは見直してみます。*2

ひっぴぃ♪(節操なし、即時廃炉脱原発 @hibinomakoto 2014-07-12 13:16:30
@eggpson これまで、私も建設的な話し合いをしたいと思い、直接丁寧に意見を伝えてきたりしたんですが、実は一切誠実な反応がなく、困っています。批判的な意見を伝えたとたん、「外国人扱い」をされて、対話の相手と看做されなくなりました。間違った運動の作り方であり、変更を求めてます。*3

ひっぴぃ♪(節操なし、即時廃炉脱原発 @hibinomakoto 2014-07-12 13:19:05
@eggpson 「建設的な話し合い」が可能になるよう、@kokuminyamero
さんにも、ちゃんと平場で対話をするように意見を届けてもらえるとうれしいです。*4

eggpson 招致反対 @eggpson 2014-07-12 13:24:46
RT @hibinomakoto: @eggpson
ちょっとメインのこととははずれますが、[外国人扱い]という表現は、差別、排外主義につながる(というか差別発言)ですので、撤回お願いします。*5

 ひびの氏は、「私も建設的な話し合いをしたいと思い、直接丁寧に意見を伝えてきたりした」と述べています。
 まず、アウティングをしたり、高圧的・威圧的にマウントポジションをとりにきたりしてきている人の口から、「私も建設的な話し合いをしたいと思い」という言葉がでてきていることに、私たちは驚愕しました。心の底からおどろきました。いったいこの人にとっての「建設的な話し合い」とはどういうものなのだろうか、と。
 そして、「直接丁寧に意見を伝えてきたりした」という発言については、意味がわかりません。
これまでにみてきたように、ツイッターでの私たちに対するひびの氏の言動は、とうてい「丁寧」なものではなかったし、「意見を伝えてきた」とも言いがたいものです。
 では、ツイッターでのメンションおよびブログコメント以外で、それをもって第三者にはよくわからなくても主催にはその批判が伝わるような「丁寧」な「意見」が直接に届けられた事実があるかといえば、そのような事実はありません。主催としてブログで公開しているメールアドレスにも、ひびの氏からのメールは届いておりません。
 私たちとしては、ひびの氏がここでおこなっていることは、ほのめかしによる印象操作であると判断せざるをえません。まるで、第三者にみえないところでのひびの氏による働きかけがあり、そこで私たちが「誠実な反応」をしていないせいで、ひびの氏と私たちのあいだでなにかトラブルが生じているかのような印象づけがここでおこなわれようとしているのです。
 なお、上に引用したあとのeggpsonさんとのやりとりのなかで、ひびの氏は、私たちとしては見すごしがたい発言をしています。

ひっぴぃ♪(節操なし、即時廃炉脱原発 @hibinomakoto 2014-07-13 23:08:51
@eggpson この言い方[「外国人扱い」というひびの氏による表現――引用者注]、どういう意味でとられました?日本社会で、そして日本政府などによって、外国人が取り扱われている不当な取り扱われ方、という意味で「外国人扱い」って書いています。RT 批判的な意見を伝えたとたん、「外国人扱い」をされて、対話の相手と看做されなく*6

ひっぴぃ♪(節操なし、即時廃炉脱原発 @hibinomakoto 2014-07-13 23:14:57
2014-07-13 23:14:57
@eggpson 少なくとも在日朝鮮人は日本社会の主権者だと私は思っていて、主権者であるのに法的には参政権が不当に剥奪されている状態、だと考えています。それは大日本帝国が女性から参政権を剥奪していた不当性と同じです。→
*7

ひっぴぃ♪(節操なし、即時廃炉脱原発 @hibinomakoto 2014-07-13 23:22:08
@eggpson →→主権者であるにも関わらず、制度的に社会の意志決定過程から合法的に排除する取り扱い方を外国人(少なくとも在日朝鮮人)はされていると私は考えていて、その取り扱い方自体が不当であるという意味と重ねる形で『外国人扱い』と私は言いました。→
*8

ひっぴぃ♪(節操なし、即時廃炉脱原発 @hibinomakoto 2014-07-13 23:26:44
@eggpson →日本社会で外国人が扱われる不当な扱われ方と同種のことを、団体としての @kokuminyamero はしているという意味だったんですが、まずいでしょうか。「自分のされてる不当なことを、人にするなんてやめて欲しい」という思いから、この表現を選びました。→
*9

 まず、「外国人差別」であるとのeggpsonさんの指摘に対して、ひびの氏の弁明がまったく弁明にもなにもなっていないという点を確認しておきます。
 ひびの氏が、この弁明らしきところで述べているのは、在日朝鮮人は主権者であるはずなのに、主権者としてあつかわれていないということです。
 では、eggpsonさんに問題にされたひびの氏の発言をもういちど確認しておきましょう。ひびの氏は、「批判的な意見を伝えたとたん、『外国人扱い』をされて、対話の相手と看做されなくなりました」と言っています。自分が「外国人扱い」されたことが不当だと言ってるわけです。このように、問題のひびの氏の発言は、“主権者でない者としてあつかわれたこと”ではなく、自分が「外国人扱い」されたことについて不当だというものだったのですから、そのあとの弁明らしき一連のツイート(「主権者であるのに」うんぬん)は、話のすりかえ、ごまかしにすぎません。
 そもそも、「外国人が取り扱われている不当な取り扱われ方、という意味で『外国人扱い』って書いています」などという言い分は、あまりにおかしなもので、弁明として通用するわけがないでしょう。日本社会での外国人に対する取り扱い方そのものを不当だと言いたいのであれば、「外国人を○○扱いするな」という批判のしかたはありえるにしても、「外国人扱い」などという言葉は出てくるわけがないのですから。たとえば、子どもの受けている不当な取り扱われ方を問題にしようとするときに、「子ども扱いするな」などと言うのはおかしな話です。「子ども扱いするな」は、“子どもではないのに子どもとおなじように取り扱われるのは不当だ”と言っているにすぎず、それは、子ども以外の者が現におこなっている子どもに対する扱い方そのもの、すなわち大人と子どものあいだでの差別的取り扱いを問題にするのとはまったく異なるからです。同様に、「外国人扱い」という言葉は、外国人でない者を外国人としてあつかうことを不当だという場合につかう言葉なのであって、「外国人が取り扱われている不当な取り扱われ方、という意味」でその言葉を使ったなどというひびの氏の言い分が、あとからのこじつけでしかないのはあきらかです。
 さらに私たちが見すごせないのは、「日本社会で外国人が扱われる不当な扱われ方と同種のことを、団体としての @kokuminyamero はしているという意味だったんですが、まずいでしょうか。『自分のされてる不当なことを、人にするなんてやめて欲しい』という思いから、この表現を選びました」というくだりです。
 ひびの氏は、ここで「自分のされてる不当なこと」と書くことで、私たちが外国人であるとほのめかしています。これに先だつツイートでは、「主権者であるのに法的には参政権が不当に剥奪されている」存在として「在日朝鮮人」に言及しているわけですから、ひびの氏は、私たち主催者が「在日朝鮮人」であると公言していることになります。
 この発言がひびの氏の知りえた「事実」にもとづくものだとすれば、ひびの氏の行為はアウティングにあたりますし、そうでなければ、私たち主催者に対して予断にもとづく決めつけをしている、ということになります。私たちは、主催メンバーの民族的出自や国籍について一般にいっさい開示していないのですから。なお、主催メンバーのこれらの情報にかんして、ひびの氏は、メンバーの一部についてはともかく、全体について判断しうる情報をもっていないはずです。
 また、eggpsonさんによって「外国人差別」であると的確に指摘された発言、および、指摘をうけたあとの一連の弁解じみた発言が、日本で「外国人扱い」されることがないであろう、そのかぎりにおいては特権的な位置にあると言えるひびの氏によってなされている、という点も重要でしょう。外国人とは、他者から「外国人扱い」を受ける存在なのであって、そうやって「外国人扱い」してくる他者に対してその外国人が反対に「外国人扱い」することなどできません。ここには、非対称な関係性があります。他者を「外国人扱い」することができる、ということ自体、その他者との関係において特権的な位置(自分は相手を「外国人扱い」できるが、相手は自分を「外国人扱い」できない)を占めているということです。
 ひびの氏は、そうした特権的な位置から、(ひびの氏の予断のうえでは)外国人あるいは在日朝鮮人である相手にむかって、「自分のされてる不当なこと[=外国人扱い]を、人[=ひびの氏]にするなんてやめて欲しい」と言っているのです。自分自身が占有しているにほかならない特権を、そんな特権などもたない他者にあべこべに見いだして、差別者・被差別者の構図を反転させてみせる。こうした手口は、「在日特権」や「逆差別」などと口にする者たちがもちいるトリックといったいどう違うというのでしょうか?

 さて、ひびの氏がおこなっている印象操作について、いますこし見ていきます。

韓基大(まだまだ裁判闘争中) @han00kidae 2014-07-16 16:06:22
@hibinomakoto @kokuminyamero 誰も言っていないことを「言った、言った」と騒ぎ立てるのは、ただの嘘つきだわ。誰が何を決めて、どう独善的で権威主義的態度だったのか具体的に書いて批判しろ。出来ないのだったらお前のやっていることはハラスメントの類いでしかない。*10

ひっぴぃ♪(節操なし、即時廃炉脱原発 @hibinomakoto 2014-07-16 21:48:21
@han00kidae 「誰が何を決めて、どう独善的で権威主義的態度だったのか具体的に書いて批判しろ」というのは、本当に具体的な個人名を出して、具体的なことをネットに書け、とおっしゃるのでしょうか。わたしはできればそんなこと、したくないです。
@kokuminyamero
*11

ひっぴぃ♪(節操なし、即時廃炉脱原発 @hibinomakoto 2014-07-16 21:52:13
@han00kidae 少なくとも私の主観では、私は、当該である @kokuminyamero やそのメンバーとの意見交換をまず指向しており、第三者に向けてネットで批判内容を詳しく説明すること自体をほとんどしてないです。だから、私のツイートだけを読んで全体が分かるはずがないです。*12

ひっぴぃ♪(節操なし、即時廃炉脱原発 @hibinomakoto 2014-07-16 23:09:53
@han00kidae 例えば「ひとびと」のブログでの私のコメントも、そこだけ読んだ人には何のことかよく分からないだろうなと、今改めて読み直しても思います。それは、コメントが実は「ひとびと」宛のものだからです。だからいちいち詳しく書いてない。@kokuminyamero
*13

 まず、引用したひとつめのひびの氏のツイートで、さりげなく私たちにたいする脅迫行為がおこなわれていることに注意していただきたいとおもいます。
「具体的な個人名を出して、具体的なことをネットに書け、とおっしゃるのでしょうか」とひびの氏は述べ、まずはアウティングの可能性を示唆します。そして、「わたしはできればそんなこと、したくないです」と述べて、直前の文で示唆したアウティングの可能性も選択肢としてかならずしも排除するものではないという意思を示しているわけです。
 さきに述べたとおり、ひびの氏はすでに主催者に対するアウティングをおこなっていることもあって、私たちとしてはひびの氏が今後さらにアウティング行為ををかさねてくるのではないか、と不安にならずにはいられません。率直に言って、このひびの氏の発言には非常な恐怖感をおぼえます。

 さらに、ここでもまた、さっきみたのと同様のほのめかしによる印象操作がおこなわれています。
 ひびの氏は、「第三者に向けてネットで批判内容を詳しく説明すること自体をほとんどしてない」から「私のツイートだけを読んで全体が分かるはずがない」のだと言います。また、ひびの氏がブログに投稿したコメントについても、「コメントが実は『ひとびと』宛のものだから」「いちいち詳しく書いてない」のだと述べています。あたかも、ひびの氏が私たちに具体的な内容をともなった批判をよせているかのような書きぶりです。また、あたかも、ひびの氏と私たちのあいだに第三者にはみえないような、ひびの氏 からのアプローチが存在しているかのような書きぶりです。しかし、そのようなものは存在していないのです。
 つまり、こういうことです。ひびの氏は、第三者にむけて、2つのイメージを印象づけようとしています。
 第1に、問題は第三者にはみえない「当事者」間(ひびの氏と私たちのあいだ)にあるのだということ。
 第2に、問題の原因と責任は、「当事者」のうち、ひびの氏の側でなく私たちの側にあるのだということ。
 そして、韓基大さんに対しては第1のイメージをもちいることで、「全体が分かるはずがない」のだからと言って第三者の介入をはねつけようとするいっぽう、eggpsonさんに対しては第2のイメージをもちいることで、「ちゃんと平場で対話をするように意見を届けてもらえる とうれしい」と言ってひびの氏にとって都合のよいかたちでの介入をもとめているのです。
 ここには、ドメスティック・バイオレンスの加害者のものと構造的によく似た戦略がある、と言ってよいのではないでしょうか。
 さて、私たちとしては、以上みてきたように、アウティングや脅迫をふくむ不当な侵害行為をくりかえし、しかもその不当性をまったく自覚してすらいないらしいひびの氏との「対話」に応じることはできません。ひびの氏がツイッターでくり返し要求してきている「組織としての『自由と人権は「国民」の占有物ではないと考えるひとびと』の、意思決定会議への参加の権利が誰にあるのか」についての開示に応じなければならない義務や責任が私たちにないことも、言うまでもありません。不当な暴力をふるってくる者に、一方的に「対話」を要求されるすじあいはないし、アウティングを現におこなっている者に組織内部の意思決定のあり方や個人にかんする情報を開示しろと言われて開示しなければならない理由もありません。ひびの氏が私たちと対話したいというのであれば、自分自身のおこなってきた行為の不当性を認識し、不当な暴力行為をやめたうえで、私たちに謝罪することが、最低限の条件でしょう。

7.弱い者が弱いままで参加できる場をめざして―「守られる者」をつくりだすな

 さきに述べたように、私たちは、弱い者が弱いままで参加できる運動のかたちをこそ追求したいと思います。
 いっぽう、以上みてきたようなひびの氏の言動は、対等な立場でつながろうとする者どうしのあいだに不平等・上下関係・権威主義をつくりだし強化するものであるのはまちがいありません。
 私たちが、(通称)反日デモ第二弾を延期せざるをえなかったのは、ざっくり言ってしまえば、予想されるひびの氏らによる攻撃がこわいから、しんどいからです。
 ひびの氏と対面することを考えると、しんどい。ひびの氏といっしょに歩くのも、しんどい。
 たしかに、警察による弾圧や右翼の妨害、また「仲良くしよう(ぜ)」をスローガンにする人たちの妨害も、こわいし、考えるだけでしんどいです。かれらには「反日」に対して暴力をふるってきたおびただしい「実績」があり、かれらの「反日」に対する敵意が暴力も辞さないほど強烈であることは実証ずみです。
 しかし、ひびの氏と対面することのしんどさ・こわさ、ひびの氏に「いっしょに」歩かれることのしんどさ・こわさは、それと別種の、ある意味、それ以上にはなはだしい、しんどさ・こわさがあります。なぜなら、ひびの氏の言動にみられるような他者への不当な暴力としての侵害、威嚇、権威主義などは、対等な立場でつながろうとするひとびとの連帯そのものを破壊するものだからです。それは、警察や右翼の暴力にそなえるための条件そのものを破壊するものにほかなりません。
 その意味で、デモ行進の外から右翼にカウンターをかけられる以上に、ひびの氏に威圧的に迫られることのほうが、より大きな脅威です。「脅威」と言ったのは、安全、安心して参加したいと考える者にとっての脅威であると同時に、参加者どうしおたがいに対等につながって議論や意見交換していくという私たちがめざす場づくりにとっての脅威でもあるということです。
 弱い者が弱いままで参加できる場づくりをめざすことと、ひびの氏の思想と行動様式があいいいれないものであることは、つぎのひびの氏の発言からもあきらかです。

ひっぴぃ♪(節操なし、即時廃炉脱原発 @hibinomakoto 2014-07-01 00:08:03
それにそもそも、仮にデモ主催者が日の丸を禁止し、日の丸を掲げる人をデモから排除した場合。日の丸があるだけでその場に参加できなく人がほんとにデモに参加できるようになるのか。ならない。なぜなら、デモの外から「日の丸を禁止したデモ」に対し抗議し日の丸を振ってデモにカウンターできるから。*14

ひっぴぃ♪(節操なし、即時廃炉脱原発 @hibinomakoto 2014-07-01 00:20:11
書いてて思いだした。性的な暴力の話と似てる。性的な暴力の加害者を場所から排除することによって被害者を守ることは出来ない。そうではなく、加害者がその場にいても被害者もそこにいることが出来るよう、被害者以外のその場にたまたまいる人が、コストを当然の義務として引き受けることが大切。*15

 ひびの氏は、日の丸があるような場であっても、そこに参加できる強さ、もしくは無頓着さをもちあわせた人です。なにしろ仲パレにも参加できるくらいの人なのですから。
 そんなひびの氏が、日の丸があることに無頓着ではいられない人が「ほんとにデモに参加できるようになる」条件について、さも知っているふうな勝手なおしゃべりを自分がしてよいなどと、どうして思えるのでしょうか。この、自分はなんでもわかっているのだといわんばかりの傲慢かつ無頓着な語り口に、強烈な違和感をおぼえるとともに、あきれかえらずにはいられません。
 妨害右翼が掲げる日の丸、<参加者との間に明確に敵対線が引かれた日の丸>と、共に歩かされる日の丸、それこそ<仲良くしようと迫る日の丸>。ひびの氏は、両者のあいだに当然あってしかるべき経験の差異を、かえりみることすらしない。それは、かえりみずにいられる、頓着せずにいられるという、ひびの氏の特権性を示すものにほかならないのではないでしょうか。
 私たちの原則からすると、まずはなにより、日の丸があると参加できないひとの気持ちと考えを尊重すること、また、それをどうしたら尊重できるのか、ということこそ考えなければなりません。それは、日の丸があっても平気でいられるような者が勝手に忖度し、一方的に決めつけてよいことではありません。
 ひびの氏がここでもちだしている「性的な暴力の話」についても同様です。どういう手段によって「被害者を守ること」が出来る(あるいは、出来ない)のか、という手前勝手なおしゃべりを、それこそ「守る」(!!)側の立場から一方的にしているということに、やはり強烈な違和感をおぼえます。
 結局のところ、ひびの氏の思想と行動様式は、日の丸があっても平気な者、「被害者を守る」側の者だけを尊重しようとするもの(ひびの氏に、だれであれ自分以外の他者を「尊重しようとする」などということがあるのだとして、というおよそ考えにくい前提にもとづく話ですが)なのだと言ってよいでしょう。

8.さいごに

 4で、ひびの氏が私たちに対してどのような働きかけをおこなってきているかという事実を、みなさんに知ってもらい共有したいのだということを書きました。それをただ知ってもらう、共有してもらう、ということが、とても大きなことなのだと、私たちは今回の件をつうじて知ることができました。ひびの氏の行動を懐疑の目でみていた人、懐疑の念をはっきりと表明してくれた人、ひびの氏の言動がまちがってる不当だと言ってくれた人。ここでお名前をあげることはしませんが、こうしたひとびとに、私たちはほんとうに力づけられたし、ほんとにほんとうに力づけられているのです。
 私たちとしてみなさんにお願いしたいのは、ひびの氏による私たちをふくむ他者への不当な侵害行為・脅迫行為・アウティング等に加担しないでほしいということです。また、そうした行為は、私たち以外のだれに対するものであれ、あるいは私たちをふくむだれによるものであれ、許されるべきでないということを、みなさんと共有したいと思うのです。もちろん、自戒もこめて。

 そして、無期限の延期とした(通称)反日デモ第二弾が実現される日をむかえたいです。
 もっとも、反日デモは、だれがいつどこでやってもよいことです。これまでも、アジア各地で、また日本でも、数多くの反日デモがおこなわれてきました。これからも、たくさんの反日デモが各地でおこなわれていくことでしょう。言うまでもない当然の話ですが。


2014年8月10日
自由と人権は「国民」の占有物ではないと考えるひとびと

(通称)反日デモ第二弾無期限延期決定に関する声明(その2)

その1からのつづきです。

5.「ほのめかし」「嘘つき呼ばわり」「謝罪要求」からのアウティング行為

 その後も、ひびの氏はツイッターを通して私たちへの働きかけをつづけていますが、それは威圧的であることにおいて一貫しています。
 さきにみた、ひびの氏の反応に対し、私たちはツイッターでつぎのように返信しました。

自由と人権は「国民」の占有物ではない @kokuminyamero 2014-06-23 20:05:27
@hibinomakotoさん。ご意見くださったことについて、現在検討しております。少し時間はかかるかもしれませんが、後日、デモの詳細発表と共に、お返事したいと思います。*1

以下は、これに対するひびの氏の返信です。

ひっぴぃ♪(節操なし、即時廃炉脱原発 @hibinomakoto 2014-06-28 13:11:34
@kokuminyamero お返事ありがとうございます。今後長期間に渡り、深刻な禍根を残す事になる可能性がありますので、ぜひ真摯にご検討下さい。*2

 一見ささいなことにもみえますが、こうした書きぶりにも、今回の件でのひびの氏の私たちに対する姿勢がよくあらわれています。
「深刻な禍根を残す事になる可能性」??? この人は、いったいどんな「深刻な禍根を残す」と言いたいのだろうか?
 ひびの氏は、具体的な内容をいっさい説明せず、こうしてただほのめかすのです。
2点、指摘したいと思います。
 第1に、「今後長期間に渡り、深刻な禍根を残す事になる可能性がありますので、ぜひ真摯にご検討下さい」という文言が、ひびの氏から私たちに対する脅迫とも解釈できるものだという点です。
 一般に、脅迫のメッセージは形式上は「助言」のかたちをとって発せられることがあります。たとえば、「痛い目にあうぞ」「夜道に気をつけろよ」といったふうにです。こうしたメッセージは、メッセージの送り手と受け手のあいだに信頼関係があれば、文字どおり「助言」として成立することもあるでしょう。しかし、信頼し、安心できる関係にない相手からの「痛い目にあうぞ」「夜道に気をつけろよ」といったメッセージは、受け手はこれを「助言」として受けとることはできません。
 さらに、「痛い目」とはどういうことなのか、なにに「気をつけ」るべきなのか、という危険の具体的な内容があいまいにぼかされたまま、危険の存在だけがほのめかされたメッセージは、なおさら「助言」とは受けとりがたいもので、受け手にとって脅迫と解釈するよりほかなくなる(したがって脅迫としての効果が生じる)わけです。
 上に引用したひびの氏のメッセージは、「今後長期間に渡」る「深刻な禍根」の具体的内容がなんら示されないまま、予想される「深刻な禍根」の存在だけがほのめかされたものです。したがって、私たちにとってはこれは「助言」として受けとりようのないものでした。
 しかも、重要なのは、このメッセージは第三者にとっておそらく「脅迫」にはみえにくいだろうということです。ひびの氏と私たちのあいだに、インターネット上からはみえないオフラインでのやりとりがあり、一定の信頼関係が存在している(あとで述べるように、ひびの氏はこういった粉飾・印象操作を第三者にむけて再三おこなっています)と想像する読者にとって、つぎのようにみえるだろうことです。すなわち、さまざまな運動の「現場」を経験しているひびの氏が、社会運動についての経験の相対的にとぼしい私たちに対して、一定の信頼関係にもどづいて、親切心から「助言」をしているのだろう、と。
 しかし、いっさいその内容の説明を欠いた「深刻な禍根」という文言(したがって、「助言」とは解釈しようのない文言)をみて、私たちとしては、このメッセージは、ひびの氏と私たちの関係に「今後長期間に渡り、深刻な禍根を残す」ことになると警告するものではないか、と考えざるをえなかったのです。つまり、ひびの氏のメッセージは、脅迫としての効果が生じうるものといえるし、じっさい、私たちにとって脅迫としての効果が生じた、ということです。
 指摘したい2点目としては、上に引用した短いツイートからも、ひびの氏が自身と私たちの関係をどう規定しているのか、うかがい知ることができるという点です。すなわち、自分は長期的な視野をもって相手がたの「深刻な禍根を残す」可能性を見通すことのできる賢者であり、相手は賢者である自分の「助言」を当然のように聞き入れる立場の存在である、という規定です。ようするに、見下しているわけです。そうでなければ、おまえはこのままでは「深刻な禍根を残す事になる」かもしれないぞ、という意味のセリフを、その「禍根」として想定している内容をいっさい説明せずに、はくことはできないでしょう。相手に対して、危惧すべき内容についてはいっさい伝えようとせずに、しかし自分はその危惧すべき内容をよく知っているのだということだけをほのめかす。ここにも、自分と相手とのあいだに「教える者/教えを請う者」という関係性を押しつけ、権威主義的な関係をもとうとする、ひびの氏の私たちに対する行動パターンをみてとることができます。
 こうした、私たちとひびの氏の関係性についてのひびの氏による規定は、私たちには受け入れられないものです。

 さて、私たちは7月5日にブログで「7月20日の(通称)反日デモの詳細ならびに第二弾の開催について」を公開し、この記事をもってひびの氏への返事にかえることにしました。以下は、記事公開直後のひびの氏と私たちのやりとりです。

自由と人権は「国民」の占有物ではない @kokuminyamero 2014-07-05 22:55:03
7月20日の(通称)反日デモの詳細ならびに第二弾の開催について
http://d.hatena.ne.jp/kokuminyamero/20140705/1404568501
*3

ひっぴぃ♪(節操なし、即時廃炉脱原発 @hibinomakoto 2014-07-05 23:00:35
最悪。全面的な不支持。第二弾には、不支持表明を目的として参加するかも。“@kokuminyamero:
7月20日の(通称)反日デモの詳細ならびに第二弾の開催についてhttp://t.co/3qHPCowilR
*4

ひっぴぃ♪(節操なし、即時廃炉脱原発 @hibinomakoto 2014-07-05 23:09:46
東京大行進や仲パレのダメなところをわざと選んでデフォルメしたような、このような運動のあり方には、不支持を表明することを呼びかけます。私自身『自由と人権は「国民」の占有物ではないと考えるひとびと
』の1人であり、看板の僭称も許せない➡ http://d.hatena.ne.jp/kokuminyamero/touch/20140705/1404568501
*5

ひっぴぃ♪(節操なし、即時廃炉脱原発 @hibinomakoto 2014-07-05 23:18:44
デモには、そのデモが掲げる課題について表現をしたいから参加するのであって、デモ主催を名乗る者達を支持したり応援するために参加するのでは無い。主催者の分際でデモを私物化するとは、一体何様のつもりか。指導者づらする運動エリートを、容認黙認してはならない。党派政治、セクト主義にNOを!*6

ひっぴぃ♪(節操なし、即時廃炉脱原発 @hibinomakoto 2014-07-05 23:24:08
@kokuminyamero 組織としての『自由と人権は「国民」の占有物ではないと考えるひとびと』の、意思決定会議への参加の権利が誰にあるのか、開示を要求します。*7

ひっぴぃ♪(節操なし、即時廃炉脱原発 @hibinomakoto 2014-07-05 23:51:13
嘘をつきましたね。お返事、頂いてませんよ。 “@kokuminyamero:
@hibinomakotoさん。ご意見くださったことについて、現在検討しております。少し時間はかかるかもしれませんが、後日、デモの詳細発表と共に、お返事したいと思います。”*8

自由と人権は「国民」の占有物ではない @kokuminyamero 2014-07-06 00:23:14
@hibinomakoto
お返事は当記事にかえさせていただきます。http://d.hatena.ne.jp/kokuminyamero/20140705/1404569939
*9

ひっぴぃ♪(節操なし、即時廃炉脱原発 @hibinomakoto 2014-07-06 00:24:21
@kokuminyamero 嘘をついた事実を認めた上で、謝罪をしてください。*10

ひっぴぃ♪(節操なし、即時廃炉脱原発 @hibinomakoto 2014-07-06 01:06:09
@kokuminyamero 何という上から目線。『対等でない関係によって縛られているときに私たちがなすべきは特権的な位置から仲良くしようと手をのばすことではなく、まずはその特権的な位置にいるほうがそこから降りることです』は、まずあなたたちにお返しします。降りてきなさい。*11

ひっぴぃ♪(節操なし、即時廃炉脱原発 @hibinomakoto 2014-07-07 23:13:50
@kokuminyamero 質問にお答えください。この「反日デモ」は、人々との意見交換も質問に答える気もない人達の集まりなんですか?
https://twitter.com/hibinomakoto/status/485428920490029056
https://twitter.com/hibinomakoto/status/485425308037029888
https://twitter.com/hibinomakoto/status/485435736884137985
*12

「嘘をつきましたね」というセリフにまずは注目してみたいと思います。そのあとのツイートでは、ひびの氏は「嘘をついた事実を認めた上で、謝罪をしてください」と一方的に謝罪まで要求しています。
 すくなくともはっきり言えるのは、やはりここでも、ひびの氏が私たちを対等に対話すべき相手とはみなしていないということです。ひびの氏がここでとっている行動は、私たちの認識を確認したり、あるいは弁明の機会をいちおうは与えたりといったプロセスをふまずに、いきなり嘘つきよばわりするというものです。ひびの氏にとって、私たちの言動が「嘘」であるかどうかを判断するにあたって、私たちとのあいだでの事実確認や認識のすりあわせのプロセスは必要ないということなのでしょう。
 対話するつもりがないだけならば、それはそれでわかる話ではあります。そうであるならば、私たち以外の第三者にあてて、「自由と人権は『国民』の占有物ではないと考えるひとびと」は嘘つきの集まりであると宣伝してまわればよいのだけの話です。
 しかし、ひびの氏は、とうてい対等な立場での対話を志向しているとは言いがたいメッセージを、第三者にむけて発するだけではなく、私たちをあて先にして送ってきています。いうならば、おまえたちはオレにとって対等な立場で対話するにあたいする相手ではないとひびの氏が考えているものと解釈するほかないメッセージを、わざわざ私たちへのメンションというかたちで送っているわけです。この奇妙な行動の意味をどう解釈したらよいので しょうか。
 ひとつには、第三者に対して、自分は「誠実に」対話をこころみている(にもかかわらず、相手が「誠実な」応答を拒否しているせいで対話が成立しない)のだとの印象をあたえようとしているということが考えられます。ひびの氏が第三者むけに、きわめて巧妙な印象操作をおこなっている点については、あとで問題にします。
 ここで重要なのは、ひびの氏は、私たちに対して対等な立場での対話を呼びかけてなどいない、ということです。ひびの氏は、「嘘」かどうかを判断するいっさいの対話的な手続きをはぶいたまま、問答無用とばかりに「嘘をつきましたね」と断じ、「謝罪」を要求しているわけです。
 ひびの氏が、実質的に私たちにむかって言っているのは、つぎのことです。すなわち、おまえが「嘘」をついたかどうか、また、なにが「嘘」でなにがそうでないのか、判断するのはおまえではない、と。第三者にむけては、自分は「誠実な」対話をのぞんでいるかのようにみせながら、私たちに対しては、マウント・ポジションをとりにきているのです。判断するのはおまえではなく、オレサマなのだ、と。
 ここにも、自分と相手との権力的な関係性を一方的に規定し、その規定を受け入れるよう相手にせまるという、ひびの氏が私たちに対して一貫して選択している行動様式をみてとることができます。ひびの氏は、第三者にむかって“あいつらは嘘つきである”とネガティブな印象づけをおこなうだけでなく、私たちに対し、ひびの氏に従属的な関係性をとりむすぶようにせまっているわけです。こうした、対等な対話を志向しているものとはとうていみなせないひびの氏の働きかけ・介入に対して、私たちとしては正面から応答することはできません。対等に対話しうる条件は、ひびの氏によってそこなわれているのですから。
 直接引用はしませんが、このあと、ひびの氏はツイッターで、主催のひとりの個人アカウントあてにも主催団体を非難する投稿をしています。これは、主催としてかかわっている個人を特定しうる情報を暴露するアウティング行為といえます。
この許されない行為によって、私たちがひびの氏と信頼関係を築く条件・対等な議論をする条件は、決定的にそこなわれたのです。
 アウティングの行為自体、人権侵害ですし、ひびの氏が今後さらなるアウティング行為をつづけ、またそれがエスカレートするるのではないだろうか、という恐怖も感じます。ひびの氏には、こうした威圧的な行為をただちにやめてほしいです。

その3につづきます。

(通称)反日デモ第二弾無期限延期決定に関する声明(その1)

前回の記事でお知らせしたとおり、7月27日(日)に開催を予定していた(通称)反日デモの第二弾は、無期限の延期とすることとしました。

第二弾延期のお知らせ

延期を決断した理由は、第二弾を開催するにあたり、見すごすことのできないリスク・不安要因が想定され、現在の主催メンバーでこれに対処するのはむずかしいと判断したからです。主催者として残念ながら延期を決断せざるをえなかった経緯について、以下にのべます。なるべく多くのひとに共有していただきたいと望んでいます。
この声明は、かなり長い文になったこともあり、3つの記事にわけて掲載します。

目次

その1
1.同日同時刻開催について
2.弱い者が弱いままで参加できる場をめざして
3.第二弾開催無期限延期を決めたこと
4.ひびの氏からの働きかけ―脅迫、レッテル貼り、誹謗中傷

その2
5.「ほのめかし」「嘘つき呼ばわり」「謝罪要求」からのアウティング行為

その3
6.見えにくい被害、隠される加害―印象操作の怖さ
7.弱い者が弱いままで参加できる場をめざして―「守られる者」をつくりだすな
8.さいごに

1.同日同時刻開催について

 7月20日(日)の第1回の反日デモは、「仲良くしようぜパレード2014」(以下、「仲パレ」)と同日同時刻開催のデモとして企画し、実行しました。
 私たちが、「仲パレ」との同日同時刻開催を選んだのには、いくつかの理由があります。
 ひとつには、「反レイシズム」の文脈で「仲良くしよう」や「友好」をとなえる運動への批判的な問題意識を表現したいと考えたからです。「仲良くしよう」をスローガンにした「反レイシズム」運動は、排外主義にあらがうことにならないばかりでなく、差別構造を隠蔽し、また被差別者を分断することで、差別を強化するものですらある。こうした問題意識については、デモ開催にあたっての趣旨文で述べました。

7月20 日は(通称)反日デモ!

 以上のような問題意識のもと、主催者メンバー間で、いくつかの行動案が提起され、討議されました。たとえば、「仲パレ」と同じ大阪で時刻をずらしてこれに批判的な意思を表現するデモをおこなうといった案も、検討しました。しかし、参加者と私たち主催者の安全と安心して参加できる場を確保するのはむずかしいだろうと判断し、最終的に大阪からやや距離のはなれた京都で、同日同時刻にデモを開催するという案を選択したのです。
「仲パレ」に批判的なデモをおこなう場合、暴力的な恫喝やアウティングといったリスクを心配しないわけにはいきません。実際、昨年の「仲パレ」で、排外デモに対する「カウンター」運動の中における女性への差別、搾取を訴えるビラ(画像参照)を配った人について、個人を特定しようとネットで情報提供を呼びかけた者がおり、これには「仲パレ」の共同代表(当時)のひとりも拡散協力のかたちで加担しています。こういった異論を暴力によって封じようとする行為が、仲パレの主催者や支持者によってさして深刻に問題にされているようにはみえないし、アウティングに加担した人物がいまなお主催者としてかかわっているようなパレードに異議を表明するためには、リスクを想定し、これにそなえなければならない現実があります。

 このように、私たちが京都での同日同時刻開催を選んだ理由のなかには、参加者と私たちが少しでも安全に、かつ安心して参加できる場を目指そうとした、という理由が最も大きいものとしてあります。もう少し具体的にいうと、仲良くしようぜパレードは、反差別を訴える場としては共感できず、参加もできないと考えている人々や、仲良くしようぜパレードの場ではさまざまな理由で自分の考えや主張を表すことができないと考えている人々(妨害されるかもしれないといった恐れをもった人々だけではなく、妨害などがなかったとしても、仲良くしようぜパレードの「寛容さ」「多様性」の一例として存在を許される、といった形では場のもつ政治的な力を根本的に批判することはできないと考える人々など)が、安心して参加できる独立した別の場を確保しようというのがその目的です。まずこの点を優先したいと私たちは考えました。

 しかし、デモを同日同時刻に行うというそのことによって不可能になってしまうことがある、という点にも、私たちは気がつきました。
 私たちは、「7月20日の(通称)反日デモの詳細ならびに第二弾の開催について」という文章において、以下のように述べました。

「(通称)反日デモ」の趣旨に共鳴してくださる方々の中には、「仲良くしようぜパレード」についても、その場を真に差別、排外主義に抗うためのものにしていくための参加の仕方を考えていらっしゃった方々や、新たにそのような参加の仕方を模索したいという気持ちを持つに至った方々もいらっしゃるかもしれません。また「仲良くしようぜ」というメッセージに違和感を覚えながらも両方に参加することでより差別、排外主義に反対していくことについて考えを深めたい、そんな方もいらっしゃるかもしれません。

 同日同時刻のデモでは、こういった人々が参加することができなくなってしまう。私たちが、運動を深め大きくしていくうえで、このような人々に出会い、議論できる場を作り出すことも、やはり大事なことなのではないか。そこで、7月27日の第二弾開催を決めたのでした。つまり、私たちが(通称)反日デモを、仲良くしようぜパレードの同日同時刻に行うことによって不可能になることを実現するための第二弾開催です。


2.弱い者が弱いままで参加できる場をめざして

 このように、私たちが第二弾開催を企画し、いったんはそこに参加を呼びかけた動機には、差別、排外主義に反対していこうとしながら「仲パレ」に違和をおぼえているひとびとが出会い議論できる場をつくっていきたいということ、私たち自身がそのようなひとびとと出会い議論したいということがありました。同時に、私たちは、デモや、デモをつうじた参加者どうしの議論や意見交換の場を、参加者にとって安全で、安心して参加できる場にしていきたいと考えてきました。
「安全で、安心して参加できる場」とひとことでいっても、その「安全」や「安心」を得られる環境には個人差もあります。たとえば、社会的な立場や属性によって、個人を特定できるような情報をアウティングされることにともなう損失のありようと程度は変わってきます。また、おなじ言葉での攻撃から受けるダメージの質と程度は、その人自身の性格や攻撃してくる相手との関係性によって、やはりそれぞれ異なってきます。
 それぞれのひとに、それぞれの弱さと強さがあり、また、おなじ場を共有する人々のあいだでも、いわばわりと「平気」なひとと、しんどさやこわさを強く感じているひとがいたりするということでもあります。
 私たちは、今回のデモを企画し準備するなかで、具体的に想定したリスクに対して、主催者内部で、各人がそれぞれ感じるしんどさやこわさをないがしろにしないように極力つとめてきたつもりです。だれかがしんどさやこわさをかかえたまま参加しなければならなかったり、あるいはしんどさ・こわさのために参加できなくなったりすることのないように。強くあることを要求されないような、おたがいの関係性。あるいは、弱い者が弱いままで参加できる運動のかたち。これらを模索していくことが、デモをより安全で、安心して参加できる場に近づけていくために必要だと考えたからです。
 弱い者が弱いままで参加できる場を追求するということは、互いの関係性を対等・平等なものに近づけていくということでもあります。それは、先頭に立って弱い者のかわりにたたかう強い指導者、弱い者を代弁する強い代表者をつくらないということであり、また、弱い者のしんどさやこわさをかわりに引き受けてくれる強い英雄をつくらないということです。

3.第二弾開催無期限延期を決めたこと

 27日に予定していた「(通称)反日デモ第二弾」を延期することしたのは、主催者メンバーにとって、深刻なリスク・不安要因が想定され、また、これにそなえ対応するための人的な余裕がないと判断せざるをえなかったためです。
 6月21日以来、私たちは、ツイッター上で、ひびのまこと氏による脅迫行為および誹謗中傷を受けています。ひびの氏によるそうした行為については、あとでくわしく述べます。
 また、ひびの氏とはべつに、デモ当日の主催者への攻撃を示唆する、やはり脅迫的なアプローチをとってきている人物もいます。この人は、ツイッターで27日の参加を表明したうえで、主催者を「独裁者」であるとし、これを「引きずりおろす」と予告していました(現在は、ツイッターアカウントを削除)。
 とくに、ひびの氏は、主催メンバーの一部について、本人が主催メンバーであることを公表していないにもかかわらず、それをネット上で公開するアウティング行為をすでにはたらいております。27日に第二弾を開催した場合、ひびの氏が参加する可能性も想定せざるをえなく*1、主催メンバーのなかには、恐怖としんどさをがまんして参加するか、それとも参加を見送るかという選択をせまられる者もでてきました。
 じつは、先日の第一弾のデモでは、ひびの氏とべつの脅迫的アプローチをとる人物が参加する可能性も排除できないため、主催メンバーのひとりは、デモ行進に参加することを断念せざるをえませんでした。第二弾についても、主催者の会議では、ひびの氏と顔をあわせるのはしんどいという者はぬきで、参加できる者だけで現場での運営をおこない開催するという案も、検討はしました。しかし、一部の主催メンバーに負担をおわせるかたちで開催することはしたくないし、なにより、しんどさ・こわさのために参加できなくなる者がでてくるかたちでの開催は、「弱い者が弱いままで参加できる運動」を追求するという私たちの基本的な理念に反することであると考え、第二弾の開催をいったんとりやめ、無期限の延期とすることにしたのです。

4.ひびの氏からの働きかけ―脅迫、レッテル貼り、誹謗中傷

 以下に、ひびの氏が私たちにどのような働きかけをしてきたのかということを、みていきます。これは、ひびの氏の「批判」「質問」への応答というよりも、ひびの氏が今回の件でどのような働きかけを私たちに対しておこなってきているかという事実を、みなさんに知ってもらい共有したいという趣旨のものです。
 私たちが、ブログでデモのアナウンスをしたのが6月20日。その深夜に、ひびの氏からの最初の反応がありました。

ひっぴぃ♪(節操なし、即時廃炉脱原発 @hibinomakoto 2014-06-21 02:25:31
@kokuminyamero 仲パレに時間をかぶせるのであれば、路線論争のあり方、社会運動のあり方として、不適切であり【主張内容が正しくても】支持できません。その場合には『反日デモ』への不参加を私は呼び掛けることになります。時間帯を完全にずらす事を求めます。*2

ひっぴぃ♪(節操なし、即時廃炉脱原発 @hibinomakoto 2014-06-21 02:46:25
ちなみに『自由と人権は「国民」の占有物ではない @kokuminyamero』や『コトコトじっくり煮込んだ日帝
@kotokotonittei』は、主張内容はいいこと大事なことをたくさん言ってるけど、運動の作り方が党派的というか悪しきセクト主義的な雰囲気なのは、全く支持できない。*3

ひっぴぃ♪(節操なし、即時廃炉脱原発 @hibinomakoto 2014-06-21 02:52:18
実際に表に出にくい状態、弾圧を受けやすい状態にある時におかしやすい過ちの例でいうなら、『セックスワークの非犯罪化を要求するグループ
UNIDOS』と同様の誤りをおかしているように思います。。http://barairo.net/works/?p=61
*4

 ひびの氏はここで、私たちの発表したデモの趣旨文の内容には具体的に言及することなく、開催の「時間帯を完全にずらす事」を一方的に要求してきました。同時にひびの氏は「仲パレに時間をかぶせるのであれば、……『反日デモ』への不参加を私は呼び掛けることになります」と宣言しています。つまり、「時間帯を完全にずら」しなさい、さもなくば不参加呼びかけをするぞと私たちにせまったわけです。
 ひびの氏の不参加呼びかけが、私たち「反日デモ」主催者にとって実際のところ深刻な打撃になるかどうかはべつとして、ひびの氏がここでおこなっているのは、脅迫とよぶべき行為です。ひびの氏がやっているのは、相手にとって打撃となるだろうと想定した行動を示唆し、その威力によって相手の意思をまげてみずからの要求を通そうとするものなのですから。
 たしかに、社会運動体が、行政などにこうした脅迫的な働きかけをおこなうことはしばしばありますし、その場合「脅迫的」であるからといってその働きかけの手段としての正当性が否定されるわけではかならずしもないでしょう。労働組合が経営者に働きかける場合も同様です。働きかける相手が権力関係において自分たちより優位にあること、また、そうした権力関係のために自分たちが相手によって構造的に権利侵害を受けやすい立場にある(あるいは現に権利侵害を受けている)ことなど、脅迫的なアプローチを場合によって正当化しうる根拠が存在するのはたしかです。
 しかし、いち任意団体である「自由と人権は 『国民』の占有物ではないと考えるひとびと」が、特定の日時にデモを開催することを企画し、参加の呼びかけをおこなった、ということについて、「時間帯を完全にずら」せと脅迫されるいわれがどこにあるのでしょうか?
 また、ひびの氏は、根拠をいっさい示すことなく、レッテル貼りをおこなってもいます。「党派的」「悪しきセクト主義的」という言葉をどのような意味でつかっているのか、また、私たちの運動の作り方の具体的にどの点を指して「党派的」「悪しきセクト主義的」と言っているのか。こういった点についての明示的な説明を、ひびの氏はこの時点ではいっさいおこなっておりません。このひびの氏のふるまいは、意図的・戦略的なものとみなさざるをえません。
 相手とのあいだに自分に有利な権力関係をつくろうとする人は、しばしば、具体的な内容をわざとぼかした非難を相手に対してぶつけます。ここで戦略的に意図されているのは、自分と相手とのあいだに「教える者/教えを請う者」という関係性をつくりあげ、さらにその関係性を固定しようとすることです。つまり、「オレの言ってることが理解できないなら、オレにへりくだってオレに教えを請え」というわけです。
 ひびの氏は、上に引用したツイートでは、「仲パレに時間をかぶせる」ことが「路線論争のあり方、社会運動のあり方として、不適切」だと断じていますが、それがどのような点でなぜ「不適切」なのかという説明も、はぶいています。したがって、非難を受けている私たちからすれば、なにを非難されているのかあきらかではなく、ただただ不安な気持ちにさせられるほかなかったのです。私たちのあいだでも、ひびの氏がいったいなにを問題としようとしているのか、ひびの氏のツイートをどう解釈したらよいのか、すくなくない時間をついやして議論がおこなわれました。それは体力的にも精神的にも、なかなか消耗させられる経験でした。
 しかし、よくよく考えてみると、なんのことはない。ひびの氏のこの時点での私たちへの非難は、なんら中身のない誹謗中傷としかいえないものなのです。ひびの氏の非難を私たちが理解できなかったのは、当然です。ひびの氏は、上記3つのツイートからあきらかなように、いっさいの説明をはぶいているのですから。この奇妙なほどの説明の欠如は、ひびの氏が私たちに対して、そもそも説得的になにかをつたえようとする意思を欠いているものと解釈するよりほかありません。まるで「明示的に語られていないオレさまの真意を読みとれ。読みとれないならば、教えを請いに来い」と言われているかのようです。
 以上みてきたように、私たちがブログでデモの企画を発表し、参加を呼びかけた直後におけるひびの氏の反応は、対等な立場での対話を志向するものではなかったということはすくなくとも言えると思います。

その2につづきます。

第二弾延期のおしらせ

2つめは、かんじつかってません。

****かんじ、つかってます****

(通称)反日デモの第二弾を7月27日に開催するむねをアナウンスしておりました。
http://d.hatena.ne.jp/kokuminyamero/20140705/1404569939
しかし、第二弾を開催するにあたって想定されるリスク・不安要因に対し、現在の主催メンバーで対処するのは現時点ではむずかしいと判断せざるをえなく、27日の開催は断念し、無期限の延期とすることにしました。
主催者としてそう判断した事情・経緯については、後日ブログにておって説明いたします。
参加を予定・検討していたかたがたに、深くおわび申しあげます。

****かんじ、つかってません****

(つうしょう)はんにちデモの だいにだんを 7がつ27にちに かいさいする むねを アナウンスしておりました。
http://d.hatena.ne.jp/kokuminyamero/20140705/1404569939
しかし、 だいにだんを かいさいするに あたって そうていされる リスク・ふあんようそ不に たいし、 げんざいの しゅさいメンバーで たいしょするのは げんじてんでは むずかしいと はんだん せざるをえなく、 27にちの かいさいは だんねんし、 むきげんの えんきと することに しました。
しゅさいしゃとして そう はんだんした じじょう・けいいに ついては、 ごじつ おって ブログにて せつめい いたします。
さんかを よてい・けんとう していた かたがたに、 ふかく おわびもうしあげます。

デモ報告

デモのほうこくです。2つめは、かんじつかってません。
****かんじ、つかってます****

みなさん、はんにちわ。
先日、7月20日に(通称)反日デモを行いました。
30人くらいで一緒に繁華街を歩きながら次のような言葉たちを声を大にして叫びました。

(コール集)
ヒノマルいらない!キミガヨやめろ!ヤスクニを解体するぞ!天皇制を廃止しよう!
日本は加害の歴史に学べ!戦争責任を果たせ!
人殺しの米軍基地はいらないぞ!基地を沖縄に押し付けるな!京都にも作るな!
基地は世界のどこにもいらない!自衛隊もいらない!軍事同盟に反対するぞ!
日本こそ東アジアの脅威だ!原発輸出をやめろ!武器輸出も許さないぞ!人殺しで商売するな!
日本は民族浄化をやめろ!イスラエル民族浄化をやめろ!
朝鮮への敵視をやめろ!「制裁」を無条件に解除しろ!
朝鮮学校への高校無償化除外を許さないぞ!補助金凍結も許さないぞ!
在日朝鮮人への差別をやめろ!在日外国人への差別をやめろ!
人殺しの入管を解体しよう!強制送還をやめろ!
国籍条項を廃止しろ!戸籍制度も廃止しろ!男性健常者以外も人間扱いしろ!こども産めと強制するな!
デモをもっと自由にさせろ!弾圧やめろ!逮捕するな!がさ入れやめろ!警察いらない!

これは、今回のデモで掲げた横断幕です。

(侵略と差別に反対する反日デモ

途中で激しいにわか雨に晒されずぶ濡れになりながらのデモとなり、思わず「雨やめー!」と天に抗議するシュプレヒコールもあがりつつ、良いデモができたんではないかなと思っています。
特にそれは、警察が自由なデモを押さえつけようとするときに、必死に抗議する姿に溢れるデモだったことからそう感じています。
「もっと前に!」「内側によりなさい!」「警察の指示に従いなさい!」と声を荒げてくる警察に対して従順な態度をとるのではなく、「自由にデモをさせろ!」「警察はいらない!」とその場で抗議し、デモの列幅を狭めてこようとされてもその場に踏みとどまったり広がろうとする姿が溢れていました。
デモの自由は、それが押さえ込まれようとしているときのせめぎあいのなかでこそ決まるものだと思います。私たちにとって可能な抵抗表現のありかたは、既にこれまでの運動の中で獲得してきた成果のうえにあり、それは言い換えると、規制に押され狭めてしまった自由の分だけ、明日に可能な表現はそれだけ不自由なものになっていくのだと思います。
だからこそ、参加者それぞれが警官の規制を無視したり、抗議することで、私たちの自由をいっしょにつくっていくことはとても大事だと思います。誰かが規制線を越えて警察に詰め寄られているときに、自分も線を越えてみたりまたは他の何かで注意をひきつける、こうやってリスクを分散しながら参加者同士で互いに守ろうとする協同があったとおもいます。

今回は距離にするとそう長くないデモコースでしたが、1時間かけてしっかりゆっくり歩きました。一緒に歩いたみなさん、お疲れ様でした。一緒に歩けてうれしかったです。
また、今回のデモに寄せてメッセージを送ってくださったみなさんにも篤くお礼申し上げます。どれも示唆に富む大切な言葉があふれるメッセージです。どうぞ、未読の方はぜひとも一つひとつに触れてくださればと思います。

http://d.hatena.ne.jp/kokuminyamero/searchdiary?word=%2A%5B%A5%E1%A5%C3%A5%BB%A1%BC%A5%B8%5D

****かんじ、つかってません****

みなさん、はんにちわ。
せんじつ、7がつ20にちに (つうしょう)反日デモを おこないました。
30にんくらいで いっしょに はんかがいを あるきながら いかの こーるを さけびました。

(コールしゅう)
ヒノマルいらない!キミガヨやめろ!ヤスクニを かいたい するぞ!てんのうせいを はいし しよう!
にほんは かがいの れきしに まなべ!せんそうせきにんを はたせ!
ひとごろしの べいぐんきちは いらないぞ!きちを おきなわに おしつけるな!きょうとにも つくるな!
きちは せかいの どこにも いらない!じえいたいも いらない!ぐんじどうめいに はんたいするぞ!
にほんこそ ひがしアジアの きょういだ!げんぱつゆしゅつを やめろ!ぶきゆしゅつも ゆるさないぞ!ひとごろしで しょうばいするな!
にほんは みんぞくじょうかを やめろ!イスラエルも みんぞくじょうかを やめろ!
ちょうせんへの てきしを やめろ!「せいさい」を むじょうけんに かいじょしろ!
ちょうせんがっこうへの こうこうむしょうかじょがいを ゆるさないぞ!ほじょきんとうけつも ゆるさないぞ!
ざいにちちょうせんじんへの さべつを やめろ!ざいにちがいこくじんへの さべつを やめろ!
ひとごろしの にゅうかんを かいたいしよう!きょうせいそうかんを やめろ!
こくせきじょうこうを はいししろ!こせきせいども はいししろ!だんせいけんじょうしゃいがいも にんげんあつかいしろ!こどもを うめと きょうせい するな!
デモを もっと じゆうに させろ!だんあつ やめろ!たいほするな!がさいれ やめろ!けいさつ いらない!

これは、こんかいの デモで かかげた おうだんまくです。

(しんりゃくと さべつに はんたいする はんにちデモ)

とちゅうで はげしい にわかあめに さらされ ずぶぬれに なりながらの デモとなり、おもわず 「あめ やめー!」と てんに こうぎする シュプレヒコールも あがりつつ、よいデモが  できたんではないかなと おもっています。
とくに それは、けいさつが じゆうな デモを おさえつけようと するときに、ひっしに こうぎする すがたに あふれる デモだったことから そう かんじています。
「もっとまえに!」「うちがわに よりなさい!」「けいさつの しじに したがいなさい!」と こえを あらげてくる けいさつに たいして じゅうじゅんな たいどを とるのではなく、「じゆうに デモをさせろ!」「けいさつは いらない!」と そのばで こうぎし、デモの れつはばを せばめてこようと されても そのばに ふみとどまったり ひろがろうとする すがたが あふれていました。
デモの じゆうは、それが おさえこまれようと しているときの せめぎあいの なかでこそ きまるものだと おもいます。わたしたちにとって かのうな ていこうひょうげんの ありかたは、 すでに これまでの うんどうの なかで かくとくしてきた せいかの うえにあり、 それは いいかえると、 きせいに おされ せばめてしまった じゆうの ぶんだけ、あすに かのうな ひょうげんは それだけ ふじゆうな ものに なっていくのだと おもいます。
だからこそ、 さんかしゃ それぞれが けいかんの きせいを むししたり、 こうぎすることで、 わたしたちの じゆうを いっしょに つくっていくことは とても だいじだと おもいます。 だれかが きせいせんを こえて けいかんに つめよられて いるときに、 じぶんも せんを こえてみたり または ほかの なにかで ちゅういを ひきつける、こうやって リスクを ぶんさんしながら さんかしゃどうしで たがいに まもろうとする という きょうどうが あったと おもいます。
こんかいは きょりにすると そう ながくない デモコースでしたが、1じかん かけて しっかり ゆっくり あるきました。いっしょに あるいた みなさん、おつかれさまでした。いっしょに あるけて うれしかったです。
また、こんかいの デモに メッセージを よせてくださった みなさんにも、あつく おれい もうしあげます。どれも しさに とむ たいせつな ことばで あふれる メッセージです。どうぞ、みどくの かたは ぜひとも ひとつひとつに ふれてくださればと おもいます。

http://d.hatena.ne.jp/kokuminyamero/searchdiary?word=%2A%5B%A5%E1%A5%C3%A5%BB%A1%BC%A5%B8%5D

米津篤八(よねづ とくや)さんからのメッセージ

※本日7/20はデモ当日であるため、現時点で寄せられているメッセージをすべて公開させていただきますが、この4つの記事に関しては、明日以降また一日ひとつずつ再度紹介させていただくことにします。
ご了承ください。

※ほんじつ 7/20は でも とうじつで あるため、 げんじてんで よせられている めっせーじを すべて こうかい させて いただきますが、 この 4つの きじに かんしては、 あすいこう また いちにち ひとつずつ さいど しょうかいさせて いただきます。
ごりょうしょう ください。

米津篤八(よねづ とくや)さんからのメッセージです。2つめは、かんじつかってません。

****かんじ、つかってます****

権力による支配は、一方的な弾圧だけでは成り立たない。力ずくで抵抗を押さえ込むのは、けっこうなコストがかかるうえ、さらなる抵抗を呼び起こし、権力の基盤をも堀崩すことになる。もっと頭のいいやり方は、被支配者のなかに協力者をつくることだ。

日本はそのことを1919年、朝鮮の3・1独立運動から学んだ。それまでの「武断政治」は、全朝鮮人を敵に回した。小学生までもが太極旗を手に、自発的にデモに参加した。日本は数万人もの朝鮮人を殺して、独立運動を武力で押さえ込んだが、それを契機に「文化政治」へと方針を切り替えた。朝鮮人にも一定の範囲で出世や金儲けの機会を与え、自治と平等への幻想を与えたのだ。

その結果、「親日派」が生まれた。朝鮮語で「親日派(チニルパ)」というのは、「日本が好きな人たち」という意味ではない。「日本帝国主義の協力者」という意味だ。日本の権力層に協力し、警官や官吏になって、同じ朝鮮人を搾取・弾圧した人たちのことだ。

彼らはなぜ、親日派になったのだろうか。自分だけの出世を考えた人もいるだろう。だが、日本に協力することが朝鮮人の生活の底上げにつながり、差別の解消につながるという「善意」から親日派になった人たちもいるだろう。結果的に、その「善意」は日本によって手ひどく裏切られたわけだが。

このように、日本は帝国主義支配のセオリー通り、朝鮮人を分割して統治した。朝鮮人を二種類に分け、独立をたくらむ「悪い朝鮮人」を「排除」し、日本に協力する「良い朝鮮人」を「包摂」したのだ。

その例のひとつが、関東大震災朝鮮人虐殺にあたって警視庁が撒いたビラの文章だ。そこにはこうある。
「鮮人(ママ)の大部分は順良なるものにつき、みだりにこれを迫害し、暴行を加うる等なきよう注意せられたし」(表記は現代仮名遣いにあらためた)

つまり、「悪い朝鮮人」(不逞鮮人)に分類された者は、迫害し、暴行してもいいというわけだ。

朝鮮人のなかに打ち込まれたその「くさび」は、いまの南北分断にまでつながっている。その「くさび」が、朝鮮本国だけでなく、在日朝鮮人をも分断している。

いま、在特会などのヘイトスピーチが問題になっている。それに対して、「仲良くしようぜ」というスローガンによって対抗しようとする人たちがいる。

「仲良く」?
誰と誰が?

「日韓なかよくしようぜ会」の趣旨文には、こうある。
朝鮮民主主義人民共和国の無辜の市民の存在を排除するものではありません」
つまり、彼らによれば、「無辜でない朝鮮人」は、排除の対象らしい。これは1923年9月3日の警視庁のビラと、どう違うのか。
無辜の朝鮮人と、無辜でない朝鮮人。順良な朝鮮人と、不逞鮮人。仲良くすべき朝鮮人と、殺されてもいい朝鮮人。誰が、どのような基準で分けるのか。日の丸を嫌悪し、天皇を憎む者は、無辜なのか、無辜でないのか。日本人に、それを決める資格はあるのか。

ひとつ、日本人が肝に銘じておくべきことがある。日本帝国主義下で「不逞鮮人」として排除の対象とされた朝鮮人こそ、最後まで日本の侵略と戦い、解放後には朝鮮民主主義人民共和国を打ち立てたのだという歴史的事実だ。

そして、朝鮮学校朝鮮総連が日本社会でいまも排除の対象とされているのは、その朝鮮民主主義人民共和国を「祖国」とみなしているが故なのだ。

それは単なるレイシズムの問題ではない。日本帝国主義がいまも生きている証拠なのだ。日本人には朝鮮人を二つに分類する権利があるという思い上がり。血塗られた手を洗うこともなく、勝手に「順良」とみなした朝鮮人に対して「仲良くしようぜ」と、その手を差し伸べる厚かましさ。それこそが、帝国主義根性なのだ。

****かんじ、つかってません****

けんりょくによる しはいは、いっぽうてきな だんあつ だけでは なりたたない。ちからずくで ていこうを おさえこむのは、けっこうな
コストが かかる うえ、さらなる ていこうを よびおこし、けんりょくの きばんをも ほりくずす ことに なる。もっと あたまの いい
やりかたは、ひしはいしゃの なかに きょうりょくしゃを つくる ことだ。

にほんは そのことを 1919ねん、ちょうせんの 3・1どくりつ うんどう から まなんだ。それまでの「ぶだん せいじ(武断政治)」は、ぜん
ちょうせんじんを てきに まわした。しょうがくせい までもが テグッキ(太極旗、たいきょくき)を てに、じはつてきに デモに さんか
した。にほんは すうまんにんもの ちょうせんじんを ころして、どくりつ うんどうを ぶりょくで おさえこんだが、それを けいきに「ぶんか
せいじ」へと ほうしんを きりかえた。ちょうせんじん にも いっていの はんいで しゅっせや かねもうけの きかいを あたえ、じちと
びょうどうへの げんそうを あたえたのだ。

そのけっか、「しんにちは(親日派)」が うまれた。ちょうせんごで「親日派(チニルパ)」というのは、「にほんが すきな ひとたち」という
いみでは ない。「にほん ていこく しゅぎの きょうりょくしゃ」という いみだ。にほんの けんりょくそうに きょうりょく し、けいかんや
かんりに なって、おなじ ちょうせんじんを さくしゅ・だんあつ した ひとたちの ことだ。

かれらは なぜ、しんにちはに なったの だろうか。じぶん だけの しゅっせを かんがえた ひとも いる だろう。だが、にほんに きょうりょく
する ことが ちょうせんじんの せいかつの そこあげに つながり、さべつの かいしょうに つながる という「ぜんい」から しんにちはに
なった ひとたちも いる だろう。けっかてきに、その「ぜんい」は にほんによって てひどく うらぎられた わけだが。

このように、にほんは ていこく しゅぎ しはいの セオリーどおり、ちょうせんじんを ぶんかつ して とうち した。ちょうせんじんを
2しゅるいに わけ、どくりつを たくらむ「わるい ちょうせんじん」を「はいじょ」し、にほんに きょうりょく する「よい
ちょうせんじん」を「ほうせつ」したのだ。

その れいの ひとつが、かんとう だいしんさいの ちょうせんじん ぎゃくさつに あたって けいしちょうが まいた ビラの ぶんしょうだ。そこには こう ある。
「鮮人(せんじん、ママ)の だいぶぶんは じゅんりょう(順良)なる ものに つき、みだりに これを はくがいし、ぼうこうを くわうるとう
なきよう ちゅうい せられたし」(ひょうきは げんだい かなづかいに あらためた)

つまり、「わるい ちょうせんじん」(ふてい せんじん)に ぶんるい された ものは、はくがい し、ぼうこう しても いい という わけだ。

ちょうせんじんの なかに うちこまれた その「くさび」は、いまの なんぼく ぶんだんに まで つながって いる。その「くさび」が、ちょうせん
ほんごく だけで なく、ざいにち ちょうせんじんをも ぶんだん して いる。

いま、ざいとくかい などの ヘイトスピーチが もんだいに なって いる。それに たいして、「なかよく しようぜ」という スローガンによって
たいこう しようと する ひとたちがいる。

「なかよく」?
だれと だれが?

「日韓(にっかん)なかよくしようぜ会(かい)」の しゅしぶん には、こうある。
「ちょうせん みんしゅしゅぎ じんみん きょうわこくの 無辜(むこ)の しみんの そんざいを はいじょ する もの では ありません」
つまり、かれらに よれば、「無辜(むこ)でない ちょうせんじん」は、はいじょの たいしょう らしい。これは 1923ねん9がつ3にちの
けいしちょうの ビラと、どう ちがうのか。
むこの ちょうせんじんと、むこで ない ちょうせんじん。じゅんりょうな ちょうせんじんと、ふてい せんじん。なかよく すべき
ちょうせんじんと、ころされても いい ちょうせんじん。だれが、どのような きじゅんで わけるのか。ひのまるを けんおし、てんのうを にくむ
ものは、むこなのか、むこで ないのか。にほんじんに、それを きめる しかくは あるのか。

ひとつ、にほんじんが きもに めいじて おくべき ことが ある。にほん ていこく しゅぎ かで「ふてい せんじん」として はいじょの
たいしょうと された ちょうせんじん こそ、さいご まで にほんの しんりゃくと たたかい、かいほうごには ちょうせん みんしゅしゅぎ
じんみん きょうわこくを うちたてたのだ という れきしてき じじつだ。

そして、ちょうせん がっこうや ちょうせん そうれんが にほん しゃかいで いまも はいじょの たいしょうと されて いる のは、その
ちょうせん みんしゅしゅぎ じんみん きょうわこくを「そこく」と みなして いるが ゆえなのだ。

それは たんなる レイシズムの もんだいでは ない。にほん ていこく しゅぎが いまも いきて いる しょうこ なのだ。にほんじんには
ちょうせんじんを ふたつに ぶんるい する けんりが ある という おもいあがり。ちぬられた てを あらう ことも
なく、かってに「じゅんりょう」と みなした ちょうせんじんに たいして「なかよく しようぜ」と、その てを さしのべる
あつかましさ。それこそが、ていこくしゅぎ こんじょう なのだ。